ハルラサン(1,950m)山頂にて....


山行日
2009年5月13日(日)
天候
コース
ホテル5:30⇒6:30登山口6:50⇒8:30休憩所8:40⇒9:15つつじ畑9:25⇒11:30ハルラサン12:10⇒16:30観音寺登山口
参加者
リーダー:山口  サブリーダー:村上
男性:秋月・北川・倉光・西上・藤富・峰岡
女性:秋月・伊丹・加藤・河野・染矢・内匠・玉井・徳田・長野・西上・藤富・
    吉津・山田
合計:21名             

 

    山行報告  山口 博
 30周年記念の海外登山は韓国の最高峰・済州島のハルラサン(1,950m)と台湾の最高峰・玉山(3,952m)に登る事に成りました。 ハルラサン登山旅行に出発と云う時になり新型A型インフルエンザが発生しましたが、韓国済州島は大丈夫だと予定通り決行しました。 又出発の前日には石田さんが会社から海外旅行禁止の通達を受けて、参加出来無かったのは残念でした。総勢21名と一般参加の岡田さん2名の合計23名で出発しました。

 関西空港では特別にトラブルも無く済州島に到着し、予定通り観光しましたが、生憎雨が降り出して今日は観光ですが明日のハルラサン登山が心配になりました。 三姓穴(4,300年前の耽羅王国の発祥地)見学の時ガイドの梁さんが「3度お礼をすると願い事が叶う」との説明で明日が天気に成ります様皆でお願いしました。

 13日は願いが叶ったのか昨日と変わり見事な青空です。朝早く出発したいのでホテルでの朝食は無理で、外のレストランで朝食を取ることになり5時半にホテルを出発して、途中のレストランに立ち寄り登山口には6時半に到着しました。

  ハルラサンは世界遺産に登録されて登山道は整備されていて、城板岳コースは緩やかなハイキングコースです。登山者も多くて私たちをどんどんと追い越していきます。 爽やかな樹林帯の中を2時間位歩くと展望が開けてきて、やがてつつじ畑に到着しました。 躑躅はまだ5分咲き位ですが一面ピンク色に染まり美しい。

 ここから頂上までは急登になり、木道の広い階段が延々と続きます。 頂上は噴火口で池になっていますが水は少ない。済州島は火山が噴火して出来た島で雨が多いのに雨が降っても直ぐに水が地中に浸透して、どの川も枯れて水が流れていない。 頂上に到着し先ず西上さんに作って戴いた30周年記念登山の横断幕を持って記念撮影をする。

 下山は観音寺コースを取りました。素晴らしい展望ですが足元は石を敷き詰めていて歩き難く、足元に気をつけながら慎重に下山しました。。 耽羅渓谷まで下ると此処まではハイキングに登ってくる人が多い。観音寺登山口には予定より早く4時半に下山しました。

 30周年記念海外登山の第1弾ハルラサンが無事に下山でき、皆に感謝し握手を交わしました。 予定より早く下山出来たのでキムチの土産店に立ち寄り、夕食の会場では黒豚の焼肉で最後の夜で大いに盛り上がりました。

14日済州島の観光
 世界遺産の万丈窟は大きなドームが何キロも続く洞窟で、私達は1キロ歩きましたがスケールの大きさには圧倒されました。富士山の風穴は見ましたが、こんな大きな洞窟には吃驚しました。 城山日出峰、済州民族村、映画村大王四神紀セットなど観光して済州島の登山と旅は終わりました。 関西空港も混乱も無くスムースに入国出来、23名もの参加でしたが何事も無く終了出来ました。 楽しい3日間でした、ご参加の皆さんご協力有り難う御座いました。

ヒヤリハット ありません




思い出の写真集 

  民族博物館のトルハル
バン(石像の守り神)の
前でああああああああ
あああ三姓穴で晴天祈願   
  済州島と台所:東門市
場 こんな売り場も・・・ 
ああああああああ龍頭岩   
  ハルラ山登山出発前 
城板岳コース 7時24分快
調!あああああああああ
 
  樹林中の木道あああ
ああああ/約2時間歩いた   
  つつじ畑避難所1500m 
ああああああ山頂は目前   
  頂上まであと少し/// 
あああああああ//もう少し   
  山頂カールああああ
水は涸れてきている
ああ
 
