山行報告書 京都田辺山友会 報告者 山下 隆
注;太字部分が歩行。他の部分は車 |
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自分が計画した熊野古道は4回目になり、過去の資料からみると、4回のフル参加者は頼、岡部、倉光、山下の4人で、 3回参加者は加藤、吉津、金本、西上正、山口さんの5人。それなりに熊野の神々の加護を受けているに違いない。 前回の時に キャンセル待ちの方が4人いたので、今回は優先的に案内した。 今回も前回と同様に大勢の参加を得て、しかも善男善女のおかげで3日間とも快晴にめぐまれ、新緑の中のハイキングが堪能できた。 熊野古道の計画は今まで2年置きにしていたが、今回は昨年に引き続き連続の計画となりました。 それは 昨年の秋、同年輩の知人・友人4人もが病気で亡くなることがあり、ショックを受けました。 行きたい所・登りたい所には行ける時に実行しておかないと時間切れになるのではとの思いがあったからです。 今は元気にしていても、突然に「無理ですよ!」と天の声が掛るかわからないですから。 現地の役場・観光案内所・土木事務所・ネット情報等から計画を詰めていくと、 昨年の秋の台風の影響で熊野の周辺は登山道は崩落で通行止めのところがあることが判り、当初のルートを若干変更せざるを得なかった。 特に3日目、国道の那智から那智の滝に向かうバスからみる姿は大きな石が民家のそばでゴロゴロしていたり、 傾いた民家やすでに新築に建替えられたり、山肌が崩れていたりと当時の災害の大きさを思わせた。 ニュースでは知っていたが、現実に見ると、その凄さに震撼した。まだまだボランティアの力も借りて復旧作業が行われている。 昨年と同様に参加者全員に適材適所で何らかの役割りを担ってもらう方式とし、一人で何役も背負ってもらう方もいて頑張っていただきました。 CL,SL、班長、副班長、遊軍、会計、地図、GPS 記録・感想文、部屋割り・鍵、ロープ、バーナー、エチケットリーダー、忘れ物、学芸員、 昨年の反省から荷物の上げ下げ係,お菓子、ビール販売 など。又、27名と大所帯ゆえ、3班に分けて歩いた。 又、昨年の反省から民宿では風呂が貧弱なので、今回は温泉付きの大きいホテルに2泊とした。 おかげで、夜・朝と温泉を堪能することもできました。 食事は両宿ともバイキング形式だったが、席を一か所にまとめられたので違和感なく楽しく談笑しながらの食事ができた 。特に、湯快リゾートの「白浜千畳」では10周年記念サービス期間ゆえ、平日だと4人目の宿泊費10円と格安で宿泊することが出来た。 4人目をくじで決めていたら、さぞかし盛り上がったことでしょう!! 大きい宿での欠点は山歩きは早朝出発が原則だがそれが出来ないのと、 昼食弁当の用意が無理なことだ。今回は宿泊場所には近くにスーパーやコンビニがあることが判明していたので、そこで昼食を調達した。 モロモロの事情で、2.2万円の格安での2泊3日の旅となった。 熊野古道を歩くにあたり、白浜先の紀伊富田にある熊野神社(権現平)で旅の安全を祈ってからスタートする計画でした。 ところが、車で近づいてはいるが探すのに手間取った。小さな神社で道も狭く、地図上での記載もいい加減だったことが後で判った。 道中、何回も車の乗り降りをしたが、待って貰っていた車との出会いは打ち合わせ通りでうまくいった。 3日間とも快晴に恵まれ、道間違いもなく、時には暑い位の陽気の時もあり風が欲しい位の所もあった。 蟻の熊野詣時代の大辺路コースは 今では大部分がすでに一般道路に変わってしまっていて、 世界遺産として登録されている古道のいいとこ取りをした山歩きだった。新緑の中、ところどころの苔むした石畳道、沢、那智黒、 小鳥の鳴き声、渡し船、雑木林、段築、備長炭の原料のウバメガシと稼働中の炭焼き場、木の間から望まれた輝く海岸、 つつじ、ヤシオ、藤、春の草花、ため池、稲を植えたばかりのタンボ、土地の神社、廃屋、夏みかん、小川 などと対話をしながら歩く。 対話の結果は俳句や川柳に残せた。季節は京田辺より10日は早いようだ。峠越えの時は、 それなりの斜面をトラバースする所もあり緊張するところもあったが、大部分は落ち葉で歩きやすかった。 二日目、串本の「向かいは大島」にある金山展望台入口に着いた時、地図上では道のそばにあるように記載されていたが、 頂上まで1kmの表示には戸惑った。