丹沢山頂上にて |
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山行報告 | 佐坂 茂美 | |
昨年11月に引き続き、再度の丹沢を含む山行である。 立案時は「天城山」のアマギ石楠花をメインに5月末の山行予定だったが、急遽天城山を計画から外した為、山での希望は”富士山”と丹沢山の”鹿”のみとなったが、天気予報ではこの山行中はずっと雨模様で唯百名山・3山に登ることのみが目的となってしまった。
1日目 − 京田辺から奥多摩・馬頭館へ − R411での途中、明日登る「大菩薩嶺登山道入り口」の案内標識を右に見て青梅街道(大菩薩ライン)を走続ける売り出しが、昨年の宿”お祭り荘”は売り出しの看板が掲げてあり、廃業してしまったらしい。「お祭り荘」を通り過ぎ、鴨沢バス停から左に入り明日の登山口(駐車場)確認の為狭い狭い道を走り続ける。やがて初日の宿泊先「馬頭館」に予定より少し早く到着。部屋にコタツの用意がしてあり入浴の前にビール等を少し(?)嗜みくつろぎ、明日の出発時刻などの確認をする。食事、雑談の後就寝。 2日目 −雲取山ー 小屋は早朝のためか営業はしていない。この小屋を過ぎヨモギノ頭、小雲取山へ。この付近では天気がよければ富士の山がその姿を見せてくれるが残念ながら、何も見えず。唯左道脇に群生するフキと数本のツツジが花を付けていたのがせめてもの慰めである。淡々と登り続けヘリポートを過ぎると、やがて最後の胸突き八丁にさしかかり、山頂小屋に到着。 頂上では東京都の三角点、埼玉県の三角点と2箇所あり。ここも何も見えず昼食を済ませ下山開始。コースタイム通りの時間経過で駐車場に到着し、そのまま「ロッジ長兵衛」の向かう。「長兵衛」での湯は冷えた体には真に有難く皆で体を温め夕食の席に着く。ここではハウスワインもあり「赤」「白」を試飲(?)し併せてビール、焼酎などを嗜む程度(?)に楽しむ。その夜の宿泊は私たちだけで、一人ひとり個室で安眠できたのは幸いである。 3日目 −大菩薩峰から丹沢(塔ノ岳)へ −
幅広い林道を歩きやがて「勝縁荘」を右に見て、凡そ50分で「介山荘」に到着。守口さんによると「介山荘」は改築されたらしく立派な小屋だった。小休止の後、再び歩行開始。 雨中では何の楽しみも無く唯歩を進めるだけである。この辺りから林道は無くなり、山道らしくなる。天気さえ良ければ富士山の眺望を楽しめるはづの「大菩薩峠」を超え、若干の岩場を通り、下りきった所で「賽の河原」の標識と非難小屋を見る。 ここからザレ場を登り「妙見の頭」に到着。約10分程度で下山ルートの分岐点「雷岩」に到着し目的地「大菩薩峰」をピストン。ここで数人の登山者に会う。 年齢的には我が「山友会」の面々と同じと思えるやや老けた登山者グループである。下山ルートの「唐松尾根」は剥き出しの岩のゴロゴロした急勾配で、雨にも濡れていて、脚の踏み場を確保しながら注意深く歩く。 途中、男2人、女2人の若いグループと会う。 背に重そうなザックを背負い、聞けば某大学のワンゲルの部員とか。 「山も就活も頑張れよ」と声をかけると「頑張ります」との返事。山より「就活」が大変だろうなと同情しながら後姿を見送った。「唐松尾根」も無事に終え、福ちゃん荘奥で乗車し再び、「長兵衛」へ。 遅い朝食を済ませ、次の山「丹沢山」の登山口「二俣」を目指し塩山、中央自動車道を通り、山中湖を過ぎ かの有名な「R246」を秦野市内に入る。ナビでセットした「どんぐり山荘」を目指し移動は続く。ここで若干の迷走状態になり、目的地を「県民の森」に切り替えナビセット。 里山の道のような狭いルートの後、県民の森での駐車場に到着。 二俣の河原で昼食を終え、山行開始。 (この地点で地図を広げルート確認。 この作業が携帯電話を失くす誘因となってしまった。) 今夜の小屋・塔ノ岳の「尊仏山荘」に向かい急途を登る。この頃になると雨も止み歩き易くはなったが林の中を唯ひたすら登り続ける。堀山の家を過ぎる頃から丹沢山塊のどのルートでも設置されている木道の連続である。 当初の設置は土留めの目的ではあろうが、留めるべく土は流され 歩き難い事この上なし。堀山ノ家、花立、金冷シを過ぎ午後4時頃に塔ノ岳(尊仏山荘)に到着。山荘付近で「鹿」の歓迎を受けたが、早々に小屋に入り濡れた衣服を脱ぎ捨てる。 ここで守口さんのズボンに付いた血を発見。慌ててズボンを捲りあげると「蛭」を見つける。急いで塩を塗りつけたが処理出来ず、小屋の人がライターで焼き切ってくれた。 二俣の河原付近は「蛭」の多い場所とか・・・・ (こんなルートを設定し申し訳ありませんでした。出発の前夜守口さんから「蛭」は大丈夫か?」との質問に何度か丹沢に来たが一度も蛭にあったことはないと返事はしたが。 なにか予感があったのか・・・・。応急処置も終え、荷物も片付け、夕食(当然アルコール付き)、就寝。 天気さへ良ければ、この山荘から新宿界隈から、秦野市街、遠く房総半島、横浜界隈の光の帯を楽しめるのであるが 今回は悪天候の為、おとなしく就寝する。 4日目ー最終日 丹沢から鍋割山、そして帰途へ −
