白馬岳(2,932m)頂上にて


山行日
2009年7月21日〜24日(金)
天候
4日間とも 霧、時々曇り、一時晴れ
コース
京田辺6:30⇒白馬栂池登山口13:45⇒16:50白馬大池山荘5:45⇒9:40白馬岳⇒13:25白馬鑓ヶ岳⇒14:30天狗山荘5:00⇒5:20天狗の頭5:30⇒5:55天狗の大下り6:00⇒7:10不帰の嶮10:00.⇒10:50唐松岳11:00⇒15:00五龍山荘5:45⇒11:00とおみ駅
参加者
リーダー:佐々木  サブリーダー:山口
男性:中廣・岡部・金本・石田・山下・坪田・上角
女性:大谷・徳田幸・濱北・加藤・堀尾
合計:14名    

 

    山行報告  佐々木 英雄
<白馬三山と不帰の嶮、牛首岳から五龍まで縦走記>

 高層湿原から溶岩台地を歩き山上湖に。                         
2009年7月21日、第一日目、(栂池登山口〜天狗原〜白馬大池) 栂池登山口(1900m)には、予定より約一時間遅れで到着した。栂池自然センターに登山届を出し、コースの状況を確認した。白馬乗鞍岳の登りに雪渓がある以外は、とくに危険な個所はないとのこと、軽アイゼンが必要か思案したが、気温も上昇していること、夏日で融解が進んでいることなどから不用とした。13時50分、登山開始とした。2000年10月紅葉の頃、一度この道を登っている。樹林帯の中の岩場の道を、ゆっくり登る。天狗原(2200m)の湿原に着くが、霧が地上によどみ視界はない。残念ながら湿原の瞳は閉じたままである。天狗原の湿原を経て岩塊の斜面を行くと50mほどの雪渓がある。ここを登り切ると、白馬乗鞍岳(2437m)の溶岩台地である。(乗鞍岳はトロイデ型の火山であるが、噴出する溶岩の化学組成、二酸化ケイ素の含有量の多少の違いによって、鐘状型や、円頂丘型になる。量が多いと粘り気のある火山で急峻な山体で、少なければ平らな山体になる。天狗原、栂池の広大な湿原も溶岩台地に発達したものである。) ハイマツの中に、平坦な岩塊の道が霧の中に続いている。 やがて大きなケルンが見えると山頂である。(16時00分着)、この熔岩台地を下ると雲の切れ間から、周囲に雪渓を抱いた火山溶岩の流出でせき止められた山上湖白馬大池の水面に赤い屋根の山荘が投影して見えた。安山岩質の岩が点在している山道は歩きにくい。大きな飛び石を慎重に渡る。
  小屋が見えてから40分ほどで白馬大池山荘(2380m)に到着した。すっきりしない天候だったが、まずまずの第1日目であった。(16時50分)、出発が遅れたことで18時頃到着予定と小屋に連絡していたが、ほぼ予定通りに着いた。小屋の人に「皆さん早かったね」と褒められた。