すでに、しっかり歩いていて、1時間前にいただいたビールの余韻も残っていたので、想定外だった。 時間もせまり、展望台のある頂上で、観光を優先しての食事→風呂 か 観光はそこそこにしての風呂→食事にするか皆さんにはかり、 後者となる。 最終日は曇り予報だったが快晴の朝。串本の橋杭岩で日の出や露天風呂から日の出をみたりし、 近くのスーパーで弁当と飲み物を入手し、出発。旅の最後は那智の大門坂入口から那智大社まで30分間、石段を上る。 さすがに山友会の面々は根を上げることもなく登る。那智周辺は昨年秋の台風のツメ跡で無残な姿もあった。 風呂に入る時間は無かったので、道の駅で着替え、帰路へ。ウトウトしていたとき、串本の橋杭岩付近での歓声で目が覚めた。 潮が引いて、岩杭が丸見えで今朝と景色がまったく変わっていたのだ。ちょうどそこに干物屋さんがあり、皆さん お土産を求められた。 この土産屋さんは計画外の幸運でした。 皆さんと運転手さんのご協力で楽しい旅が出来、ほんとにありがとうございました。来春、熊野古道の最後の計画となると思いますが、 メインルートといわれる中辺路(紀伊田辺から熊野本宮)に思いをはせています。 又、その時はよろしくお願いいたします。 |
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熊野古道大辺路 (にわか学芸員の記) 佐々木英夫 はじめに、世界遺産・「紀伊山地の霊場と参詣道」である熊野古道はすべて熊野三山へ続く参詣道である。 ルートは紀伊路(中辺路54.2km)・伊勢路(43.7km)・大峰道(88.8km)であるが、 今回の山下企画は第4弾で紀伊路の大辺路(10km)のいいとこを歩くことになった。参加者全員が役割をかせられ私は学芸員を命ぜられた。 大辺路の起点は田辺の北新町にあり,道標(1857年)・東の起点は那智または新宮としている。 江戸時代の斉藤拙堂(津藩・1797年生・月瀬記勝・など)の「南遊誌」によると中辺路に比べマイナーな道として紹介されている。 風光明媚な海辺の道は、文人墨客の道でもあった。今回の出発点は富田からであるが,同行安全祈願のため権現平古墳にある 熊野神社によった。 大辺路は主に熊野三山参詣後の帰路にのんびりと利用するケースが多いようだ。 紀伊山地の参詣道の世界遺産に登録された距離は約300Kmである。 ちなみに[サンチャゴ・デ・コンポステラの巡礼の道]は約800km。 数年前、大峰奥駆道を縦走したが、その道のりは約90Kmであった。(会誌かんなびN0,202号、208号、209号に掲載) 大辺路については 「吏役・土人を除くの外、経過するもの少なし,ゆえに酒茶の店なく,逆旅の家なし,村長もしくは土豪の家に就きて宿食を弁ず。」 辺路とは、辺鄙なところという意味で遍路と同じ意味であろう。 また、「那智より古座まで6里。この間に茶屋なし、総じて大へちごしは、田辺まで不自由なり。」と熊野案内記・寺内安林は言い、 「さらに那智より藤代峠まで四十八の坂有、最後は長井坂と号す。」近代42号線で寸断され、原型をとどめている区間は、 白浜から日置川・すさみ町までの富田坂・仏坂・長井坂と那智勝浦の駿田峠・左畑峠・市屋峠・浦神峠などでその距離登録されているのは、 10km程度である。長井坂には段築といわれる道路築造が見られる。 紀伊藩が吏道として整備してから多くの人々が、浜辺や山道を利用するようになった。 「梁塵秘抄」に歌謡さる熊野古道は次のように記されている。「熊野に参るには,紀伊路と伊勢路のどれ近し、どれ遠し、広大慈悲の道なれば、 紀伊路も伊勢路も遠からず。」256 また、「熊野へ参らむと思へど徒歩より参れば道遠し、すぐれて山峻し、馬にて参れば苦行にならず、空より参らむ羽賜べ若王子」258とある。 4/27日 富田郵便局から石経の集落をのんびり歩くと、最初の寄り道には草堂寺がある。 臨済宗東福寺派(禅宗)で南昌山の麓にある。 丸山応挙(亀岡市曽我部1733年生)や、門下の長沢蘆雪の絵画がある寺として名高い。(丸山応挙は円城寺の庇護を受け頭角を現し、 京都画壇で一派をなすようになった。氷図屏風を描いた図は奇抜な画題である。蕪村の句に「筆灌ぐ応挙が鉢に氷哉」とあり当時でも 話題になったものと思われる。 その他の作品としては保津川図・雲竜図屏風・瀑布図などがある。) お寺の横から山道に入る。 