仲間で喜びを! 山下 隆
お天気男と呼ばれている山口さんのめでたいお祝い登山にふさわしく、出発2〜3日前に発生した台風はそれてくれ、皆の願いが通じ、両日とも好天に恵まれた。7月末の白馬も一緒だったので天気に恵まれ、おかげで夏山を堪能出来た。後輩達よりも、体力・気力・企画力共に優れる先輩が元気に百名山を達成できるなんて実にうれしいことだ。
途中、北海道からお一人で本州8山登山旅行をしている78才という元気な方に8合目で出会った。その方は一人で登り、一人で楽しむ登山スタイルをとっていた。見た感じでは経験豊富に見えた。しかし、単独行では家族はさぞかし心配しているか?さじをなげられたか?心配する家族はいないのか?残りの人生を好きにやっている様子だ。よく、新聞で単独登山の事故がニュースになる。色々事情があって単独登山になったのだろう。
我ら山友会は安全登山を目指していて、仲間で苦しみも喜びも共有し、登山の楽しみは単独行より数倍楽しめるのに・・・。今回の山口さんの百名山達成御岳登山では、頂上でのシャンペンでの祝杯、工夫された横断幕や寄せ書きでの盛り上がりなど・・・単独登山ではなかなか味わえない喜びだ。奥様の苦労も沢山あったろうに、奥様からの裏話の一つ・二つの紹介が欲しかった。
百名山達成が間近の方々が後に続いていると聞く。又、お祝い会があるのかな!小生は山友会に入会し、例会と個人山行含めて今回で96回目の参加となった。百名山にはこだわりのない自然体でいく。今年中に100行事参加祝いが出来そうだ。ヤマグチヒロシとヤマシタタカシは3/7は一致しているので、同じ100でもよく似たものだと勝手に思っている。いつまでも、いろいろと見習うべき先輩でいて欲しい。山口さん、今後ともよろしくお願いいたします。 (09.9)
山口さん、100名山完登おめでとうございます。 樋口 修
「山口さん」、100名山登山達成おめでとうございます。御嶽山頂上でのシャンパンでのお祝いに参加できたことを喜んでいます。
今回は一泊二日の登山でしたので、私は、装備は防寒対策が主体でコンパプトなものでしたが、数人の方は、山頂や山小屋で山口さんの100名山完登を祝福する「シャンパン・葡萄酒・日本酒・焼酎」を担いでおられ、祝賀ムード一杯の登山でした。加えて、晴れ男の山口さんに相応しい好天に恵まれ、紅葉にはまだ早かったものの、山小屋での朝の外気温は2℃度とかなり冷え込み、日中も比較的涼しく、また、ロープウェイ頂上駅からの黒沢口登山道はよく整備されている等、絶好の登山条件がそろい、素晴らしい登山を楽しむことができました。
また、山小屋の前で見た、真っ赤に染まる夕日と輝かしい日の出は、山口さんの
100名山完登を祝うようなすばらし風景でした。御嶽山は、盆以降登山客は激減するとのことで、山小屋や途中で会った登山者は少なく、静寂を保っており、それだけに霊験あらたかな感じがしました。 最後に今回の登山を企画し、いろいろお世話頂いた佐々木さんを始とする関係者の方々にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
山口さん日本百名山完登おめでとうございます。 畑 武司 山口 博さん100山完登おめでとうございます。見事な快晴のもと23名の仲間とともに100山目の御嶽山に登山され、山頂において全員から祝福される素晴らしい光景に接し、我がことのように登頂した喜びと合わせ大変感動しました。これからも、ご健康で益々ご活躍されますことを心からお祈りいたします。
山口さんの御嶽山完登記念登山に参加して 丸山敏文
2009年9月8日16時 御嶽山で100名山の完登おめでとうございます。
この記念となる登山に一緒に参加させていただいたことを嬉しく思っています。