なかでも親子二人連れ(お父さんとその息子)に声を掛けたのが何故か記憶に残る。(後でこの親子が私の携帯を拾ってくれた方で、今は平塚に住んでいるが、橋本(八幡市)に実家があり度々帰省しているとか。下山も「ヒヤリハット」もなく、駐車場に到着。衣服を全て再点検し蛭の付着していない事を確認後、秦野市の温泉「ほたる」を目指し移動開始。 入浴後、着衣を着替え帰途に着く。静岡を通過している頃に漸く晴れ始めた西の空を恨めしく思いながら 午後9時予定通りに京田辺に到着。何の感動もなく唯雲取、大菩薩、丹沢を登っただけの山行となってしまいました。 ヒヤリハットはありません |
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「写真提供は秋月さん」 |
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5月28日(木)より4日間、奥秩父に位置する雲取山、大菩薩嶺と丹澤山の三山の山行に同行した。リーダーの佐坂さんは昨年、個人山行で雲取山、丹沢山には行かれたとのことであるが、今年は5月例会として計画をされた。最終参加人数はリーダー以下4名で佐坂さんの車1台で行くこととなった。
関東地方の天気予報は前半曇、後半は回復とのことであったが、前半の雲取山から後半の丹澤山まで、ずっと雨模様の毎日で雨具のお世話になりどうしで、結局4日間の間、富士山を見ることが出来なかったのが残念であった。しかし、佐坂リーダーの入念な計画により山行は各山とも順調に推移したし、山小屋での歓談もあり、楽しい山行であった。 初日は京田辺から佐坂リーダーの車で出発、トイレ休憩を入れて早いうちに奥多摩、鶴の湯温泉の馬頭館という鄙びた旅館に到着、小さな浴槽での入浴、山菜と川魚料理と持ち込みのアルコールで旅の疲れを癒し早めの就寝についた。29日、旅館特製のおにぎり弁当持参で朝、6時に出発、雨模様の天候の中、雲取山山頂を目指す。昼前に山頂に到着、何時もの通り記念写真を撮り、弁当を食べ下山にかかる。午後3時過ぎに駐車をしておいた場所に下山、雨具を脱ぎ靴の汚れを取って次の目的地に向かって車を走らせた。2時間ほどで上日川峠(大菩薩峠の8合目あたり)にある「ロッジ長兵衛」に到着、冷えた身体を湯船に浸し、一息を入れた。そこでの泊り客は我々4人だけ、宿の主人による山菜料理でこの日もワインとビールで明日の英気を養った。 30日は朝4時過ぎの出発、ロッジ福ちゃん荘前まで車で行き、そこから大菩薩峠を目指して登山開始となった。大菩薩峠を経由して大菩薩嶺に着いたのは午前6時半過ぎ、唐松尾根経由で下山したのは8時前で約3時間の山行であった。ロッジ長兵衛にもどって朝食をとり、最後の山の丹沢山を目指して移動開始となった。 東富士五湖道路、東名高速道路を経由して神奈川県の「県民の森」駐車場まで約3時間の車移動であった。 すぐに山行開始、登山口の二俣で簡単に昼食を済まし、12時過ぎにその日の泊まる搭ノ岳山頂にある尊仏山荘を目指すこととなった。急登の連続で予定時間3時間のところ約4時間かかっての山行になった。山荘に入りとりあえずビールを一杯、一段落してふと守口さんの足元を見ると脛のあたりが赤く染まっている。蛭に血を吸われているではないか。痛くも痒くもないとのことであるが、早速、止血のためテーピングをすることとなった。蛭は血小板の働きを止める液を出すとのこと、なかなか血が止まらない。このシーズン何処の山でも蛭には充分注意が必要である。午後6時の夕食はカレーライスのメニューでビールと共になかなか美味しく頂いた。 5月31日(日)この山行も最終日、天気は回復傾向であるが未だはっきりとしない天候である。朝からおでんの朝食をとった後、荷物を山荘に預けて5時過ぎに丹澤山を目指した。(丹澤山系の最高峰の蛭ヶ岳には時間の都合で次回に廻すこととした。)最初は足元の悪いぬかるんだ下り階段でその後は登り階段という結構階段の多いルートであった。7時に山頂に立ち記念写真を撮ったあと同じルートで搭ノ岳の尊仏山荘まで戻り、一休みのあと8時半ごろ後沢乗越ルートで下山することとなった。山荘のご主人の話で帰路途中の鍋割山山頂にある鍋割山荘の鍋焼うどんは量も多く値段も980円と手ごろで美味しいとのこと、佐坂リーダーが鍋割山荘に電話予約を入れたあと尊仏山荘をあとにした。 10時ごろ目的の鍋割山荘に到着、朝食も早かったこともあり本当に美味しく鍋焼うどんを頂いた。 あとは下る一方、日曜日でもあり結構登られる人たちが多く挨拶を交わしながら登山口の二俣に着いたのは正午になった。帰路、一寸横道をして神奈川県秦野市にある鶴巻温泉の「ほたる」で疲れを癒し、あとは一途に京田辺へと帰路に着いた。リーダーの佐坂さん、サブリーダーの秋月さん、地元に詳しい守口さん、本当に有難うございました。 |