富田坂を登ると一里塚跡があり、要害山城跡が鬱蒼とした木々の合間に見える。 七曲がりは急坂で息が切れる。海岸線の楽な街道もあっただろうに、過酷な山中の道を利用したのは、 それなりの理由があるのだろうと思いながら 登っていくと、白浜の海が開ける。好天の眼下に眺望する紀の海がすばらしく清楚で美しい。 熊野路の坂を登りて紀の海を あかずに眺がむ時を惜しめり ひでを 富田坂茶屋跡を過ぎ安居辻松峠につく。峠には石地蔵が祭られ、大松が山火事で焼けその残骸が転がっている。 峠から先の道は紀伊半島を襲った未曾有の大水害(2011/4)で土砂崩れで通行止めであるので、 (リーダー調査)ここからJR椿駅に下ることになった。 椿駅から白浜温泉にバスで行き,名所の三段璧を望み宿に着いた。 海面に突き出し岩に遊ぶ波 真白き音のうち高くして ひでを 蒼い海に切立つ岩壁、打ち寄せる白波、それぞれのポーズで写真や、物思いにふける人、弾む会話、 そんな時、三段壁を三段腹と言った人が居た。 そこで爆笑がおき、川柳や俳句の話になり、夕食のとき、山下塾の熊野古道歌会の構想が出来上がった。 (三段壁 バックに写真を 撮るひとを みればイチ,ニイ、サンダンの腹) 4/28日 安居の渡し場に行く。日置川を越える唯一の渡し場である。日置川は果無山脈の千丈山(せんじょうざん、標高1027m) 北東麓に源を発する。また果無山脈東端の鞍部である果無峠は、熊野参詣道小辺路の一部であるとともに、 十津川(奈良県吉野郡)と本宮を結ぶ生活の道でもあった。 滴りた清々の水は山峡を穿ち、淀みで休み、支流と交わり、次第に大河となって、里を潤し、太平洋に注ぐ。安居に至りても清き澄んだ流れは、四季折々の変化を呈して、深く川面に棹差して参詣者の渡し舟を浮らす。それはまさに当時の旅人の安堵であったろう。 舟は7名ほどを乗せて対岸の仏坂口に接岸する。紺碧の空と若葉の緑の中,清流の河に浮く舟のその光景は広重の絵のようだ。 舟一艘 熊野古道を つなぐ道 (安居の渡しにて) ひでを 舟一艘 若葉青葉の 渡しかな (安居の渡しにて) ひでを 日置川(ひきがわ)の 清流の古道(みち) 渡し舟 (安居の渡しにて) ひでを 若葉(わかば)寒(さむ) 舟一艘と 渡る古道(みち) (安居の渡しにて) ひでを すぐに急登があり、桂松跡・仏坂茶屋跡を過ぎ林道を横断すると、熊野古道大辺路の高みの尾根からの枯木灘の眺望がすばらしい。 海岸性常緑樹等ウバメガシの自然林を一気に下る。昼食は周参見王子神社の境内をお借りした。神社は古くから産土神として祭られたという。 絵馬が多く奉納されている。【絵馬はもともと庶民の願望や感謝の印しとして、馬に神霊がやどるという古代の伝承から ,板に泥絵具という素朴な色調で、安産,家内安全、商売繁盛など等・社寺に祈願したものらしい。】食後、歴史民族資料館を拝観した。 「加茂八幡御行幸略図」は文化的価値の高い大型の絵馬だった。 再び古道の長井坂へと向かい、タオの峠を越えると和深川の集落に出る。家屋が点々と古道沿いに建っている。 耕され水を張った棚田に燃えるような新緑が映り、実に美しい。廃屋も映っている。 和深川棚田に映る廃屋は 今は蛙の鳴くを聞くのみ ひでお 子供のころ過ごした田舎を偲びながらのんびりと歩くと和深川王子神社に着く。 ナギ・ムクの大木があり,創建(1625年)は古そうだ。和深川に沿って紀伊本線が走っている。1両の列車が軋んで走っている。 田園ののんびりした風景だった。 和深川橋を渡ると、西登り口でいよいよ長井坂である。坂を登りきると稜線で馬目カシのトンネルの歩きやすい木漏れ日の道である。 ところどころ自然林の樹間から枯木灘に浮かぶ島々と河口の港町やリアス海岸が長い白波の帯を巻いたように続いて見える。 古今の文人墨客がこぞって絶賛した風景であろうか。ここには西行法師の歌が残っている。 身のうさを 思ふ涙は 和深山 なげきにかかる 時雨なりけり 西行法師 大辺路の 高みを行けば 枯木灘 リアスの岸に よせる白波 ひでを この古道には段築という珍しい道路築造がなされている。尾根のキレット上に盛土し、山城跡などで見られる土塁の様に 何層(1層20センチから30センチの厚み)にも突き固めて平面と幅を保ち、危険のない様通行できるようにしたものである。 紀伊藩が官道として古道を整備した記録があるが、その時代のものかどうかは不明であるが,当時の土木技術としては優れた工法である。 