山頂を雲が取り巻き厳かな雰囲気の中、剣ヶ峰頂上御嶽神社奥社前で、佐々木氏の音頭でシャンペンで乾杯、そのときの山口さんの爽やかな笑顔が思い出されます。登られた名峰の数以上の苦しみと感動や想い出など、機会があれは拝聴させてください。100名山完登を心よりお祝い申し上げます。また計画していただいたリ−ダの佐々木さんと役員の方々に感謝します。
山口さんおめでとう
山口さん百名山完登の山、御嶽山へ 堀尾洋子
1997年市民登山で登った御岳山では、頂上付近で9月末であったが冠雪していて、寒く濃霧に巻かれ不安になったことが思い出されます。今回、山口さんの百名山完登の山が御嶽と聞き、同行して喜びを共有したく参加しました。
飯森高原駅からオオシラビソやコメツガの原生林をぬけ、女人堂に着いた。御嶽の全貌が開けて、歓迎してくれているようだった。溶岩のむき出しになった急坂を登ると覚明堂で外輪山の尾根に取りつく。コバルト色の美しい二ノ池を右に見て、なだらかな道を登っていくと剣ガ峰直下の急な階段についた。最後尾にいた山口さんが一番に頂上に登り、つぎつぎと登ってくる仲間と握手を交わし喜びは最高に達した。青空の広がる御嶽の天辺を独占してシャンパンで乾杯! 24名の満面の笑みを見た。工夫された横断幕を前に記念の撮影をして、二ノ池新館に下った。夕食の膳で再び祝杯をあげ賑やかな宴会であった。記念登山にふさわしい最高のセレモニーが用意されていてよかった。全員で寄せ書きをしてお開きになり、夕景の絶好ポイントの二ノ池新館前で、夕闇迫る西の空を茜色染めて沈む夕日を見て、東の空から赤味がかった月の昇るのを迎え、暗闇の空に競うように満天の星のショウの始まるのを待った。天空の動きに刻を合わすのに忙しいひと時であった。 星のオール出演とあれば無知も併せて見分けがつかずただ見上げるばかり・・・北斗七星とカシオペアで北極星を見極めて頭上に光輝く秋の四角形ペガサスの大四角形とそれに続くアンドロメダ、その左にM31と呼ばれる大星雲が少しぼやけて見える。星座のことに詳しい倉光さんの解説に聞き入った。
翌朝、ご来光を拝し6時20分小屋を辞し魔利支天に向かう。賽ノ河原をトラバースし三の池分岐にザックをデポして空身で頂上に向かった。頂上は狭く岩の重なりがゴロゴロしているが展望はよく気持ちがいい。三の池に下り継子岳をカットして女人堂に向かい山腹の長い下りを行くことになった。ブルーベリーの原種オオバスノキの藍色に熟した実を手と口が染まってしまう位食べながら
のゆっくりした下山だった。木曾温泉に着き、待機していた山口さんの奥さんたちと、三度目の祝杯をあげ、帰路についた。山口さんの笑顔が素敵でした。本当におめでとうございました。
山口さんの百名山完登と御嶽山 倉光 正己
1.百名山完登、おめでとうございます 山口さん、おめでとうございます。藤富さんご夫妻、佐々木さんに次ぐ4人目の完登者。山友会30年の歴史に重なるおめでたい快挙だと思います。そのあとにも数人、完登目前の方がいらっしゃるようで、私などから見るとまぶしいくらいです。
山口さんの最大の功績は、ご自分の百名山山行の多くを、会員も参加できるよう山友会例会として企画して下さったことだと思います。佐々木さんもそうでした。ご病気以前の藤富さんもそうでした。統計を取ったわけではありませんが、ここ数年間で百名山以外もあわせた山行例会の企画、実施数は、山口さんがトップではないでしょうか? オメデタイと同時に、山友会および会員としては大いに感謝しなければなりません。
私個人にとっても、個人山行も含めて、ご一緒させていただいた山行数の一番多い方は、これも統計抜きですが、山口さんに間違いないはずです。そういう山行で、いろんなことを教えていただきました。どうかこれからも、年下の「若年寄」どもが舌を巻くお元気さで、山友会を引っ張っていただきますよう、心からお願い致します。 2.はじめての御嶽山