 花の非対称山稜、二重山稜(舟窪)を歩き、白馬岳、杓子岳、鑓ケ岳の三山を縦走し、皆既日食を白馬山荘から見る。
7月22日、第二日目(白馬大池〜小蓮華山〜三国境〜白馬岳〜杓子岳〜鑓ケ岳〜天狗山荘) 天気予報が気になる。小屋の掲示板には,霧、一時雨と表示されている。 小屋で朝食を済ませ、5時45分山下隆さんの主導によるストレッチを行い、曇天の東に向かい全員で遥拝した。天気祈願である。亜高山帯のハイマツのなだらかな崖錐帯の尾根雷鳥坂を登る。天気は快方に向かっているようだ。振返ると白馬大池の水面が望める。7時50分、小蓮華山(2766m)に着くがここは近年山頂が数m陥没、崩壊していて立ち入り禁止のロープが張られている。信州側は急峻な崩壊岩壁で、直下に落ち込んでいる。登山道の越後側はなだらかな周氷河斜面で、日本アルプス特有の非対称山稜が続く。地形に注意して歩くと、小断層により発生した二重山稜の形がはっきり確認できる。登山道近くに鉄剣が転がっている。小連華山頂に安置された大日如来さんはどうしたのだろうか?
  確認することはできなかった。8時30分、三国境(2751m)に着き休憩する。眼前に鉢ノ鞍部を経て鉢ケ岳、雪倉岳、朝日岳の連なりが続いて望める。全山雪を被っているように見えるのは山体が流紋岩や蛇紋岩、石灰岩などから形成されているからだ。砂礫地は日光の反射で白く輝き、ハイマツの緑と、残雪の白と、素晴らしいコントラスを演出している。その白き斜面は高山高原植物群落地で、特別保護地域になっている。
  これまでも、花博士たち(濱北紀子さん、堀尾洋子さん)の目には40種以上の高山植物が数えられた。ウルップソウも確認できた。さらに小起伏面の砂岩、泥岩の破砕された道を登ると、白馬岳山頂(2932m)に着く。(9時40分) 新田次郎の強力伝に記されている風景指示盤が設置されている。
  山頂の東側は、断層崖化していて、覗いてみると恐ろしいほどだ。眼下に溶岩台地に形成された栂池自然公園の濃い緑が絨毯のように見える。また大雪渓の登り口、白馬尻も深い沢の端に見える。白馬の頂はフォッサマグナの西縁の断層群が隆起したのち、雪食作用等により、急崖化が進んでいるのが分かる。360度の景観はかなわなかったが山頂での休憩に満足した。風衝草原の植物を観賞しながら少し下り白馬山荘に到着する。小屋から登ってきた若者が、日食が見えるよ!と教えてくれた。
  日食には、太陽を月が完全に覆い隠す皆既日食、太陽の中心を隠す金環日食などがあるが、これらは非常に珍しい宇宙の現象で太陽の周りを回る地球の軌道面と地球をめぐる月の軌道面が傾いているために、地球と月と太陽が一直線になる現象は、数十年に一度の周期でめぐって来る。 今度皆既日食が観測できるのは、2035年の26年後となるそうだ。私たちは白馬岳から下った白馬山荘で休憩している時間帯に、一瞬の雲間から徐々に欠けていく太陽を水蒸気の雲のフイルタを透して、はっきりと見ることができた。非常にラッキーなことだった。プロ並みにはっきり皆既日食を撮影した人(岡部貞雄さん、中廣正典さん)もいた。
  山荘を辞し風衝草原(縞状に植被帯と砂礫地が交互に現れる植物群落地)を下ると、杓子岳、鑓ケ岳がかすんで見える。大雪渓に下る分岐点を過ぎ尾根道を行くと、ゆるやかに曲線を描いた崩壊地があり、岩塊の小山が黒々と見える。氷河が融けて支えを失って上部が崩壊した離山とはこの山なのだろうか。大雪渓を登ってくる多くの人々が蟻の行列のように見える。2000年にはこの大雪渓を爽快な気分で滑りながら降ったものだ。
  俯瞰されるU字谷の大雪渓は、日本にも氷河があったという山崎博士の最初の発見地(明治35年)であった。(立山の山崎カールの命名者) 大雪渓の上部、葱平付近の高山植物の見事さは種類といい、固有種といい抜群な豊富さを誇っている貴重なお花畑である。雪渓と高山植物は高山に欠かさざるべきものである。 もし、白馬に万年の雪渓がなく、絢爛なお花畑が消滅せしば、高山の眺望は無味乾燥で、その景観はすこぶる価値のないものになるだろう。 
  大雪渓のU字谷から南に連なる谷にも、まばゆいほどの雪渓がせりあがっていて、鋭い岩峰が峻立しといて、崩壊した岩屑が斜面に降り積もっている。杓子岳(2812m)の頂上は目指さず、山下道(山腹)を選択、斜面のコマクサ群落を見ながら、白き山塊、鑓ケ岳に向かう。
  日本三大槍のこの鑓は、矢先が三本の漁業に使用するヤリを意味しているという。一説によれば、海人の出雲族が住んでいたという由来から名つけられたらしい。山頂(2903m)に到着(13時20分)。
  槍のイメージのないなだらかな山稜だった。山体の流紋岩や石灰岩の破砕された岩にはウミユリやサンゴの化石が含まれている。
  ここを下れば、鑓温泉への分岐が鞍部(13時50分)で、少し登り下ると雪渓を横切り天狗池の傍に立つ天狗山荘(2730m)に到着する。(14時30分) 夜中10時頃、外に出てみると満天の星が鑓から天狗に派生する黒々とした岩稜の尾根に降りかかるように横たわっていた。寒々とした夜のとばりの中で不帰の嶮(T峰,U峰,V峰)を思い、明日の天気は期待できると安心して眠りについた。