風光明媚な海岸の展望を楽しみながら行くと、水平道は急坂の下りになる。 降りきったところが長井坂東登り口で見老津である。ここからバスで大島に向かう。 大島の金山展望台から串本の町並みを見た。【橋杭岩は 串本の海岸沖あいに大島に向かってほぼ一直線に,南北に大小の30ほどの岩が 並んでいる岩石群で、その形はあたかも陸から大島へ架けた橋脚のように見える。 紀伊半島の南部四万十層を破って噴出したマグマが地表近くで早く冷却された粗粒質石英粗面岩(流紋岩類)の岩脈が、海波の浸食を受けて犬歯状の奇観を呈している。天然記念物で.弘法大師がひと夜で作ったというエピソードがある。】それから潮岬灯台に寄り宿に着いた。 4/29日 翌朝、宿の窓から橋杭岩を赤く染めて昇るご来光を見た。 熊野灘 朝日のしたに 舟二艘 ひでを 朝早く橋杭岩まで散歩に行かれた人も居て、ご来光のすばらしい写真を撮影していたようだ。 紀伊浦神の海蔵寺から山道に入り休平峠を越えると川沿いを下和田の集落に出る。山中の峠近くはウバメカシが伐採されていて、 荒涼とした古道の痛ましい風景が目に焼きついてしまった。 集落の諏訪神社(クスの大木があり)から太田川を渡り太田神社で休憩、市屋峠地蔵を経て水源地の与根河池の畔を歩く。 この周辺はグリンピア南紀の保養地で、数年前新聞紙上を賑した杜撰な厚生年金機構の無駄使いの負の遺産である。 ゆかしの潟で昼食をとり、熊野那智大社に向かう。大社には大門坂から登る。 熊野那智大社に至る石畳600mの坂道。中辺路最後の多富気王子跡がある。 大坂屋跡は南方熊楠が粘菌の採取で2年間滞在して研究したところである。大雲取越えは【終日嶮岨を超す。 心中は夢の如し いまだかくの如きの事に遇わず雲取紫金峰は手を立つるが如し】と藤原定家が残している。 かっては奇怪な逸話が多く、熊楠もダルに出会い昏倒したという話もある。ダルとは 意識が朦朧とする現象か? 苔むした石階段の両側には樹齢800年の夫婦杉をはじめ、巨大な杉がそびえていて、不思議な霊気を感じる。 時代をさかのぼった衣装を着飾って熊野詣の体験をしている女性も居る。 熊野三山の参詣のそもそもの発端は、平安末期の飢饉・法然・親鸞の浄土真宗の説法・「念仏を唱えれば浄土に行ける」ととかれたことや、 武家の台頭(藤原貴族と武家政権闘争など)で院政不安になり、浄土信仰の思想・黄泉の国からよみがえると信じられ、 熊野詣でが盛んになったものであるが、今ではすっかり観光化してしまった。石段を登り青岸渡寺を参拝し、那智の滝を見た。 先の大水害て巨大な岩石が累々と重なり被害の爪あとが痛々しい。 那智滝の源流は熊野街道中辺路の大雲取越え,舟見峠に発する那智川で、落差133m幅12mの大滝である。 黒雲母花崗斑岩と第3紀層の中井層との接点に位置する断崖絶壁を呈する。那智山熊野権現の紳滝として神聖化され、 また、山伏の修行の場となりその雄大さは熊野地方の代表する景観で,熊野三山参詣には必見の滝である。桑山玉洲(那智の滝図は有名) 帰路のバスの中で熊野古道で詠んだ歌の発表会が山下リーダーの司会で楽しく開かれた。川柳あり,ハイクあり、皆さんの力作は、熊野古道にかけた思い出がにじんでいたと思う。実に楽しい3日間であった。山下リーダーはじめ、各役割分担をして頂いた方々、ありがとうございました。 紀伊の旅は好天に恵まれ、渡し舟や、新緑の山道、紀の海・枯木灘の眺望など風光明媚な大辺路を十分満喫した。 紀伊はまさに【空青し 山青し 海青し (佐藤春夫・新宮市生まれ、田園の憂鬱など)】 の世界だった。 ※コラム 紀伊半島の地質 四万十層で構成されている。ユーラシヤプレートとフイリッピン海プレートの狭間、南海トラフ(溝)の北にあり、 紀伊山地の隆起と沈降によって形成された。海岸線が美しい。四万十層に付加した泥岩、玄武岩、砂岩 チャート 花崗岩質などで 構成されている。東日本大震災のあと、ここ東海・南海トラフで発生するだろうと思われる地震でも巨大な津波が予測されている。 大地震の起こりうる原因はプレートテクトニクス理論(海洋低拡大説)によると地震のメカニズムはこうだ。 マントルの噴出し口である海嶺で生産された海洋低プレートは、マントル対流に乗って海溝まで移動し、 大陸に衝突し海洋低プレートは大陸の下に潜り込む。このとき大陸の先端部は水平方向に圧縮され変形する。 大陸側のプレートはバネのように変形し、圧縮力に耐えきれなくなったとき、反発力で跳ね上がり基に戻ろうとするとき、 海水が跳ね上がり、津波や地震が発生する。火山活動、地震活動、造山運動は、 プレートとプレートの生産される場所や衝突する場所に起こりうる。東日本大震災は北米アプレートと太平洋プレートが衝突して、 日本海溝の陸地側で発生している。 |
