御 嶽 ・ 小 金 ヶ 嶽  
   
山行報告
 「初めてのおつかい」ならぬ「初めてのCL」。関西百名山の会に誘われ、
昨年来の脊柱管狭窄症のリハビリにと入会を了解。必然的に年数回のCLが割り振られ、
今回がその初回であった。下見には同行したものの、何もかも様子が分からず、
事前の準備等を園上さん中心にやってくれるのを良いことに、
当方はそれに便乗するだけの「名ばかりCL」のつもりであった。
ところが、当初計画の山行日が変更になり、変更後の山行日には園上さんはイタリア旅行の最中。
あわてて参加者の集計、連絡、参加勧奨等々を行うこととなり、急に人生があわただしくなった。
連絡の不備などで数々の迷惑を撒き散らしながら、佐坂さん、津田さんに助けていただき、
何とか山行にこぎつけることが出来た。
天気が気がかりであったが、前日の予報は曇りで、何とか持ちそうな予報。
当日は予想より若干悪くなり、どんよりとした曇り空の下、8:50に登山口に到着。
準備体操の後に登山開始。後半の小金ヶ嶽には数カ所のクサリ場があり、
体力を後半に残すため尾根に出るまでの急登を極力ゆっくりと登る。
下見のときにはあちらで迷いこちらで迷いで、尾根を登りきった鳥居堂跡で昼食となったが、
今日は順調に10時前に到着。時々小雨は降るが木々が傘となり、雨具を出すまでもない。
頂上手前の岩場の急登を乗り越え、御嶽山頂で記念撮影。休息の後、
御嶽・小金ヶ嶽を分かつ峠である大タワに向け足場の悪い急な登山道を下る。
大タワの屋根のある休憩施設で昼食。昼食中、小雨ではあるが少し雨が強くなった。
下見メンバーと協議し、小金ヶ岳の岩場は危険と判断。大タワをもって登山を打ち切った。
小金ヶ嶽の岩場を楽しみにしていたメンバーには申し訳なく、
残念であったが、篠山城見学に切り替え、亀岡経由で帰路となった。

ヒヤリハット  ありません。
 
感想文              
                     三岳・小金ケ岳
                                                       秋月 康敏

 三岳・小金ケ岳は私が山友会に入会して初めての例会参加で'04年12月19日のことで、
記憶に残ってる山のひとつです。今回の参加にあたって当時の写真を振り返ってみると、
上角CL、徳田SL、西上・志賀・寺澤さんの他女性6名の先輩に連れられての山行でした。
私にとっては何しろ入会初めての例会山行でしたから、写真など撮る余裕もなく、
ただ先輩の歩行について行くのが精一杯だったような気がします。
 山の由来は日本の修験道の開祖:役の小角により行場として開かれた山で、
山名は修験道から来ており、三岳は御嶽が変化したもので、小金ケ岳は昔、金嶽と呼ばれていた。
鉱物、特に黄金と修験道は関係が深い、と記されている。
そう云えば途中の大岳寺跡(みたけじあと)の標識に、本山の大峰山の指示に逆らったため
吉野の山伏によって滅亡させられたと記してあった。誰かとの会話の中で「何で大峰山に滅亡されたのやろな」
「それは親分の言う事を聞かずに税金を納めなかったからだろう」と話していたが、まんざらウソでもないような気がする。
この標識は以前も写真を撮っていたので比べてみたが全く同じ内容であった。
三岳の山頂は以前の写真では岩場があるが今は大きな標識に変っていた。
役の行者が祀ってある祠:石室は変っていなかった。山頂手前の岩陵から眺める多紀連山の風景は、
雲っていたので見晴らしはステキとはいえないが、篠山の街など盆地が幻想的でいい眺めだ。
やはりすばらしい!当時からすると山にも慣れて、後輩も増えて、少し生意気になって写真を撮る余裕もでき、
「歩きが早い、休憩は     役の行者の石室:三岳山頂
マニアル通りに・・・」とか偉そうに云ってる自分に気付き、これはいかん!と反省した。
山頂で集合写真を撮り、小金ケ岳へ向うべく大たわまで下って東屋で昼食だ。CL,SLが打ち合わせをし、
雨模様で午後も止みそうにないので岩場の小金ケ岳は中止の指令が出た。昼食後バスを迎えに来させた。
少し残念な気がしたが安全第一の山行を心して全員バスに乗った。バス中でCLから特別の焼酎が差し入れされた、
いい香りでうまかった! 隅谷さんありがとう!
その後、篠山城を散策していい山旅でした。篠山城は篠山マラソンで何度も行ったがじっくり見ることはできていなかった。
昨年6月に走ろう会の歴史の会から八上城址へ行き、帰りにゆっくり見た。
丹波3大城の一つで丹波富士とも呼ばれている八上山、波多野一族が治めていた山城:
八上城址、歴史の秘話を求めて行ったことを想い出した。

  役の行者の石室:三岳山頂                         丹波富士
 
感想文     
               御岳・小金ガ嶽山行感想
                                                     守口 実
 今年1月と4月に夫々10日程入院・手術した為体重が5~6kg減った。
体力回復をと思って例会に参加申込するが天候不順で中止や一部中止が多い。
今回も前日の天気予報と当日の空模様はもう一つパッとせず、
コース中間付近大碇での昼食時より小雨模様となり後半の小金ヶ嶽は中止になった。
以前から行きたい山の1つであり、岩稜歩きを期待していたのに残念なことである。
 民家の間から裏の杉林の中を通り快調なペースで距離を稼ぐ。
いつもの30分に1回の休憩もなくスムースに歩くが、クレームの声が出る。
鳥居堂跡で休憩。少し歩いて大岳寺跡。説明書によると、日本の修験道の開祖、
役の小角により行場として開かれた所で、昔は大きな寺があり、大和大峰山との争いに敗れ滅びたそうだ。
少し行くと見晴らしのいい場所、眼下に篠山の町が見える。
岩を登って稜線に出ると役の行者・不動明王?を祀る岩室。左が頂上。展望は無い。
記念写真を撮って、下山。初めは緩やか、途中から急になりロープの場所も過ぎ、大碇に来ると公園風の広場がある。
ここで食事になる。リーダー達は食事の間に小金ヶ嶽へ続行するかを相談、
その結果無理を避けて以後の山行を中止し篠山城址を見学して帰ることに決まる。
 ここから余談。この山々を境に北の水は由良川を経由して日本海へ、南の水は加古川を経て瀬戸内海へ流れる。
この近く丹波市氷上町には本州一低い(標高100m程度)、延長約1㎞の中央分水界がある。
水別れ公園でその状況がよく分かる。篠山城跡を見学、堀や石垣、大書院、御殿等の遺構を見る。
元藩主は青山氏6万石、東京・青山の地名はそこに青山氏の江戸屋敷があったからだそうだ。
丹波篠山は山陰道の要衝、1600年代初め天下普請として大阪冬・夏の陣を控えて豊臣氏と西国大名の抑えのために造られた。
帰りの車中は何時もの様に反省1次会になる。今回はCLが差入れの美味しい物を皆さん(女性群も)頂いていた。
残念ながら私は断酒中のため遠慮、もう少しの辛抱、一刻も早く現職復帰となりたいものだ。