 日本三大キレット「不帰の嶮」の岩稜を走破、さらに唐松岳から牛首岳の難所を歩き、五竜山荘に。 7月23日、第三日目(天狗山荘〜天狗の頭〜天狗の大くだり〜不帰キレット〜不帰の嶮T峰、U峰北、南峰、V峰〜唐松岳〜牛首岳〜大黒岳〜白岳〜五竜山荘)
  5時朝食弁当を持って出発する。少しご来光らしい光景を見て天狗池を後に、いよいよ縦走路最大な難所、不帰の嶮に向かう。西から吹き上げる風が強い。天狗の頭(2812m)の大地につき、立山、剣岳の岨立った岩峰や、そこから派生した連なり小窓の王、池ノ平山、赤谷山を経て毛勝三山が聳えて望まれる。進行方向に眼をやれば、深い黒部川渓谷を挟んで対峙した急峻な尾根には、天狗の大くだり、不帰の嶮が鋸刃のように峻立っている。風のなせる業か山陵から直線的に落ち込む東側のナイフのように鋭い稜線の淵には、霧がそこから湧き出るように雲海を発生していて、視覚で感じる恐怖を消してくれるが、天狗の大くだりの頂から望む登山道は半端な急斜面ではない。 天狗の大くだりの前に朝食をとり勇気を出す。一人の若者が先に降りて行った。
  それにしても「かえらずの嶮」とは何と凄味があり、また何たる詩情に富んだ言葉だろうか。そしてこの険しい岩峰群を造形した自然の匠と長い年月の競作には感歎せざるを得ない。 さあ・・私たちも気合いを入れて、いよいよ崩壊した尾根を降る。ガレ場あり、岩盤のクサリ場あり、道は直下に落ち込んでいて厳しい。女性をサポートするため、男性の間に女性を組み入れた。(山口博さん提唱よる) キレットや嶮が見える。キレットとは「切れっ所」を意味する。比高差約300mの急降下である。キレットに到着(7時20分)少し休憩する。振り返ると天狗の大くだりは「行者ころげ」の感じがする。
  ここからいよいよ不帰の嶮(2614m)の厳しい岩壁をよじ登るのだが、岩質は石英斑岩や白い流紋岩、安山岩質などが貫入していて亀裂が多く発生している。第T峰への高度のある順層の岩壁を目印にしたがって、凹凸や割れ目を見つけ,フットホールド(足場)とハンドホールド(手懸り)の基本技術を駆使し三点支持で直登する。決して恐怖心を友達にしてはいけない。続いて登ってくるメンバーは緊張しているように見えるが、確かなバランスのとれたなめらかな行動で登ってくる。一つのピークを超えると、また次のピークが壁となって岨立ち塞がる。ルートは絶壁,断崖の鎖場あり、クレバス状の谷間を渡る鉄ハシゴの何でもありで、厳しい道であるが、メンバーの皆さんは、すこぶるリズムカルに、次々と快調に岩稜を通過していく。  見上げれば比較的緩やかに見える岩壁も登って見下せば垂直に見えるほどだ。傾斜度の目測を錯覚しそうだが、岩場を過少評価してはならない。峻険で荒々しい鋭鋒は頑強に行く手を阻む。岩場は登るにしたがい困難になり、危険度も増してくるように思える。