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熊野古道 大辺路 感想文 倉光展子 二年間の中国生活を終え、帰国してしばらくすると、なんとなくヨーロッパへ旅行をしたくなった。ちょっとした「口直し」のようなものである。 といっても中国の思い出を消し去りたいというものではない。学生たちと交わった中国での生活は大変充実していて、 私の人生に濃厚な味を残してくれたので、そう簡単に消えるものではない。旅の行先はスペイン、ポルトガルだが、 その旅行の終盤にバスではるばるスペイン北西端のサンティアゴ・デ・コンボステーラへ連れて行ってもらった。 山下さんの企画を知った時、私はこのサンティアゴをふと思い出した。サンティアゴはキリスト教の三大聖地の一つである。 中世の頃より、キリスト教信者は救いを求めて、ヨーロッパから、800kmの長い道のりを、ピレネー山脈を越え、 命を張ってたどりついた地である。私たち夫婦は、サンティアゴへ行く朝、朝食の席で、東京の兄の訃報を受け取った。 いたたまれない気持ちになったが、この聖地の大聖堂で、他界した兄を思ってお祈りを捧げた。 キリスト教徒でない私たちがキリスト教の聖地で祈るなんて、 考えてみればおかしいが、「天国と極楽は同じだろう」とつじつまを合わせるところはいかにも日本人的だ。 私は後で知ったことだが、サンティアゴへの巡礼路と熊野参詣道は共にユネスコ世界遺産に指定されている。 「道」が世界遺産に指定されるのはまれだそうだ。私は、信じる宗教を持っていないが、人々の精神のよりどころ、根幹の一つとして、 大変興味を持っている。特に日本の自然崇拝は災害が多く、歴史的に農耕文明の国に住む者として、余儀なくされるものであろう。 今回もそういう意味で、山行、慰安旅行に加えて、宗教の歴史にも興味を持った。 山下さんは熊野古道を4回も企画、リードして下さったそうだが、私は今回の大辺路コースで、やっとその恩恵を被ることが出来た。 例の如くバスをチャーターして、5,6日かかるコースを3日で仕上げるといった「いいとこどり」のお得コースである。 山友会の、みたところ宗教にすがることなんか関係ないような幸せそのもの、現実派の27名は、はなやかに出発点、 紀州の富田橋を歩き始めた。 今年は春の到来が大幅に遅れ、いろいろな不安と重なって、春が来るのか、と本当に心配したが、 このところ遅れを取り戻すかのように急ピッチで季節が進んでいる。京田辺より暖かいこの地は、緑が更に濃くなっているように見えた。 雲ひとつない青空、まさに初夏の気候である。「海が見える。今日は波があるね」と誰かの声。 そう、こんな風に白い波が見える海を、鳥取の人は「今日はウサギが跳んでいる」なんて言う。 きれいな表現でしょう。また誰かが「自然のものはみんな季節をちゃんと知っているなあ。」本当にね。みんな心配していたんだ。 「筍もちゃんと季節にでてくる。新芽もちゃんと出てきて、木の芽あえもちゃんとできる」と続く。 説得力のある言葉にうなずきながら、しばらく歩く足に力が入らなかった。 「アッ、大きな沢ガニ。佃煮にできるね」「アッ、もろこ。空揚げにしたら美味しいよ。」これらすべて台所を切り盛りしている人の発言です。 実際私は山行でこういった情報をいっぱい仕込んで助かっている。林道のあちこちに筍がニョキニョキ。 地を割って頭の先を出したばかりの筍なんか、時間があれば掘り出したいぐらい。同じ気持ちの人がいるらしく、あちこち掘ったあとがある。 道なのに掘ったままで、土を戻していない。後ろから「猪並みだね」と憤慨の声。猪の習性を熟知した表現に拍手を送る。 そのうち山下さんから一句、「こもれびと うぐいす従え くまの路」。格調の高さに誰もついていけないのか、反応なし。 そういえば木漏れ日がやけにくっきり、はっきりしているのに気づく。初夏の強い光線がなせる業か。 刺激された者が、「目に青葉 山ほととぎす 初鰹 今晩初鰹食べられるかな」・・・本当に幸せな一行。 