本山小屋     


山行日
2008年8月20日〜24日
天候
雨・曇・時々晴れ
コース
20日:新田辺7:00⇒16:30小国飯豊山荘⇒天狗平飯豊山荘21日:6:00⇒13:00門内小屋⇒15:00梅花皮小屋22日:6:00⇒7:00烏帽子岳⇒10:20御西小屋⇒12:15飯豊本山⇒13:00本山小屋宿泊23日:6:00⇒10:00三国小屋⇒14:00福島県川入村杉荘24日:8:00⇒24日:18:40新田辺
参加者
リーダー:金本  サブリーダー:堀尾
男性:倉光・守口・山口
女性:染矢・倉光・吉津・東(山城)
合計:9名    

 

    山行報告  金本 好彰

 一昨年は、雨のため撤退した飯豊山に是非とも登りたくて、今回は梶川尾根から川入りまで縦 走することに、堀尾さんと山友会の総会のときに決めていた。しかし、非難小屋2泊となると荷物が重くなり、参加申込みが少ない。半分あきらめていたが、なんとか9名が集まったので平安バスと交渉してバスで行くことにした。経費節約のため、運転手を1人にしてもらった。

 20日7時京田辺出発。東北の天気があまりよくない。日本海東北道終点の中条で下車、小国までゆく。4時半に飯豊山荘着。赤い鉄分の多い温泉に浸かる。泊り客は少なく空いていた。食堂は明るくていい感じ。男4人の部屋が狭いので、2人は別の部屋に移る。

 21日、飯豊山荘を朝5時に出発の予定であったが、大雨であったので、6時出発とする。宿舎で、おにぎりの朝食をいただく。熱いコーヒーも入れる。6時、雨がすこし緩んだので、宿舎を出る。梶川尾根を登るが、はじめから、いきなり急登が続く、荷物が重い。こんな急勾配を3時間も上がりきれるか不安になる。虫が多くて困る。顔や腕をずいぶん刺された。 暑さもあってか、倉光さんの調子が良くない。さかんにエアーサロンパスをふっている。

 降りてくる人と5人会った。彼らは山行中はずっと雨だったらしい。五郎清水あたりで少し勾配が緩んだ。下山中の若い二人と出会う。雨は小降りになってきた。二人の話では、梅花皮小屋は施設が大変良かったらしい。走行するうち扇の地紙に着いた。門内小屋はもうすぐだ。 門内小屋に着いたときは、雨はやんでいた。着いたときは13時で、梅花皮小屋まであと2時間ある。明日、もし雨になるようなら、今日中に梅花皮小屋まで行きたい。 倉光さんの調子は、少し良くなっている。皆に聞いてあと2時間歩くことにした。

 15時梅花皮小屋着、体はぬれているが、夕食の準備のため水場へ向かう。、 少し歩いたところに水場がある、湧水らしい。とうとうと流れている。 冷たい水がなんとおいしいことか。小屋の真下は石ころび沢である。別棟になっている管理人に聞くと、今は、石ころび沢を登ってくる人はいないとのこと。 500円で敷き毛布を借りて、2階に上がる。階下は、学生が6人・2階はわれわれ9人と別グループ4人が宿泊、素泊まり一泊1500円なり。一人ごとに荷物入れがあり、コンクリートのコンロ台が2列にある。

 早速 水割り・湯割りの洋酒をいただく、夕食は、アルファー米にカレーをぶっかけ。疲れているので、すぐにシュラフに潜り込む。場所が広いのでゆったりと休むことができた。少し寒かった。

 朝6時雨は降っていない。天気は曇りなり、今日は本山を目指して行く。ガスが晴れたときは、大きな残雪が鯨のように横たわっている。所々に残雪がある。時には、奥深い山の稜線が見える。すばらしい。きれいな花が群生している。可憐な飯豊リンドウがある。あまり高低差がなく、烏帽子岳を経て、御西小屋に着く。登山者に会わない、御西小屋で大日岳に行ったグループの荷物が置かれている。

 ここで少し休憩、それぞれ行動食を披露している。染谷さんがグレープフルーツを取り出した、少しいただく。少しの休憩後いよいよ飯豊本山を目指して登ってゆく。歩きやすい道だ、視界もいい、ガスが無ければすばらしい景色が見える所だ。 12:15飯豊本山に登頂・一瞬晴れ、すばらしい。みんなと握手した。何回も計画し、一昨年は雨の中、切合小屋まで行って撤退した飯豊山に登頂した。感激である。頂上よりの展望を楽しんだ。長いこと過ごした頂上をあとにして、本山小屋に向かった。