一歩間違えば転落、滑落の危険が付きまとう。全身に緊張と、慎重さが同居する。岩稜の西面(富山側)、東面(長野側)と渡り歩き、時々、振り返っては後続の安全を確認する。最後尾の山口博さんが岩場からヌーッと現われるとホッとする。U峰北峰からU峰南峰が最も危険で険しい要注意の悪場である。ゆっくり、笑顔で,慎重に登攀し、南峰のピナクルの下をトラバースすれば展望の素晴らしい頂上である。落石もなく、滑落もなく、縦走路の最大の難関は全員無事で登破できた。(9時50分) 安堵がよみがえり、心の緊張感もほぐれた。前方にV峰と唐松岳が見える。 振り返ってみれば、さすがに不帰の嶮は岩場としては屈指の厳しいルートである。正直、恐怖心を抱いた嶮もあった。2005年10月、鹿島槍ケ岳から五竜岳までの日本三大キレットの一つ八峰キレットを山口博さん、倉光展子さん、倉光正巳さん、堀尾洋子さん達と走破したが、私の中では、はるかに不帰の嶮が険しいと判定した。もう、老のせいかも知れないと少し悲観的になったりしたが、「千山万岳」の志村烏嶺にあやかりたいとも思った。志村烏嶺は登山家であり植物学者でもあった。シロウマオオキ、ヒメウメバチソウの新種を白馬で発見した。
  白馬岳登行13回目の最後は83歳の単独登山だったという。(脱帽) 採取された高山植物の標本は4000種にも及んでいる貴重なものだという。白馬をこよなく愛した登山家である。
  V峰のA,B,Cの小さなピークを西側に回り込み登り切ると,唐松岳(2696m)の頂上だった。(10時40分) 山頂にいた若者二人に全員の写真をお願いした。唐松岳頂上山荘に到着する。同志社中学の生徒が唐松岳へ向かっていくところで、一瞬、小屋付近の喧騒が消える。ここで昼食にして、ゆっくりと這い蹲って登ってきた嶮の凄さをと思った。キレットですれ違った若者と不帰の嶮の危険さを話し合ったが、彼は牛首岳の岩場での滑落事故が多いといった。 昼食を済ませ、いよいよその牛首岳の難所に向かう。すぐに牛首岳の難所が現れた。
  岩質は赤みを帯びた節理の入った岩稜(チャート)で懸崖に細い鎖が道に沿って張られている。30cmに満たない狭い足場に、上体をあまり壁に寄せすぎると、体の傾斜と岩場の傾斜とが一致するとスリップしやすい原因になる。ここも慎重にバランスよく通過しなければならない。岩稜の垂直に近い脇腹の道は断崖絶壁の上に細々と穿たれていて、聞きしに勝る険しいものだった。いくつかのピークを細心の注意を払い慎重に通過して行き、やっと広々としたハイマツの草原に出ると、やはり安堵する。もうこんな厳しい道はなさそうだ。 やっと爽快な尾根歩きができそうだと思うと、嬉しくなった。
  一歩間違えば滑落の危険もあった不帰の嶮、牛首岳の難所を越えたことで、やっとみんなに笑顔が戻った気がした。