安居辻松峠では顔なしのお地蔵さんに出会う。 こんなところまで偶像崇拝反対のイスラムの人が来てやったか、と一瞬ぎょっとする。中国でそんな仏像をたくさん見て来た後遺症か。 安居の渡し場までの道は台風被害のため通行止め。椿駅コースをとって、行程が半分になる。 「バスが待つ 古道が終わり 酒が舞う」(詠み人知らず) ご苦労様でした。酒が脳裡を舞うとは、正直な川柳ですね。 二日目 先ず安居(あご)の渡し場へ。「村の渡しの」船頭さん達が待っている。6人一組を乗せた船が川を横切って行き来する。 本当に風情がある。トルコブルーのきれいな水に先ず感激して「きれいですね」と言ったら、船頭さんは「昨年の台風以来濁ってしまいました」と答えた。 周りの山々のブロッコリーに盛り上がった新緑が美しい。オレンジっぽい黄色の盛り上がりが気になって聞いたら、「椎の木ですよ」。 家へ帰ってから、夫が調べたら、若葉でなくて、花らしい。 「安居の渡し 三途の川を 見る如し 渡った後が ホレ仏坂」(MK) 三途の川は、生前の行いによって裁きを受ける川だとか。 厳しい裁きを受けたみんなが 「坂道を 仰いで溜息 でも歩く」(詠み人?)と 「三途の川」の後の仏坂を苦しんでいるのに,Y氏は生前の行いの評価がよかったと見えて、 「浦島草 鯛が釣れたか 仏坂」(HY)と 足元に咲く可憐な花に、優しく声をかける余裕。 豊かな想像と繊細な少年の心をもったY氏らしい。その後も今回のハイライト長井坂が続く。「なんだ坂 こんな坂、長井坂 あと2k ながいこと」(?) 確かに楽チンコースと聞いて、なまっていた身にはシンドイ坂だった。しかしその中で、海から吹くさわやかな風、木の間から広がる真っ青な大海、可憐な花を遅ればせに咲かせて、私たちを待っていてくれたアカヤシオ、古の人が築いた版築の尾根道、流した汗にあまりある喜びが与えられた。 そしてこのコースの何よりもいいところは、坂と坂の間に点在するのどかな村々をのんびり、ぼんやり歩くことだと思う。 村の家は昨年の台風で被害を受けた後、新築されている家もあちこちに見られたが、古い懐かしい家々を覗きながら歩くおおらかさはなるほど仏の道だと感じさせた。 「和深川 棚田に写る 廃屋は 今は蛙の 鳴くを聞くのみ」(HS) 三日目 いよいよ那智大社。ここは私にとって3度目か、4度目。しかし大門坂は初めてである。大門坂の長い石段は、それこそ長ーい、シンドイ仕上げになった。人が多いのと、余裕のない残り時間と、勢力を使い果たしたためか、感慨に浸る余裕はなかった。 帰途バスからみた台風の爪跡はまだまだ生々しいものがあった。 「台風の 爪跡残る 山里は 熊野の神も なすすべも無し」(?) 3日間 期待とは違った(?!)楽しい旅になった。 「ワイガヤと 熊野古道行く 古希の群れ 神も仏も 目を白黒」(?) みんなのためにこんなに懇切丁寧な企画をし、 善行を重ねて青空を呼び寄せてくれた山下さんは 「仏の心を持ったリーダー」だった。山下さん、皆さんお世話になりました。 最後に皆さんの作品を無断で借用いたしました事お詫び申し上げます。 付録 熊野古道に関しての本の紹介 「熊野古道」淡交社 久しぶりに心に届いた本と出合いました。写真集です。京田辺の図書館の本です。 写真家、山本卓蔵さんのスゴイ力作です。私の好きな哲学者、山折哲雄さんの序文もいい。 |
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感想文 熊野古道「大辺路」を歩いて 石田 輝夫 4月27日~29日の2泊3日で、4月例会熊野古道「大辺路」に参加しました。 27名の参加で、綿密に計画された「いいとこ取り」3日間の短縮コースにしての、 約12㎞/一日、石畳道、落葉の山道、林道、田舎道と、古道歩きを楽しみました。 宿泊先も、温泉地の大型ホテルでゆっくり出来て。白浜、串本では名所見物もあって、 いたれりつくせりでした。まるで修学旅行に戻ったみたいで、楽しい3日間でした。 昨年「小辺路」コース申込しましたが、補欠1番でも参加出来なくて初参加でした。 多人数の行動ですので、一日どのように間欠の歩きするのか不安でしたが、全員の役割 分担をきっちり決められていて,CL山下氏の指揮で機能していました。さすがです。 荷物係を担当、バスからのザックの上げ下ろしを3~4回/1日もあって大変でしたが。 