熊野古道逢神坂峠
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山行日
2009年4月17(金)〜19日(日)
天候
薄曇り→晴れ→晴れ
コース
4/17:松井山手7:05⇒10:12鷲毛バス停⇒11:00馬越峠⇒11:40天狗倉山12:20⇒13:38下山口⇒八鬼山登山口13:50⇒16:10八鬼頂上⇒18:00三木里下山口⇒18:03宿・4/18:宿7:45⇒三木峠登口8:10⇒9:30羽後峠9:37⇒10:00下山口⇒10:26甫母峠登口⇒11:22甫母峠⇒13:00太郎坂広場⇒13:40二木島峠登口⇒14:04二木島峠⇒15:20みなとバス停⇒15:30新鹿温泉⇒16:50宿・4/19:宿7:45⇒8:05波田須登口(観音道)9:20⇒大吹峠登口9:30⇒9:48大吹峠⇒10:30石切場(下山口)⇒10:40花の窟神社11:09⇒12:20古道センター14:20⇒15:20伊勢大内IC(芸濃ICから一般道)⇒7:40新田辺駅前
参加者
リーダー:山下  サブリーダー:倉光
男性:秋月・岡部・金本・佐坂・徳田・西上・三宅・村上・守口・山口・弓仲
女性:秋月・伊丹・加藤・徳田・西上・堀尾・吉津・頼
合計:22名    

 

    山行報告  山下 隆

 今回のコースは世界遺産指定道があり、そこそこのアップダウンがありで山友会の会員にも満足いただける場所でかつ風光もすばらしい尾鷲市の周辺の伊勢路とした。CL,SL,運転手とも前回と同じ。天気予報は3日とも良好で、曇り1日、快晴2日でこれだけで今回の企画は成功したようなものだった。どこを歩いても新緑にあふれ、山は笑っていた。八重桜もところどころに残っていた。各夕食は新鮮なお刺身と30周年記念行事での残りの酒を格安で仕入れ、皆さん大満足だった。

 4/17日;予定より50分早く登山口に着いたので、馬越峠から番外の天狗倉山にのぼる。交野山の頂上岩の2−3倍の岩山頂上で絶景を眺めながら昼食。伊勢路一番といわれる石畳道を下る。その後今回の最高峰の八鬼山627mにチャレンジ。地権者の世界遺産反対のペンキに考えさせられながらの登り。天狗倉山を欲張ったので、歩行時間は8時間となった。下山口では6時の見込みとなり教育部からライトを携帯しているかチェックが入る。★ひとつでなく、実際は★★でキツイ熊野古道となった。

 4/18日;5峠越えで全体の標高差は800m。バスでの乗り降りは途中3回。最後は新鹿温泉で汗を流し、男・女共に生ビールで乾杯。今日は★で程よい疲れと空腹感。

 4/19日;趣が少々違うわき道の観音道を選ぶ。出だしでヒヤリハットの間違いで時間をロス。時間の制約から正規の熊野古道の大吹峠コースとし今回の峠歩きは終る。最後はいざなみの尊をまつる花の窟神社で無事を感謝し、帰り道には観光名所「獅子岩」に何年振りかで寄り、自然が作った彫刻に感嘆する。尾鷲市の熊野古道センターで入浴し、田舎風バイキングをむさぼる。バスの車両故障と高速渋滞で帰宅は遅れたが。  費用;2.5万円/人

 ヒヤリハット
4月19日;観音寺コースを波多須登山口から登り始める。約200m行ったところで、2つのテープに誘われて左折。30分弱たち、古道の雰囲気との違いを感じ始める。皆でルート捜すも杉の枯葉で覆われ、それらしきルートは見つからず。間違えたと判断し、もとの登山口に戻る。ロス約1:15分。テープは林業者の作業道の印らしい。携帯電話の通話範囲で助かる。反省;2.5万分の1の地図の不携帯。岐路では要注意。観光マップだけでは大事な時に不明瞭。




 
     熊野古道感想文集     

 熊野古道は平成13年に中辺路から本宮まで14年に本宮から熊野速玉大社まで歩いた。今回は伊勢路のコースの良い所取りを山下さんが企画して呉れて参加させていただいた。神のこもる国と信じられた熊野は極楽往生の霊験あらたかものとして、平安中期から江戸時代にかけて多くの人がこの道を歩いた。

  この時代の信仰心の深さが偲ばれる。世界遺産に登録に際して反対の人も居たようで、両脇の木や石に赤いペンキが塗られて延々と続いて気分が悪い。無駄なお金と労力をかけての馬鹿げた行為であり悲しい限りだ。

 伊勢路コースは石畳の古道が多く残っていて、アップダウも有りハイキング気分で来たがなかなか厳しくて変化に富んでいて歩き応えがある。1日目の下山中に滑りお尻を打撲して以後のハイキングに参加出来ず残念で、皆さんにご心配をお掛けしました。2日目はドライブで熊野灘の景観を堪能して温泉でのんびりさせて頂き、3日目大分回復したので観音道コースを下山道から逆に一人で歩きました。雨の多い尾鷲ですが3日間天気に恵まれ美味しい民宿の料理と温泉に満足しました。 (山口 博)