    (あや)ういの 不帰の嶮越えて来し  こともなき男女らの 笑み柔らかし

    不帰の嶮 踏み行く岩峰(みね)の険しさに 一歩一歩に わが汗はおつ

この一日、天候に恵まれたことが、無事踏破の最大の要因だと思った。 皆さんの健脚、登高精神の強固さ、技量ともども、素晴らしいものだった。
  山登りをする人は、健康な肉体を持ち、意志が強固で、謙虚で、慎重で、そして情緒を持っている人だと新田次郎は言う。大黒岳、白岳を越えていくが、五竜岳の断崖、絶壁のどっしりとした山体は、深い雲を纏って姿を見せてはくれない。15時00分五竜山荘(2490m)到着。五竜岳に登るために牛首の難所を越えてきたのだが、今日は登ることを諦め、あすの朝早く登ることにし、山荘でゆっくりすることにした。

  目的の五竜岳、残念の未踏、またを期して下山。
7月24日、第4日目、(五竜岳往復〜五竜山荘〜遠見尾根〜テレキャビン〜とおみ駅〜京田辺) 4時起床,五竜岳に登るべく準備をするが、雨模様、残念だが諦めることになった。 八方尾根を降らず、牛首の難所もいとわず越えてきた皆さんには、五竜岳が終局の目的だったはずが、目的が果たせず残念でならない。紙面を借りてお詫び申します。
  霧雨の遠見尾根下りも、かなりの負担がかかる。西遠見の雪渓でライチョウの親子をみることができた。高山植物も90種の数を確認できた。中でもチョウノスケソウやライチョウのレリック(生きた化石)にお目にかかったのは幸運だった。(山下隆さん報告書参照) 天気が良ければ鹿島槍ケ岳の豪快な北壁や、U字谷のカクネ里、大雪渓を望むことができたはずだが、こちらも残念、ただ黙々とした尾根歩きになってしまった。あまり天気に恵まれない4日間だったが、全員無事に不帰の嶮、牛首岳の岩場を走破できた事は幸運だったと思う。この縦走ではツリ名人を返上した人(山下さん)、禁煙ができそうだと自信を深めた人(石田さん)、岩場が面白かったと云うおてんばさん(濱北さん)、八峰キレットに挑戦したいという意欲的な人(中廣さん、金本さん)、岩登りに興味を持った人、高山植物をもっと知りたいと感じた人、縦走の面白みを知った人などなど、それぞれに収穫があったようだ。会計を担当頂いた徳田幸子さん、加藤幸子さんご苦労さんでした。また、山口博さんをはじめ同行の皆さんありがとうございました。



 

栂池登山口で登山準備 
 

白馬乗鞍岳の登りの雪渓 

乗鞍岳頂上視界は殆ど利かない 
 

白馬大池山荘が見えてきた 

22日 白馬大池山荘の朝出発前 
 

出発して程なく山荘を振り返る 

目の前に子蓮華岳が近づいてきた 
 

休憩して眺望を楽しむ 

白馬岳と鑓ケ岳方面が見えてきた 
 

白馬岳山頂で休憩 

白馬山荘が下に 
 

白馬山荘あたりから日食が始まる 

杓子岳とその奥に鑓ヶ岳 (日食のため少し暗くなる)
 

午前10時59分の三日月? 

その頃下に大雪渓が見えてきた 
 

14:30天狗山荘着 

早く着いたので夕食まで食堂で歓談する 
 

外は時々ガスがかかる 

23日朝5時前に出発して25分で天狗の頭到着 
 

前方にこれから目指す不帰嶮や唐松岳を望む 

右手には遥か立山や剣岳の雄姿が 
 

天狗の大下り(一気に300m下る)の前に腹ごしらえ 

霧に包まれ不気味な山容の不帰嶮
 

300mの急坂を慎重に下る

下ってきた天狗の頭を不帰嶮から振り返る 殆ど山の下まで一旦下る 
 
 

不帰嶮第T峰 緊張しながら登る

足元に注意してそろりと進む 
 

もうすぐ北峰山頂 

前方に南峰 もう少しで危険地帯脱出 左は唐松岳 
 

唐松岳(2,696m)山頂 

唐松岳頂上山荘より登ってきた唐松岳を見る
 

唐松岳頂上山荘

頂上山荘でホッとしたのもつかの間再び牛首の危険な岩稜を行く 
 
 
こんな標識を見るとよけいに緊張する 転落すれば90%あの世行き

岩稜地帯を抜けて一息つく 
 

五龍岳が眼前に 

五龍山荘につく頃霧がでてきた
 

15時五龍山荘着

夕方、山荘の部屋から五龍岳が見えた 
 

明日の朝登るのかと楽しみにしていたが 

24日朝、夜明けに降った雨もやみ五龍岳をあきらめて下山
 

霧の中遠見尾根を下る

途中雷鳥の親子に出会う 
 

眺望は全くきかず 

地蔵の頭到着 案内図で縦走してきたコースを確認
 

下山後4日ぶりのお風呂に入る

登山の後の風呂上りのビールは格別! 
 