「大辺路」コースは、紀州の海沿いを進む風光明媚さでは熊野古道の中でも特筆すべき道 ですが、歩いた印象は、見晴らしの全然ない暗い杉木立の道が一番印象に残っています。 杉木立は、枝打ち手入れされた杉と、ほったらかしの杉の両極端でしたので、後継不足、過疎化、杉価格下落等を考えましたが。 古道歩きは3日間共程よい起伏があって、変化に富んで、珍しいツツジのアカヤシオも尾根に咲いていて、紀州備長炭の原料である ウバメガシの群生に感嘆し、日本の原風景のような棚田の農村の生活道も歩きました。 役割学芸員の佐々木氏の、知識の豊富さに感心させられました。段築の説明、紀州備長炭の説明等。俳句、川柳も皆様凄いです。 山友会の人は多趣味多芸の人が多くて感嘆です。 二日目朝一番の安居の渡しは、大ヒットです。500円/1人だったらしいですが、 初めて渡しの乗船を経験しましたが、風情があって良かったです。去年の台風で日置川の透明度悪くなったと、 船頭おっしゃっていましたが。 鮎の里の雰囲気はありました。 2日目のホテルの夕食は、座席を抽選で決められましたが、普段あまり話をしない人と 会話出来て良かったのでは。ホテルの食事はバイキングで充分ですし、二次会の酒宴も それなりに楽しく過ごせて、焼酎種類[本格・混合(甲類、乙類)]は勉強になりました。 3日目の大門坂歩きは、ここを歩いてこそ、熊野古道歩きだと、苔むした石畳の石段を 登っていきましたが、古道の雰囲気が色濃く残る道で、道の両側には百本以上の巨大な杉並木が連なっていました。 平安衣装「むし」の貸衣装で歩く女性にも会えましたし。 大門坂から見える崩落した山、那智の滝の落石と倒木は、昨年9月の台風12号の被害 の甚大さを見せつけられました。那智の滝駐車場から午後2時過ぎに帰路につきましたが、 天候にも恵まれ、最高の熊野古道でした。4回目の企画立案実行、山下さん本当に 有難うございました。お世話して戴いた関係者の皆様有難うございました。2泊3日で 2.2万円(返却2,000円)凄すぎます、安すぎて。初めての参加でしたが、 申込人数すぐに埋まるはずです。4回連続で参加された人が羨ましいかぎりです。 次は一番有名な中辺路から計画したいと思いましたが。 |
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熊野大辺路吟詠集!!! 2012.4.27~29 倉光正己 2日目朝、山下リーダーから、道中の感想を俳句、川柳などに詠むようにとの宿題が出た。素直な私はせっせと詠んだ。 でも、メモが追い付かない。山下氏予言の通り、秀作の大半は虚空に消えた。メモ帳に残ったのは駄作ばかりだった(うまい言い訳だ!)。 今となると、熊野古道を思い出す縁となる。川柳、狂歌、俳句、短歌の区別が自分でもつきにくくなったので、それぞれセ、キ、ハ、タで区別する。 *安居の渡し 三途の川を 見るごとし 渡ったあとが ホレ仏坂(キ) *現代の 三途の川は 五百円(セ) *安居の渡し ぬるむ流れの 濁り濃し 去年(こぞ)の台風 爪痕深し(タ) *スギヒノキ 植えし罪なるか 古は 3メートルの高みで アユ漁しきと(タ) *仏坂 がんばりすぎると オダブツだ(セ) *安居の渡し 渡った後で あごをだし(セ) *桂松 神や仏が 君を待つ(セ) *熊野路を 老いが歩めば 山笑う(ハ) *春や昔 仏居ませし 熊野道(ハ) *木漏れ日や いずこにおわす 神ほとけ(ハ) *足曳の 山鳥の尾の しだり尾の 長々し坂 皆で下りぬ(キ) *長井坂(ながいざか) 名前通りの 長い坂(セ) *長井坂 登れば 名残の赤ヤシオ(ハ) *木漏れ日に 足元揺れる 下り坂(ハ) *枯れ枝を キックしたるは わが女房(セ) *枯苔に 寸を刻むは 仔尺取虫(セ) *大辺路や 山には若葉 石仏(ハ) *熊野の春 山には古き 仏たち(ハ) *♪ここは金山 向いは串本 仲を取り持つ橋杭岩......♪ (新串本節) *熊野路や 「熊が出ました 要注意」と(セ) *山藤の 花房の丈の 短かければ 田んぼの上に 届かざりけり(キ) *うるうると ブロッコリーの如 盛り上がる クスかシイか 熊野路の山(タ) *田植え済む 筆太1の字1の字の 足の跡(セ) *大辺路の 山道崩れ 木は倒る 去年の台風 傷跡深し(タ) *山路来て 30センチの 大ミミズ(セ) *にぎやかに 女人のおしゃべり 通り過ぐ 足元に咲く 「二人静」は(タ) *ウバメガシ 並木の下は 薄緑(ハ) *ウバメガシも 新緑の葉は 柔らかく(ハ) *ウナギ焼く 備長炭を 焼く窯あり(セ) *ザックなし 水筒だけの 大門坂 熊野詣で 一番シンドイ(キ) *那智の滝 身を逆しまに 投ぐるかな(セ) *盛り上がり 身を空に投ぐ 那智の滝(セ) 以上 |
