泉大橋より木津川を望む


山行日
2008年11月9日
天候
曇り
コース
松井山手8:44⇒9:14JR木津⇒木津駅前9:20⇒9:40和泉式部墓⇒10:40環濠集落⇒11:00小林家住宅⇒11:20松尾神社⇒11:50大塚山古墳12:25⇒13:00湧出宮⇒13:30蟹満寺⇒14:45三山木
参加者
リーダー:白波瀬
男性:弓仲・守口・徳田
女性:山田・河野・吉津
合計:7名    

 

    山行報告  白波瀬 勇

 朝起きると小雨が降っていて今日は曇りと思い込んでいたので戸惑う。問合せの電話2件あり、平地を歩くコースなので少々の雨を覚悟の上で実施の連絡をする。山背古道は城陽市〜井手町〜木津川市を結ぶ25キロの散策路です。今回はJR木津駅前をスタートし、中間地点の玉水までの約12キロのコースを歩きます。  


竹林の道 

 山背古道の特徴は、道案内のサインとして道路の要所に陶板製の山の字を丸で囲んだマークがあってそれを辿っていけばいい。古道ばかりだと物足りないので道草をすることにする。マップで判らないときには地元の人に聞くのに限る。先ずは和泉式部の墓を土地の方に尋ねる。平安時代中期の女流歌人で木津で生まれたとか。

 近くで若者たちによって祭りの神輿を片付ける作業をしていた。近年の祭礼は古老が細々と続け、車での運行や子供みこしが多いだけにこの地区の立派な神輿に驚く。後日、知人に聞いたところによると先月の25〜26日にかけて行われた「布団太鼓まつり」の収納作業だった。

 木津川に架かる長さ383mの泉大橋を渡ると山城町となり、由緒ある五輪塔や地蔵石仏のある泉橋寺にさ

泉橋寺地蔵菩薩石像 
しかかる。荒れるに任せた多数の無縁仏を現在の形に整備した苦労話を住職婦人から聞く。 平日ならお茶のいい香りがする茶問屋街を過ぎ、築400年の府下で最も古いとされる小林家住宅に寄る。此処はお住まいになっているので外観のみ見せて頂いた。  

 この他にも環濠集落・松尾神社・蟹満寺・涌出宮等由緒ある社寺めぐりをする。民家の庭先には季節の花が咲き競い、ピラカンサの鮮烈な赤、柿がたわわに実り、木々の紅葉を楽しむ。実に長閑な田園風景であった。 JR奈良線のすぐそばにある椿井大塚山古墳でランチタイム、対岸に京田辺の町が一望出来る展望台でもある。

 線路沿いを歩いていると子供たちと父兄がイモ掘りをしている姿を見かける。少しのスペースに植えられたサツマイモを嬉々と掘り出していた。結構立派な芋が育っていて見ている者も楽しくなった。 やがて井手町に差し掛かり桜並木の絶好のそぞろ歩きのスポットでもある堤を経て、玉水橋を渡る。かつては狭い橋で歩道とてなくダンブカーが疾走するそばを小さくなって渡った思い出があるが、現在は広い歩道付きの立派な橋に変身している。

 心配された天候も曇り空で雨も降らずにのんびりと古道歩きを楽しみ三山木駅で解散した。今回は歴史をよくご存知の徳田さんが参加されていたので色々教えていただき有難うございました。 来春には城陽〜井手のコースを歩きたいものである。  

ヒヤリハット  なし

「写真提供は白波瀬さん」
 
     山背古道を歩く                    徳田 誠   

 私事で恐縮ですが、今年の初め頃から左足の古傷が痛み、山行にも殆ど参加出来ずにちょっと 寂しい思いをしていました。山背古道を歩く程度なら、人に迷惑を掛ける心配もないだろうと参加させていただいた。木津駅から三山木駅までの僅か10km足らずの道のりながら、悠久の歴 史を物語る史跡が数多くあり、その多くは京田辺にお住まいの方には良く知られた処ばかりで、 いまさら紹介する必要もありませんが、企画された白波瀬さんや同行の皆さんに私なりの感想を述べることで、おネLを申し上げます。

木津川の流れ   
  「みかの原わきて流るる泉河いつみきとてか恋しかるらん」藤原兼輔 木津川は本当に 美しい。いまや清流とは言い難いが、大きくてゆったりとした流れはいつ見ても素晴らしい。泉大橋の上から下流を眺めてつくづく思った。普通、川は土手から横に流れるのを見ることが多いがこうして川の真上に立ち目の前の流れを見ていると飽きる事がない。私は宇治橋や御幸橋のまんなかに佇みこのように川の流れを見るのが好きでよく立ち寄る。  

ゆく河のながれはたえずして、しかももとの水にあらず・・・・世の中にある、人と栖と又かくのごとし・・・・」 方丈記の比喩の巧みをしみじみと反芻し、今も昔も変わらない人の心を想 う。歳を取るにつけ昔を振り返ることが多くなったように思うのは私だけであろうか。失った肉親を想い、音信も途絶えた幼馴染の友の顔が水の流れに去来し、寂しさと懐かしさが込みあげて くる。大きな川の流れは無常そのものである。

泉橋寺  
 JR奈良線木津駅を下車して木津川の土手沿い西にゆくと10分足らずで和泉式部の墓があり、川を挟んで対岸に泉橋寺がある。俗にいう橋寺である。山崎の宝積寺、宇治の放生院も橋寺である。橋の管理と供養のために寺が創建された。その昔、大河に隔てられた人々の橋に寄せる祈るような思いが忍ばれる。この寺の大きな石の地蔵さまも凄い、一見の価値がある。

井手の玉川  
  井手の玉川は古来歌枕で知られた名勝地である。今より昔のほうが有名で多くの風流人が訪れた地で、玉川を詠んだ歌の数はなんと350首におよぶという。歌聖西行、俊成、古くは万葉の頃に遡る。(木津川歴史散歩 斎藤幸雄著)による。山吹と蛙(カワズ)が殆どの歌に詠み込まれている。俳聖芭蕉の蕉風開眼の句とされる「古池や蛙飛び込む水の音」に対し芭蕉の高弟其角が 進言し一度は「山吹や蛙飛び込む水の音」としたが、これを却けてもとの「古池や・・・」にしたとか。其角の頭にあったのは山吹と蛙となれば当然、歌枕の井手の玉川であったと想像される。

 小野小町は「色も香もなつかしきかな蛙なく井手の渡りの山吹の花」と詠んだ。(真偽のほどは別として)絶世の美女小野小町や泉式部がこの道を散策したと想像するだけで楽しい。桜が咲く頃、 散った後と何度か訪れたが実に気持ちの良い所で、近くにこんな散歩道があることを幸せに思う。 ただ下流の木津川寄りはすこし荒れていて惜しい。しかし地元の人達の尽力でここまで整備されてきたことに感謝しなければなるまい。上流にある土産物店で聞いた話では地元のある人がカワズを玉川に蘇らせたいと、飼育を試みているとのこと。そうなれば遠くからも大勢の人が訪れち ょっとした観光地になるかも知れないと嬉しく思ったものである。  

 帰り道でまた玉水橋から木津川の流れを目にした。うっすらと夕闇が迫る気配が漂う中を二羽のセキレイが川面を舐めるようにして飛翔していた。それにしても美しい川である。