観音寺コース下山開始   
  王冠陵手前ああああ 
ああ/ハルラサンを背景に   
  急坂!ああああああ
あああああああ足元注意  
  下山開始後約4時間 
ホテルの窓からハルラ山  
  映画村見物あああああ 
ああ太王四神記のロケ地   
今も生活している民俗
村の家あああああああ
城山日出峰からの眺め日
本の天橋立?あああああ
 
 
正房瀑布 23m滝壺//
は海
 
関空無事到着:かくして30
周年記念登山は終わった


「写真提供は秋月さん、峰岡さん、山口さん、内匠さん」

 
                        済州島・ハルラサン感想文集     
藤富慶子/
 韓国の最高峰、ハルラサンは世界自然遺産であり済州島の中央に位置し、島のどこからも見れる山、見る所によっては長い美女の寝姿そのままの美しい形をしていた。
 登山当日は昨日の雨がうそのように晴れ、韓国名物のアワビがゆでスタミナをつけ、秋月さんによるウオーミングアップの後、二班編成で登山開始。現地の登山ガイドは流暢な日本語だ。登山道は良く整備されていて(し過ぎと言う人もあり)そのほとんどが火山岩の石畳か、たまに木道、階段を歩いたような。
 道中、本当に良く追い抜かれた。一度も抜いたことはないのでは・・・。一度、頂上近くであったか。韓国人のスタミナ、パワー、がむしゃらさには以前から感心しているのだけど完敗です。キムチパワー、ニンニクパワーと言おうか、息も切らさず颯爽と我等を抜いて行く。特に日本人グループ、こんな小母さん達に負けて成るものかという気配が十分に感じ取れる。多分長い歴史の中での国民性もあるのだろう。登山ガイドさんも言っていたが、友達同士であっても何事も自分が上でないと、と言う競争心が強いのだとか、それは女性方の美しさに関しては私も感じているのだが、母親が娘に対しての惜しみない労力、自分自身にも惜しみなく投資というのは誰はばかることがないような。
 話はそれたが、この山は良く整備されていて、コース中、自分自身がどのあたりを歩いているのか、後どれくらい歩くのか、ハングル文字が読めない外人にも解る表示がしてある。新緑の雑木林を抜けるあたりには、売店つきの休憩所(中々立派)もある。同じ世界自然遺産である屋久島の宮之浦だけとは基本的に考え方が違う。又、山中ではタバコ禁止で違反すると罰金だとか。Sさん、Hさんあたりに薦めようかと・・・、如何ですか・・・。タバコもだけど、ごみのマナーのほうがひどく、タバコ以前の問題ではないかと思う。
 登りのコースの城板岳コースからは春霞の中、島々みたいに噴火山が点々と浮かんでいる、城山日の出峰はその形からして見て取れた。目指す頂上は優しい形だし、ピンクのツツジも点在している。頂上直下心臓パクパクするあたりでサクラソウ、丈の短いアヤメ(?)にも会う。下山コースの観音寺コースからの頂上は一転して険しい様相だった。少々アップダウンあり、渓谷ありで変化もあった。ここにも中程に立派な休憩所が出来るみたいで、この日もひっきりなしに資材を運ぶヘリが頭上を飛びかっていた。
 久しぶりに高度差1250m、行動時間9時間30分を歩いた。必然的にクールダゥンの要望が出た。秋月さんこの為に勉強をされたみたい。ありがたい事です。 今回の2泊3日の済州島、一日目は雨に合ったが、2,3日は晴天の中韓国にあって郷に従ったのか、パワフルなスケジュールだった。かの島の歴史を知り、自然を知りで満足いく30周年記念行事だった。
 国内のバスの手配からお世話いただいた山口さん有りがとうございました。
                          
