西穂独標から焼岳、乗鞍岳方面/ |
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山行報告 | 中島 貞夫 | |
9月5日(土) 京田辺6:00−新穂高温泉10:30−11:30西穂高口12:20−西穂高山荘13:30 泊
新穂高温泉までは順調に走り駐車場に入ったがどこも満車で、警備員にたのんで詰め込んでもらった。観光客で一杯のロープウエイで西穂高口まで上がり、屋上で雲の切れ目から槍ヶ岳を確認して西穂山荘へ出発した。数人下山する登山者とすれ違ったが、山荘に着くと多くの登山者でテラスは一杯であった。時間も早いので丸山まで登って展望を楽しんだ。遠くは雲に覆われていたが、西穂や焼岳,笠岳ははっきり見られた。今夜はフトン1枚に1.5人でゆったりと寝られたが暑いのにはこまった。 9月6日(日) 山荘3:50−西穂独標5:00−ピラミッドピーク5:45−西穂高岳6:55−天狗岳9:25−ジャンダルム12:10−奥 穂高岳14:15−穂高岳山荘15:00 泊 月明かりで薄暗い中を4時前にスタートする、丸山まで登ると風もあり指先がつめたく感じられる。前方の西穂や前穂がシルエットで浮かぶ。独標近くなるとヘッドランプもいらなくなり歩きやすい。同方向に向かう数人がいる。ここからが神経を使って進むべきところでいくつかのアップダウンの後西穂高岳に到着、今朝から歩いた尾根が足の下にみえる。上高地は雲海の下である。前方には大きな奥穂高岳が屏風のようにそびえている。一端大きく下りて天狗岳に登り返してまた大きく下ってここからが奥穂高岳への登りだ。大きい岩を登ってまた登ってもなかなか上が見えない。2時間くらいかかってようやくジャンダルムが見えるところまできたが、ガスに覆われはじめてはっきりと確認できない状態になり、しばらく風の流れを見て空荷でジャンに登ったが下はまったく見えない。トラバースしてロバの耳に向かうが厳しい下りで一歩一歩、一手一手を慎重に、ゆっくりと降りて前に見える馬の背を登る、名前のとうり全体に丸くなった岩稜の先は刃物のようだ。其の上には奥穂のピークが見えて人もいる。険しかった縦走路もここまでで終わり一安心である。ゆっくりと休みたいと思ったが、ガスに覆われていてそんな雰囲気でもないので山荘まで降りてからお茶でもと早々に下る。ツアーの登山者数十人が空身で登ってくるのを待つ。危ない鉄梯子をおりて山荘のテラスで無事縦走を祝いカンパイ。 涸沢フェスティバルがあるとかで山荘は満員、フトン1枚に2人で今夜は寝られないのではないかと、談話室で9時まで寝酒をチビリと付き合って寝るが、夜中に廊下に移動する。 9月7日(月) 山荘6:40−涸沢岳7:05−穂高岳山荘7:40−白出沢―荷継沢9:50− 11:50白出沢出合12:40−14:00新穂 高温泉15:00−京田辺19:40 昨日の夕焼けはきれいだった。西の空の雲海の上に黄金いろから赤くなるまで長い時間楽しませてもらった。東の空には満月が輝いていた。今朝は上空に雲が無く東の水平線が明るくなってきて、浅間山の煙が上がるのが分かり、八ヶ岳の上の雲に朝日が縞状に反射しているのを、カメラマンが盛んに写している。やがて浅間山の後から太陽が昇ってくる。こんなきれいな日の出をみられたのは何年ぶりだろうか。 ゆっくりと仕度をして下山にかかろうと思ってテラスにでて空を見上げるときれいな青空に涸沢岳が目に入った。時間もあるので登ることに合意して荷をおいて上がる。登るにつれて南に富士山と南アルプスが現れてこれはラッキー、30分もかからづピークにたつと北に槍ヶ岳から北穂高岳がまじかに見られ、これまたラッキーだった。うしろには昨日歩いた西穂からジャン、奥穂がはっきりと確認できた。 長い白出沢の下り、うんざりというところで岸田さん転倒、足のすねに切傷を負う。 幸い歩くには支障が無いので良かった。荷継沢から林間の中に入り少し涼しくなり、鉱石沢からは沢を見ながら歩いた。途中に細長い滝がありはるか上の方に西穂のピークらしいのが望まれた。右俣林道出合でのんびりと昼食、槍ガ岳から降りてきた人が通り過ぎていく。穂高平の牧場でのんびりと草を食む牛を見ると下界におりてきた、今回の山行も無事おわったのを実感する。 今回の厳しい穂高の縦走のために、弱音もはかず私の後をついてトレーニングをして無事完走できたことを岸田、北村さんに感謝とお礼をいいます。 続きは来年を期待して、がんばりましょう。 |
西穂からピラミッドピーク |
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天狗岳から西穂高岳 |
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天狗岳から奥穂高岳/////////////////////////// |
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天狗岳から槍ガ岳 |
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涸沢岳から奥穂高岳、ロバの耳、ジャンダルム |
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「写真提供は中島さん」 |
西穂高岳〜奥穂高岳の縦走を終えて | 北村 正博 |
この山行の感想を書くにあたって、今回ほど“心”“技”“体”の準備の大切さを真剣に考えさ
せられたことは無かった。この計画が出たのは5月号の「かんなび」。今年の夏山は迷わず「Om
から登る富士山」と今回の「北アルプス縦走」と決めていた。7月の富士登山は、帰った日の夜
の落石死亡事故のニュースにショックも受けたが、無事終えられた事に非常に満足していた。し
かし、今回の山行は、いつもの山登りとは異質のものだった。 追記 富士山の時もそうでしたが、また帰ってきた後に、死亡事故の嫌なニュースが飛び込
んできました。11日こはジャンダルム付近で、あるパーティーの男性が心肺停止になり。
その方を救助する為の防災ヘリが墜落し3人の隊員が死亡されました。 14日には吊尾根で1人が滑落死、1人が凍死(その方を助ける為か?)で発見されました。 |