<熊野古道を歩いて> 
 4月17日から19日の2泊3日で熊野古道の伊勢路の一部が山下リーダーにより企画され参加させて頂いた。これまで“道”を歩くことが目的で歩いたのは箱根湯本から芦ノ湖までの旧東海道、インカ道の極一部の2箇所だけだったが、これまでの道と熊野古道の違いは物流を含む移動手段としての“道”と熊野信仰という“信仰・宗教心”に根ざした“参拝道”を歩くというその点でした。従って周辺の景色も自ずから異なり前者2路は地政上の高度はあっても然程の険しさも無く淡々と続く道でしたが、熊野古道は修行を伴う行程でした。途中、犠牲者(行き倒れ)の碑もありその道の険しさを物語っていました。

 とは言え、2泊3日の山行(?)は楽しいものでした。山あり、海あり、数時間歩いては一般道に辿り着きマイクロバスでの次の出発点への移動、若干の急途、道迷い、ヒヤリハットもありましたが宿泊先での新鮮な魚や豪華な鮑を含む料理の美味さは格別でした。 唯ひとつ、睡眠中の鼻が奏でる音楽でしたが“もしや独奏!!!”と心配しましたが同室の方々も同様の音楽家で曲名はありませんが皆で合奏でき、これまた楽しいひと時でした。帰路のバス内での倉光サブリーダーに準備頂いた熊野古道に関する資料と講座は実に興味あるものでしたし、バス内でお土産代も頂戴し今回のスタッフの方々に大感謝です。出来れば違うルートの古道を企画して頂ければと願います。  (佐坂 茂美)

<熊野古道・伊勢路>
 熊野古道へは今回三度目の挑戦だった。前回も山下さんのお世話になったが、今回も興味津々で早くから申し込んだ。今回のルートが今迄と違って感じられたのは、出会った人が極端に少なかったということ・・・最初の馬越峠では、後になり先になりするグループも多少あったが、そこから先・天狗倉山へも八鬼山へも、私達の他に歩く人は誰もいなかった。八鬼山への上り下りはかなりきつく、石畳の急勾配を滑らないように歩こうとして、ずい分と気を配った。お陰で、例のごとくピリピリと足がこわばったけれど大事に到らず、やれやれの思いだった。

  初日はこの二山を歩き終えると6時になっていた。日が長くなっているので、困る事はなかったけれど、遠征に時間のかかる初日にしては、欲張りメニューだったかな? と思わないでもない・・

 二日目:三木峠、羽後峠、曽根次郎坂、太郎坂、逢神坂峠はアップダウンの繰り返しだが、よく整備された石畳の道が続き気分爽快!!汗をかきかき歩く山道から、直ぐ眼下に海や島々の景色が眺められる贅沢な山歩きであった。歩き終えた後、新鹿温泉へ直行!!温泉で汗を流した後の一杯のビールの美味しかったこと!!私の飲みっぷりに驚いた人もあったとか・・・お宿は二日間とも浜辺の民宿!オーシャンビューの部屋で、夜には漁火が・・朝は早くから釣り人の姿も見える。漁師さんの収穫は大きな伊勢えびで、朝一番から豪華な気分に浸れた。

 三日目:観音道コースでは道迷いというおまけまで付いて・・本当に今回はいろんな体験ができた。その上、イザナミノミコトの祀られる花の窟・獅子岩・鬼ヶ城などの見物で観光気分まで味わえた。 尾鷲の方の熊野古道・伊勢路を歩いてきた・・と話すと、雨の多いところね・・と皆に言われた。私自身も尾鷲については多雨地のイメージしかなかったのだが・・・ 朝、小雨降る京田辺を出発したにもかかわらず、三日間雨に遭うこともなく、山歩きを楽しむことができた。私達22人の常日頃からの行いが良かったのでしょうか!雨に濡れた石畳道を歩くなどとても怖くて・・・楽しい企画をありがとうございました。皆さんお世話になりました。 ( 伊丹 立子)

<熊野古道伊勢路コースを行く>                                    
 2年前の例会には都合で行けなかったが、今回は伊勢路のコースに参加した。歩いてる途中 で「熊野脂の出立の地は、京都の城南宮なんだよ」と言っ ても、あまり関心を持ってもらえなかった。 帰ってから写真を見直したら"05年10月に城南宮へ行った時、写真に 撮っていた。立て札式の「熊野詣出立の地」の説明板があり、白川上皇の熊野御幸などが詳細に記してある。まだボ ケていないことが分った。               

 私の熊野古道とのかかわりは、1997年に和歌山トヨタの 武田社長に2冊の本をいただいた。まだ世界遺産に登録 されていない頃に、中辺路コースの各王子を巡り色々調 べられた写真入りの本だった。特に興味を持っていたわけでもないのだが、せっかくいただいた本だからしっかり読んだ。その後しばらくしてから中辺路コースを少し歩いたが、仕事の忙しさに かまけて、また関心も薄く頓挫していた。