済州島・漢拏山(ハルラサン)は、空も心も晴の山
倉光正己//
  済州島なる地名を覚えたのはいつの頃だったか? 多分、子供の頃、ラジオの天気概況の放送で聞き覚えた地名の一つではなかったか? 今回、記念山行でこの島の名前が出てきて、ここに韓国の最高峰があることを始めて知った。会の役員として記念山行に参加せざるべからず、というのはタテマエで、私はまだ韓国に行ったことがないので無条件で参加したいと思ったのだった。地図で見ると直線距離では北海道より近い。1日目、朝出て昼食は済州島で食べるという近さだ。午後は市街地の観光。自然博物館でまず概論を勉強。「三姓穴」なる済州島のご先祖が天から下ったというところは、日本で言えば「高千穂」かナーと思う。「在来市場」を歩く。ぐっと庶民的ながら、まあ「錦市場」か。「龍頭岩」なる岩場は小型「東尋坊」だ。なんだか、すべてを日本流に翻訳したくなってしまうのは、外国という感じがあまりしないせいか? 市場を歩く頃から雨。これはエライことだと心配になる。
 2日目朝。起きて窓の外をのぞくと、有明の月が見える。よかった! 山も見える。1950mもある山には見えない。アワビ粥を食して、750mほどの登山口に到着。ガイドさんがつく。火山島の主峰だから、「利尻島」か「屋久島」という感じだが、はるかにゆるやか。登りはそうシンドクはないが、ガイドのペースが1時間近くの歩き後の短い休憩なので、山友会ペースに比べて歩きが長く、ちょっと感狂う。溶岩地帯にあまり高くない樹木が生えているところは富士山の「青木が原樹海」みたいな感じ。山道は溶岩の石畳が多く、これは「熊野古道」。ほかに石段と木道ばかりで、日本流の地道はほとんどない。これは皇太子殿下がお出でになったあとの山みたいで、結構疲れる。最後は、200mばかりのドームの急登。やはり1200mの登りは半端ではない。結局4時間半ほどかかった。頂上からは、霞んでいるが海岸線が見えた。確かに小さな島だ。風が強く、修学旅行の学生で満員。弁当を食べて早々に下山。下りは結構急坂。計9時間近くかかり、膝がかなり疲れた。27,000歩。全員元気。さすが山友会! めでたく記念山行が終了した。泣く子も黙る「世界遺産」に指定された山のせいか、山道に少し手が入りすぎて野性味に欠けるが、いい山だった。先ずはメデタシ!
 3日目は夕方まで観光。「城邑民族村」は茅葺屋根が特徴。人が住んでいるということも含めて、まあ「白川村」か。現地の中年女性が達者な日本語で説明してくれる。一通り説明が終わったら休憩室に導かれ、村民の作った薬効豊かな商品の試食が始まる。押し付けがましくはないが巧みに商品を売り込む。その口舌の滑らかさは「寅さん」以上の「タンカ売」だ。私がかねがねその話術に感心しているAさんが、笑い転げて感嘆していたので、彼女の実力のほどが分かる。ちゃんと購入して下さったメンバーがいらっしゃったので、彼女の熱演に報いることができてちょっと安心した。次は、ヨン様主演の「太王四神記」なるドラマのロケ地。このドラマを見た人が誰もいなくて、ガイドさんが説明に困っていたのがおかしかった。まあ「映画村」といったところか。「城山日出峰」は小さな溶岩台地。小型「屋島」か「桜島」か。草が生えているところは阿蘇の「草千里」? 200mほどの登りだが、前日の足の疲れと昼食のビールで、結構シンドそうな人が多かった。「済州民族村博物館」は「明治村」か。「チャングム」の撮影地でもある。海に落下する「正房瀑布」は、川の少ない(溶岩地ゆえ地下に滲み込む)島にしては立派だが、オシンコシン滝の方がはるかに立派。と、まあ、すべて日本にひきつけて理解してしまうほど、我々には親しい感じの済州島であったが、耽羅国と呼ばれていた独立国が半島の大国に併呑されて以後、日本の占領時代も含めて、いろいろ悲しい歴史があったようだ。そういう意味では、日本の「琉球=沖縄」に重なるところがある。この島の歴史を勉強し直して、もう一度出かけてみたい。 今回の山行を計画して下さった山口部長を初め山行部の方々と、同行の皆さんに感謝します。