山口さんの百名山目が御嶽山。その前の3人の方のゴールには立ち会えなかったので、今回、初めてそういうおめでたい山行に参加させていただいた。
子どもの頃を振り返ってみると、高い山の名前なんてほとんど知らなかった。さすがに「富士山」は知っていた。頭に3つの突起を持ち、長く裾を引く富士山の形は、お絵かきでよく書いた。郷里の山だから、「大山」も知っていた。ほかに何を…と思い返すと、「御嶽山」と「磐梯山」である。その理由は、もちろん民謡である。あのころのラジオでは、日本民謡の番組がたくさんあった。そこから流れてくる民謡を、意味もよく分からないまま、なんとなく聞き覚えてしまった。♪キソノナ〜ア、ナカノリサ〜〜ン、キ〜ソノオンタケサハ、ナンジャラホイ…、 ♪アイヅバンダイサンハ、タカ〜ラ〜ノ〜ヤ〜マ〜ヨ〜…。民謡独特の合いの手の囃し言葉ともどもよく覚えているが、最近はめったに聴く機会がない。
大学生になって、姉夫婦がいた会津の山奥のダム工事現場に3年連続で夏休みごとに出かけ、磐梯山とは顔なじみになったが、まだ登っていない。御嶽山は、北アルプスから、平野部にそびえる思いもかけない山塊として目にしてきた。山塊が遠ければ白山、近ければ乗鞍、中央にデンと控えていれば御嶽、という形でお目にはかかった。しかし、この山は近くで見るチャンスがあまりない。木曽路を車で走っていても、川の合流地点で、谷の奥にチラと姿を拝めるくらいのものであった。もちろん、まだ登っていなかった。さすがに信仰の山。登山道は整備され、頂上付近も開かれ尽くしているが、3000mレベルの高さの広大さは、諸山で随一ではなかろうか。山塊としても大きいから、山が奥深い。いまは木曽谷からかなり奥までバスが入り、その後もロープウェーなどで、かなりの高さまで登れる。でも、江戸時代、木曽谷から徒歩で頂上を極めるには、いったいどれくらいの時間がかかったことか。信仰の持つ力のすごさを改めて思ったことだった。
下山して、温泉旅館でもった祝賀パーティーは、奥様も参加してくださり、山口さんにふさわしい、なごやかなものだった。いい山行に同行させていただき、ありがとうございました。
御嶽山(百名山、百座目完登同行) 石田 輝夫
深田久弥の日本百名山を読み直すと、60番御嶽、山は省略されている。北、中央、南アルプスにも属さなく、悠然と孤立している均衡のとれた美しい山で、信仰登山の組織と戒律と風俗を濃厚に保っているのは御嶽だけで、信仰の山、庶民の山と記載している。時期がずれていて、御嶽教信者、白衣装束の人には会わなかったが、「六根清浄」と、唱えて登るそうですが。
9月8日(火)早朝6時過ぎ、松井ヶ丘バス停到着、続々と皆様集合されて来る。本日の人数は総勢28名との事、山口さんの記念登山に、流石に山口さんの人徳が偲ばれます。
台風の影響も回避され、素晴らしい山行が期待されるとワクワクしての大型バス乗車。京滋、名神、中央道と順調に走破し、中津川ICで一般道に出て、飯森駅到着。ロープウェイに乗車し、7合目到着。
いよいよ記念登山の開始、行場山荘(閉鎖中)→八合目女人堂、→九合目、覚明堂、→御嶽頂上山荘、→御嶽神社奥社の順路。ゆっくりしたペースでの登山でしたが、私はバテバテでした。頂上の奥社階段での山口さんの100座完登のポーズ写真撮影、奥社入口での山口さんと全員との握手、頂上広場で全員での100座登頂記念撮影(横断幕2枚)、シャンパンでの乾杯。佐々木さんの段取りとご配慮で、素晴らしきセレモニーでした。