 思い出せば'04年に「第1回おわせ海・山ツーデーウオーク」があり参加した。当時、鹿児島の吉峰社長と懇意にしていて、その吉峰社長がウオーキングにはまっており、誘われて「指宿ツーデーマー チ」を始め数多くのウオーキングに出かけた。その一つが「おわせウオーク」で、尾鷲神社前を通 って馬越峠、翌日は八鬼山の麓をと30km弱を2日間歩いた。当日は台風の傷跡が痛々しく、民 家は天変なのに、ウオーキングなんかしてていいのか・・・と思いながら歩いたのを思い出す。

 そういった懐かしさも手伝って、今回山下リーダー2回目の熊野古道企画に参加し、楽しい山 行をした。倉光さんの説明(あまり多くはしてくれなかった・・・残念!)も楽しく聞いたし、2回目の路ということもあり、4年半前を思い出しながら懐かしく歩いたが、今でも世界遺産反対のペンキの 落書きが残っている・・・、帰宅して調べたらそれなりの理由がきっちり記されていた。これはNet を見る価値あり。メンバーと天候に恵まれ、何よりも二日間のノミニケーションにも恵まれ楽しい熊野古道伊勢路コースを堪能できた。二次会途中に家内からウルサイゾ!とのケータイメールには驚いた。 (秋月康敏) 

<熊野古道:新緑の伊勢路を歩く>                           
1.初めに 06年11月末、山下さんの企画で、紅葉の雲取越えコースを歩いた。昨年は佐々木さんの企画による3回にわたる大峰山系の奥駆道を、中抜きの2回だけの参加だったが、吉野から本宮まで歩いた。今回の伊勢路を加えれば、ほぼ満願、いよいよ「悟り」が開けるかと思ったが、そうは甘くなかった。でも好天に恵まれ新緑の中を気持ちよく歩けたことに感謝する。旅の詳細はリーダーの山行報告にゆずって、私の印象に残ったことを2、3記す。

2.熊野の勉強 前回、山下さんからサブリーダーを依頼され、実際上のお手伝いは何もできなかったが、私自身興味があったので「熊野詣」について少し勉強し、バスの中などでご披露した。今回も、そういうことを期待する(?)との条件で、サブリーダーをご下命いただいた。それで追加勉強はしたのだが、幸か不幸か、今回はバスにマイクがなく、車中の安眠妨害行為はしなくてすんだ(「花の窟[イワヤ]」なるところで、ちょっとしゃべらせて頂いたが)。それにしても「熊野」なるところはよく分からない。歴史的な経過はいろいろ書いてあり理解できるのだが、そもそもなぜ熊野がそういう地位を占めるにいたったのかは、諸説紛々。イザナギ・イザナミ神話、神武東征伝説、風葬・水葬の習慣、吉野神聖視、お伊勢参り、伊勢熊野同体説、西国三十三所巡礼、等々との関係が複雑に絡んでいて、何が何やらよく分からない。でも、あの深い山並み、木々の緑、紺青の海などの豊かな自然が、信仰の背景として重要な舞台装置を担ったであろうことはよく理解できた。

3.伊勢路の特徴 本には、伊勢路は古道が比較的よく残っていると書かれている。バスで走っているうちにその理由が分かってきた。伊勢の海岸線はリアス式である。多くの岬が海に突き出し、その間の入り江ごとに小さな集落が点在する。だから隣の集落へ行くには必ず「岬=山=峠」を越えなければならない。車時代になって、峠にはトンネルが掘られた。いま車で走ると、集落を抜けると必ずと言っていいほどトンネルを通る。よって、昔、峠を越えていた古道は放置され、草木に埋もれて残った。平地の古道は車道に組み込まれて姿を変えた。そういうわけで、伊勢路の熊野古道は、何箇所にも分かれた「細切れ古道」である。その中間の面白くない車道はバスで移動するという贅沢な旅であったが、これは個人ではできないことで、ありがたい企画だった。

4.十二単(ヒトエ)の「襲(かさね)の色目」 新緑の季節、伊勢路の山は美しかった。ここも杉、檜の人工林が圧倒的に多いが、ところどころ一山ほとんどが雑木林というところが残っていた。一言で「みどり」と言ってしまうが、木の種類によって色合いが微妙に違い、全体では見事なグラデュエーションである。その中に所々、遅い山桜の桜色、藤やツツジの紫色がちりばめられている。この色合いはどこかで見たような、と思ったとたん、アアソウカ、と思いついた。ヤボな私が言うのもおかしいが、平安朝の女性の十二単の色は自然を写したものと言われる。まさにその色ではないか! 雑木が紅葉すればもう一つの色目…。昔の日本の山はどこもこういう風景だったに違いない。こういう美しい自然を、布の染色技法ともども壊してしまった現代日本とはいったい何なのか?などと、ちょっと高尚な感傷にふけったのもご利益の一つかもしれない。 3日間にわたる旅程の詳細な準備から、バスの現地ナビゲーターまで、すべてを仕切って下さった山下リーダーに心から感謝します。同行の皆さんもありがとう   (倉光正己)