4日間いい山歩きでしたね 

ビールも一杯ではたりませんね 
 

帰りのバスの中でも有意義な懇談が続く 

左は不帰嶮の向こうに聳える唐松岳・五龍岳・鹿島槍 右奥は立山・剣岳 真ん中の遠く奥に肉眼では槍ヶ岳も見えた (天狗の頭より) 
 

       登山道わきに咲いていた花たち           
     
     
     
     
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

                白馬三山〜唐松岳〜五龍岳〜遠見尾根 感想文集   
ツリ名人返上 (白馬・五龍縦走を達成)
山下 隆//
 5年前、教育部担当の時に丸山さんと共同で、宇治田原にある鷲峰山で読図登山を計画した。登りは4〜5グループに別れ、頂上で合流する計画だった。下山時は全員一緒に今年5月末のクリーンハイクと同じ旧登山道(大道寺道)を下った。途中で小石が多いところがあり、ズルリと滑ったとたんに腰から落ち、片足がツル。転んだ痛さで貧血を起し、両足にツリがきてとうとう動けなくなる。仲間に介抱され、平松さんにおんぶされ、橋本さんが4輪駆動車で山道を迎えにきてくれたりと・・・すっかり皆さんにお世話になった。そのときから、自他共に許す「ツリ名人」となった。
その後、体調をくずし、1年半位は例会には参加できなかった。参加出来るようになっても5回に一回位はツリがあり、「ツリ名人」の名は健在だった。当時、会員の中にもツリ名人らしき方が2−3人いて、どんな場合に発生し、どうして回避するか話題になった。ある時の山行の感想文に「坊主」だったと、ツリが出なかったうれしさを書いたことがあった。魚釣りに行っても、収穫ゼロの時に「坊主」という表現をするがそれを知らない人もいて、後で笑いをもらったことがあった。
  小生の体は使わないでいるとなまっていくのが他の人に比べて早いらしい。なんとかしなければと思う。人生真似っこが一番! Yさんが脚力作りにエージ甘南備山登山をしていることは有名だ。小生も真似して、週に1回は甘南備山か交野山にトレーニングをするようになった。交野山は少し遠いが、急坂があるのでしっかりと汗が出る。PETボトルで約5kgの負荷をかけ、時間を計測し、体調も見る。普段は週に2〜3回は卓球で運動しているが、山歩きの筋肉と違うようだ。何も運動しない日はやはり負荷をかけでマンションの非常階段の上下運動を30分する。昼間だと「変なおじいさん」の称号をもらいそうなので、薄暗くなってからすることにしている。汗もかきビールも上手い。又、腰痛防止に朝起きた時柔軟体操を日課にしているが、今年から取り入れた新しい種目は変形性膝関節症(ひざ痛)予防に有効とされる下半身強化体操です。これは外科医の黒沢尚先生が推奨する体操で両足に1kgの負荷をかけてやる寝っころがり柔軟・ストレッチ体操です。・・・・というわけで、この2〜3年はツリの頻度は15回に1回程度に減らすことが出来、ツレた時も小魚で済むようになった。
  先般の御在所での夏山トレでは、短い足での限界近くでの足運びが重なり、とうとう小物のツリがあった。今回の3泊4日の白馬〜五竜縦走では1日に10時間近く歩くので心配だったが、日頃のメンテナンスの効果が出て、厳しい山行を「坊主」で達成できたのは実にうれしかった。但し、山小屋での夢の中では、岩場で滑ったり、足をツッたりした。先頭から2番目を歩くようにとの配慮等マイペース歩行を許してくれた仲間に感謝する。
  帰りのサロンバス中での反省会でツリが話題になる。「エー、あの強そうな方がツッタの!」との例がいくつか披露された。今回の小生の健闘をたたえ、「ツリ名人」の称号はそろそろXさんやYさんに譲ったらどうかと話題になった。申し出があり次第、即座にベルトを渡します。ますます元気で山行をエンジョイなさっているYさんや三浦敬三さんのように、いつまでも真似を続け、今後も楽しい山行をと思っています。