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熊野神社(紀伊富田)で安全祈願。 「大辺路」コースのスタートです。 草堂寺の境内見学。 |
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「大辺路」富田坂を登る。 |
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道標 JR椿駅方向へ進む。 安居辻松峠で休憩。 JR椿駅目指して。 |
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JR椿駅目指して。 JR椿駅近く、本日終了です。 宿泊のホテル「千畳」。 |
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白浜・三段壁にて。 白浜・千畳敷を散策。 |
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安居の渡し場 安居の渡し 乗船の順番待ちです。 |
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安居の渡し(乗船料・500円/一人) |
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皆様いい顔しています。 道標・仏坂方面へ。 |
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仏坂 CL・山下さん。(決まっています) 仏坂を登る。 |
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地主神社で参拝。 仏坂東登り口(入谷橋) 西浜バス停前より歩行開始。 |
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田舎らしい棚田の横を。 長井坂目指して。 和深川を渡って。 |
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長井坂をCLの先導で。 長井坂 長井坂 |
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学芸員佐々木さんの説明。 段築(山の尾根筋に独特の土木工法)。 アカヤシオ(最も希少価値の高いツツジ) |
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杉の木立の中登っていくと「息をのむ美しさ」と古より称えられる枯木灘を一望 。 |
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金山展望台(紀伊大島)より、橋杭岩を望む。 CL・山下さんのリード。(いたれりつくせりでした) 橋杭岩の朝日。(ホテルより) |
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紀伊浦神付近を歩く。(左レンゲ畑) 市屋峠 |
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与根河池を過ぎての登り道。 二河川を渡る。 |
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大門坂・杉木立に囲まれた苔むした石段は熊野古道の雰囲気も満点。 |
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熊野那智大社に到着。 熊野那智大社。 三重の塔の向こうに那智の滝。 |
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熊野那智大社別宮飛瀧神社にて。 |