済州島・ハルラ山に参加して
伊丹立子 //
  出発の日が近づくにつれ、新型インフルエンザの広がりが気になってくる。 こんな時に浮かれて山歩きをして良いのかなと思ったり、日本にいても感染することはあるのだから・・と開き直ってみたりで、落ち着かない気分のままその日がやって来た。5時半出発だ。夜型で早起きに弱い私は、眠れぬ一夜を過し出発した。 新型インフルエンザ騒ぎのある平日の朝だが、空港はそこそこ人があふれている。済州島行きのロビーでは顔見知りの人に出会ったりもした。
 島に着いて直ぐに、昼食の海鮮ビビンバを食べ、済州道民族自然史博物館の見学を終えた頃からポツリポツリと雨模様となり、さまざまの魚介類の並ぶ東門市場を散策していた時にはかなりの雨になっていた。耽羅の始祖である{高乙那、夫乙那、良乙那}・三神の伝説の場所である三姓穴では、ただひたすら翌日の天候の事を祈った。それも、ごくひかえめに、「晴れでなくてもいいです!雨が降りませんように!」と・・・
 龍頭岩を眺めた後、味噌味海鮮鍋料理の夕食を楽しんでいた時も・・(なんとこの日は山口さんの74歳の誕生日で、バースデイケーキも・・)まだ小雨がパラついていた。   
 翌朝も5時半出発だったので、さっさと準備をして早く床に着こうとした。ところがストックがない!!一本にしようか二本にしようかと迷った事まで思い出したから、絶対入っているはずだと荷物を全部引っ張り出したが、やはり見当たらない。膝痛の私は下りに不安を感じたけれど、今更どうしようもない。諦めて、早々に横になった。
 早朝、目覚めると雨はやんでいた。まだ薄暗い朝なので天気のほどはわからなかったが,こ踊りしたい気分になった。三姓穴でのお祈りが効いたのだろうか! 5時半にホテルを出発し、朝食はアワビ粥を食べる事になっていた。出発の頃にはもう明るくなり、やがて海辺が赤く染まり、真っ赤な太陽が顔を出す!バンザイ!!まるで奇跡が起こったような、山を登り終えたような気分になった。朝食のアワビ粥が本当に美味しいと思えた。量が多いなと思いつつ全部たいらげた。
  秋月さんのリードで入念にストレッチ体操をし、ハルラ山の登山口を出発した。登山道はよく整備されている。上りは城板岳コース9.7km、下りは観音岳コース8.6kmをゆっくりと歩く。登山者は結構多い。高校生位の若者が多いのでどんどん早く歩く。私達はゆっくり、ゆっくり・・「皆さんお先にどうぞ!」である。この調子なら、ストック無しでも何とかなるかな?と思い始めた時、「私は使わないからどうぞ!」と、染矢さんが声をかけてくれた。ホテルで同室の山田さんに、「杖を忘れて困ったわ!」ともらしたのが染矢さんに伝わったのだった。仲間って本当にありがたい!気遣ってもらえてとても嬉しかった。
 よく整備された道とはいえ、火山岩と階段道の繰り返しなので、下山時には本当に助かった。熊野古道の石畳を歩くのにも難儀をしたが、火山岩の上を歩くのも骨が折れる。階段を下るのが苦手な私だが、階段をとんとん下りる方が楽だな〜と、感じるほどだったから・・・頂上付近は風が強く、重量級の私ですら風でよろけそうになったほどだ。
  済州島の風土を伝えるのに「三多・三無・三麗」という3つの「三」がよく言われるそうだが、「三多」は、火山岩・島を渡る強い風・働き者の島の女性・・・
「三無」は、物乞い、泥棒、門、と島に少ない3つのことで・・・
「三麗」は、美しい心、見事な自然、美味しい果物だとか・・・
 三日目も、暑さを感じるほどの恵まれた晴天での世界遺産観光!働き者の済州島出身の女性ガイドさんの説明や、訪れた観光地に接して、済州島が「三多・三無・三麗」である事が良く理解できた。それにしても、接した全ての人達の何と日本語の流暢なこと!「アンニョンハセヨ」以外の韓国語を使う機会がなかった。戦後64年を経た現在、日本の観光客がそれ程多いということだろう!
 私の両親は新婚時代を韓国で暮らしていた。父に赤紙が来て召集されるまでの、一年余りに過ぎないが、10年前に亡くなった母が、唯一、父と幸せに優雅に暮らせた時期である。その地に(本土ではないとはいえ)足を運ぶことができた事も感慨深い。私はその時、生まれる三ヶ月前・・日本で生まれました。でも韓国は私のルーツの地?仲間に恵まれて30周年記念山行に参加できた事を感謝いたします!
追記:食べ物の事ばかり書きましたが、キムチはどうもあまり好きではありません!
    果物が美味しかったです。オレンジ・イチゴなど・・