中廣 正典// 
  先ずは私にとって、実に充実した山行だったと自賛しています。 その事は山友会HPの掲示板にも記しましたし、30周年記念誌にも投稿しましたので、そこに書かなかった事で私にとって記憶に留めるべき失敗談をひとつ書かして貰いたいと思います。
 3泊4日の縦走と云う事で、当然雨も予想される。そこで靴は今まで何年も愛好して来ている革靴と決めました。日頃日帰り山行では軽い布靴(防水仕様)を使用していますが、革靴により信頼を置いていたからです。
 山行初日はpm1時40分頃から歩き始めましたが、その時から軽い雨でした。3時頃からはとうとう本格的に降って来ました。そうこうする内、左足の靴下がちょっと湿って来たのです。乗鞍岳に来た時には明らかに水が入って来ていました。宿泊の白馬大池山荘に到着した時には、左足の靴は水を貯めジャブジャブといった感じになっていました。右は何の変化も無しなのに。
 今迄にも雨の際履いていた事もある靴なのですが、こんな事は一度も無かったのは勿論です。帰宅し泥を落とし油を塗った後水を掛けてみましたが、再現は出来ませんでした。一体どこから水が入ったのか?一つ推測しているのですが、大分長い間油を塗る等の手入れを怠っていた為革自体から浸透して来たのかも・・・と。
 それにしても右は大丈夫だったのに・・・。機会を見つけ再度雨の中を歩いて、何とか原因を突き止めたいと思っている次第です。北海道大雪山の悲劇を思えば、この大失敗は忘れる訳にはいきません。幸い今回は山小屋に乾燥室があり、且つ翌日からは天候に恵まれた為楽しく山行を楽しむ事が出来ましたが、翌日からも雨だったらと思うと楽しい山行などと言えたものでは無かった・・・と云うことになります。結果的にはOKでしょうが、個人的にはヒヤリハットの大いなる教訓になりました。


懐かしい白馬岳
金本 好彰//
  今回は、栂池スキー場より白馬大池を目指した。
 池の畔の大きな岩に着いたとき、20年前に家族4人で登った記憶がよみがえった。そのとき、白馬山荘での自炊の朝飯がラジウスの故障で少ししか食べられなかったので、昼に白馬大池の大きな岩のところで、故障しているホエーブスを使って4人で腹一杯ラーメンを食べた。
 20年前、娘が中1、息子が小5のとき、大糸線白馬駅よりタクシーで猿倉に行き、雪渓を登った。娘は「夏にこんなに雪がある」ことにびっくりしていた。小さなアイゼンを付けて歩いた。私は全部の荷物を持っていたので、中キスで荷物が重く、バテ気味であった。
 白馬山荘の手前から強風があり、子供が飛ばされないか心配した、少しずつ前かがみになって進んで山荘までたどり着いた。夕食は自炊で湯を沸かしていたが、ホエーブスの調子が悪く、他の人のラジウスを借りて自炊した。夕食後、小屋の横で見た剣岳はどっしりと座っていた。そのときは、いつか登りたいと思った。
  山小屋は満員で夕食後テレビを見てくつろいでいたら、寝床では大勢の人が寝ていて我々の寝る場所が無くなっていた。困って、すぐに山荘の人を呼んで何とかゆずりあって寝る場所を確保していただいた。
 翌日、白馬岳頂上より白馬大池におりて、昼食をとり、蓮華温泉を目指した。蓮華温泉に着いたときは疲労困憊で、ふらふらと小さな露天風呂を見に行った。焼酎を飲んで広い大きな部屋で一人寝ていたことを思い出す。風呂は内風呂を何回も入った。あさの朝日が注ぐ風呂は最高でした。  
 今回の山行は、過酷な富士山行をやめて、佐々木さんの指導で、白馬岳から不帰の嶮・牛首からのやせ尾根を越えて五竜の小屋まで行ったが、距離もあり、アップダウンあり、危険な場所もあって高度感で緊張したが、天気に恵まれ、釼・立山が間近に見えて非常によかったと思います。