こんな素晴らしい記念登山の現場に立ち会え、感激に浸りました。古希過ぎての、私と10歳も違うなんて信じられません。健脚ですごいスタミナです。日頃の精進と、奥様のサポ−トのお陰で、100座完登されたものと、本当に山口さんおめでとうございます。今後益々お元気で山友会をリードして、ご指導をお願い致します。昨年山友会に入れてもらいましたが、最初の9月のトレーニングで比良山系のヤケ山、釈迦岳のCLが山口さんでした。親切に色々教えてもらいました。 今回の山行での私の反省は、最近の急激な体重増加約2kg(2ヶ月弱の禁煙での成果?)と、ワイン1.8Lの重さで、8合目過ぎより、バテバテとなり、ザック毎,樋口さんと交換してもらい、ダブルストックを西上夫人にお借りして、何とか頂上を極める事が出来ました。本当に恥ずかしい限りです。樋口さんには大変な御迷惑を掛けてしまいました。白馬三山縦走から1.5ヶ月経過、トレーニング不足と体調管理不備を深く反省しています。それと、帰りのバス車中での、過度の飲酒でのご迷惑も併せてお詫び申し上げます。反省ばかりで、進歩しなくてはと思っている昨今です。
徳田カヨ子
山口博さん、日本百名山完登おめでとうございます。私が17年前に初めて3000m級の山に登ったのが御岳山でした。その時は、田ノ原から王滝道を夜間登山で、山頂の剣ケ峰で御来光を拝み田ノ原へ下山するコース、この山行に数回参加しました。山口さんの日本百名山の最終の山、私にとっては久し振りの御岳山、皆さんと一緒にお祝いさせて戴こうと思い参加しました。二ノ池新館小屋から眺めると、白山の稜線に沈む夕日、明朝、雲海近くの乗鞍岳、その向うに穂高連峰、槍ケ岳と幾重にも重なる稜線が朝日に輝きとても素晴らしい眺めでした。
今回はロープウェイを使って登るコース。今年は全く山へ登ってなかったので嬉しくて前夜熟睡せずに朝になってしまった。ロープウェイを降り準備体操を済ませ調子良く歩けていたのに30分程歩いた頃、急にむかつき、何も出ないのに吐き気がし、血の気が無くなる様な状態になったので高山病になったと思いました。帰って話をしたら、その時の体調により標高があまり高くないので気圧の加減で高山病によく似た症状になる事もある様です。
その節には、丸山さんにザックを持って戴き、大谷さんには酸素の液をいただき大変お世話になりました。その後1時間程で元の体調に戻り皆さんと共に行動出来て良かったです。バスに乗車した時はホッとしました。佐々木さん、山口さん、参加された皆さんどうも有り難う御座居ました。
初めて登る御嶽山 上角 弘務
山口さんの100名山完登に、最後の山となった霊峰御嶽山に、ご一緒に登りませんかとの、お誘いをいただき参加した。信仰の山として名前は知っているが、初めて登る山である。
天気が好かった・好天に恵まれた2日間であった、暑くもなく快適に登れ、そして眺望も満喫できたのはよかった、頂上の剣ケ峰(3067m)では一時ガスったが、二ノ池小屋からの夕日と白山のシルエット、雲海からの大きな日の出、此処でしか見られないすばらしい景色であった。
山も好かった・はじめて登る山では何時も、どんな頂上か展望は良いのか等、大きな期待を持って登っているが、今回は大満足であった。噴火の後が感じられる5つの火口と、多くの峰を持つ、雄大な山容の活火山であった、火口跡の二ノ池にある水の色が美しく、印象に残っている。
心温まるお祝いもあった・日本100名山完登は、一生に1度の大事業であり、体力と強い意志の賜物だと思う、祝福を受けて当然だ、それは標高3067mでの乾杯から始まった。夕食時、2日目の昼食時えと幕は続いた、主役のほか脇役や裏方、参加者全員を感動させた演出家のおかげで大成功の2日間であった。
28人全員無事に帰ってきました、佐々木さん、山口さんお世話になりました、参加された皆さんありがとうございました。 |