染矢つや子//
 漢拏山登山は登り【城板岳コース9.6K4時間30分】我々は次から次と後続者に追い越されたが地図上のタイム。世界遺産に指定されるとこんなにも整備されるものかと思うくらいのきれいな登山道だった。頂上手前の木道階段では島の海岸線が一望出来気分爽快、登りの最後のふんばりどころで「ほっと一息」つつじも咲き素晴らしい絶景ポイント。  
 下山は【観音寺コース6・8K3時間】後続者に道を譲ることが多く4時間30分かかってしまった。距離はソコソコあるが難所のない、登山というよりハイキングコースの山でした。いつもより荷重少なくゆっくり歩行は疲れない事を実感した一日でした。
 済州島の雨はすぐに地下に浸み込んでしまう為、稲作が出来ずお米は本島から取り寄せ。川に水がなくもちろん池もなく温泉もなく、一汗流すことなく済州島名物の「黒豚レストラン」に直行。快晴のもと頂上で20分の休憩では最初で最後であろう「漢拏山」を満喫出来ず心残りだった。

峰岡邦博//
 韓国では一番高い山1950米ハルナ山(北九州西方400キロの位置)中腹までバス移動で実質1200米弱の登山でしたが歩行時間は休憩時間除き9時間私に取りましては過去最大の歩行時間になりました。5月の気候は寒暖の差が大きく風邪気味でトレーニング歩行が出来ていなかった為に忘れる事の出来ない山となりました。又ストツクも1本しか持参しなく脚への負荷が大きく影響したとも考えております。この体験は次ぎの登山の肥やしに致します。
 今回ヘヤーバンドを持参しました、これは額の汗を吸ってくれまして汗が目に入らなくて目が痛くなく正解でした。  チョツト別の話になりますが、山から見下ろす56万都市(大阪府とほぼ同面積)屋根はヨーロツパ風、街並はシンガポールの郊外調で綺麗に整備されたリゾート地、日本の島で川のない島はないと思いますがこの島は雨が降っても3時間しか川に水が流れない全部地下へ吸い込まれるとの事です(溶岩気泡)山全体が軽石の山、稲作が出来ない島で柑橘類と野菜、いちご等が生産されている。同行頂いた皆さんお世話になりました。

内匠美佐子 //
 漢拏山(ハンラサン)は小さな済州島(チェジュ島)に聳えていました。韓国最高峰1950mの山と知ったのは5年前。それは25周年記念登山で行った雪嶽岳(ソラクサン1708m)が3番目の山と知った時であった。紅葉の素晴らしい時期で、ついこの前の事のように感じます。その時は近くて遠い国と感じていたが、以来冬のソナタ、美しき日々のドラマ等の韓流ブームにのって韓国の歴史、文化、言語等に興味をもつようになった。飛行機でわずか70〜80分のチェジュはリゾート地としても知られ、またドラマでは政治犯の島流しでよく見聞きする地であり今回は身近に感じられた。
 城板コースはゆるやかな登りだが長かった。世界自然遺産に登録とあって登山道は整備され過ぎていた。コース番号、現在地標識がいたる所に設置され道に迷う事はない。つつじ畑避難所から山頂までは階段で息切れがした。樹木はなく下界の海岸線が見渡せる。山頂に近づくほど風が強く、帽子を押さえ登ってきた道を見下ろすとつつじのピンクが一面に広がっている。山頂カールに溜まった水は少なく、美しいコバルトブルーであったと思うが色あせていた。丁度昼食時、多くの修学旅行生で賑わっていた。
 下山は観音寺コースを行く。こちらも殆ど階段状の道である。噴火した溶岩が冷え、穴のあいた岩石の上を歩き続けるが結構歩きにくい。避難所の工事や登山道整備をするのかヘリコプターが資材をピストン輸送していた。
 翌日は島観光です。車窓から眺める風景、チェジュには水田がなく、畑は溶岩石を積み上げた石垣で囲まれている。棚田みたいに石垣ラインがきれいだった。民族村の茅葺屋根、格子状に縄で押さえた作り方が面白い。家の中は薄暗くてかまどの様な焚き口、土壁部屋など日本の農村の家と似ているところがある。案内役のチェジュ女性のユーモア、頼もしさには感心した。ガイドのヤンさんにはチェジュで一番美味しい店に連れてもらいキムチをはじめ石焼ビビンバ、アワビ粥、黒豚焼き肉、海鮮鍋など食べました。暫くはにんにくの匂いが鼻について抜けませんでした。