不帰の嶮
石田 輝夫// 
 3日目(23日)4時起床,今日は体調がよさそうだ。1泊目の白馬大池山荘は、40年振りの山小屋宿泊でほとんど寝むれずに、体調不十分、バテ気味の縦走で一日が経過。2泊目の天狗山荘も心配したが、戴いた薬のお陰で5時間の熟睡が出来て、万全で望めそうだ。天候も良く、天狗山荘広場から、前方長野側は、五竜、鹿島槍、後方に槍ヶ岳。富山側は立山、剱岳を遠望し、素晴らしい眺望にワクワクしてくる。体操して、4時55分出発、天狗の頭(2812m)を目指す。頂上から天狗の大下りを危険なガレ場、岩場の連続を慎重に一気に300m下って、最低部コルに到着。
 いよいよ不帰の嶮の登破縦走です。不帰の嶮・何と不気味な名称でしょうか。この岩峰を目指す人は、2度と地上に帰る事が出来ないのでしょうか? 日本の3大キレットの一つ(他は槍、穂高間の大キレット、鹿島槍、五竜間の八峰キレット)見るからに険しい岩峰を形成している。一峰→2峰北→2峰南→3峰と約4時間の工程。ガイドブック、ネットで少々の知識を頭に入れていたが、全面に立ちはだかる垂直の岩壁の岩峰を見ると、心配、恐怖心が先にたつ。訓練登山の御在所岳を思い出して、3点支持確保、自信を持って頑張ろうと縦走開始、順調に1峰を登破し、最大の難所、不帰の嶮と呼ばれている2峰北の登りは、垂直にそそり立つ岩壁、殆んど直線に近い直登の鎖場、鎖場のトラバース、岩場のトラバース、鉄梯子等信州側、黒部側にトラバースし踏破。
 緊張の連続でしたが、慎重に、着実に、先輩のアドバイスのお陰で、なんとか2峰北の岩稜にたどり着いた。後峰を振り返ると、良く登破したものだと感嘆するばかりである。2峰南もなんとかクリアーし、最後の3峰を目指すも、なかなか頂上につかない、ガスがかかっていて、眺望もなくイライラしていたら、頂上到着、ちょっとおかしい人が多すぎる。なんと唐松岳山頂(10:50)。3峰はトラバースして、岩稜を通らなかったのです。間違いが、安堵の瞬間でした。終わって不帰の嶮を振り返ると,何とも言えない充実感に浸りました。無事に登破出来たものだと、素晴らしい感動を有り難うございました。先輩メンバー12人に本当に感謝しきれません。滑落の危険が一番あった最大の難所、不帰の嶮登破の成功は、私なりに考えますと。
 ・計画の緻密さ。(天狗山荘泊まりで、朝の体力充実の時間帯に登破出来た事)
 ・ベテランの間に経験不足の人の配置、私はベテランの堀尾さん、濱北さんの間に挟まれての4番目での縦走で非常に恵まれていました。
 ・天候に恵まれた事と、早朝登破で、対向者がなく、鎖場等で待つ事なく登破出来た事。 ・ 佐々木リーダー、山口サブリーダー始め、ベテランの指導、指示が良かった事。
 ・ 夏山ベストシーズンの白馬三山でしたが、平日で、山小屋がすいていて、部屋も広く使えて体調を整え易かった事。(私は山小屋不慣れで問題外ですが)

追記  
 4日目の帰りの車中、山友会の色々含蓄あるお話を聞かして戴き今後に役立てて行こう思っています。新人ですが頑張ります。武奈ヶ岳訓練登山1日前に禁煙したら体調良く登山出来たので、今回も19日より禁煙し、縦走に望み、8月になっても禁煙継続中素晴らしい成果ある山行と成りそうです。