 13:00本山小屋に着いた。1階は個人山行の15〜6人のグループ、2階はわれわれ9人と予約組み4人、梅花皮小屋にくらべて小さい。コンロ台がある。素泊まり2,000円、敷きマット100円、管理人はテキパキと指示する。

 ここは、川入りから本山を目指す登山家が多く、混雑するとのこと。早速少し下ったところの水場へ向かう、あまり多くは流れていないが、冷たくておいしい水だ、おいしい水で洋酒を飲んで、夕食の支度、各人が持ち寄った夕食をいただく。寝床が狭いので別の場所に移ったら、管理人に小言を言われた。

 翌朝小屋の付近で展望を楽しんだ。飯豊本山・ダイグラ尾根・が見える、大日は、雲で見えない。6:00出発、曇り、御秘所の岩場を通るときは、緊張する。少し降りたところで、切合小屋に着く、コーヒータイム。ここからは三国小屋を通って剣が峰を目指す。 一昨年は、大雨の中、下ったことを思い出す。今日は、風が強い、みんな疲れているが大丈夫か。

 剣が峰に入ったところで吉津さんが少し滑って捻挫をした。大丈夫といっているが、テーピングをする。 剣が峰の難所を通過できるか不安になる。しかし吉津さんは、強い風の中がんばって剣が峰を通過した。あとは小白布沢の林道まで行くだけである。

 駐車場まで迎えてくれた車2台で川入りの村杉荘到着。 村杉荘は、表が開けっ放しのため、蚊がいっぱい入ってくる。手足を数箇所かまれた。経営者は、喜多方からシーズンだけ来て、民宿をしている。田舎の人はのんびりしていて好感が持てる。蚊も気にしていない。

 民宿の先客は、長崎から来ている。明日飯豊に昇るらしい。われわれの後を歩いていた地元の人が、剣が峰で滑落して亡くなったことを聞いた。経営者と地酒を飲み交わす。民宿を8時に出発し、坂下の糸桜里(しおり)の湯に寄って新田辺に帰る。予算56,000円(4泊)。あとで聞くと吉津さんは、骨折していたとのこと、よくがんばってくれました。感謝します。  




御西岳避難小屋

いよいよ飯豊山の頂上だ

飯豊山頂/

本山小屋から飯豊山をバックに

千枚小屋付近のニッコウキスゲ

イイデリンドウ

登山道で見かけた花
     
写真提供は山口さん///

 
                        飯豊山感想文      


<飯豊山>
     
   マイクロバスに乗りいざ飯豊山へ出発。飯豊山荘に着く迄の時間皆さんとお話したり昼寝や外の景色などいろいろ楽しみながらの小旅行。明日から飯豊縦走に心膨らませ早めの布団に入り朝目覚める・・・・・・雨だ。残念ながら雨降り、でも雨を楽しみながらの梶川尾根を 登りお花畑にうっとりして門内子屋へ、濡れた靴など着ている物の始末が大変だった。

  3日目の朝、雨は降っていない。澄んだ空気をいっぱい吸い込み出発する。あちこちのお花を見て今歩いてきた山をながめ本山小屋、みんなで食べる夕食の美味しかったこと。そしてねむりにつく。  4時30分トイレに行って四方の山を眺め、新潟市内の朝方の灯がみえ感激する。でも雨が降ってきた。最後の日雨の山行きになった。切合小屋の前で風があったがみんなでコーヒータイムをする。美味しかったこと。  

  出発して尾根を歩いていたとき、道の端に足をすべらせ、右足をぐねる。あっと思ったが、後のまつり、足に違和感、歩けないことはない。でも東上さんにテーピングをしていただく。みんなに心配をかけ、私を励ましていただき、剣ヶ峰の岩場にさしかかり、雨は降る、風がある、でも何とかがんばって歩く。歩く・・・歩く・・・歩く・・・どうにか下山できました。
 
  6月の手首骨折に次ぐ又の骨折で面目なくおもっております。又皆様の励まし、気遣いに感謝、感謝での下山でした。ありがとう御座いました。 帰って病院に行った所、骨折ということで入院・手術をして、13日退院、自宅にてリハビリに励んでおります。また回復いたしましたら、参加させていただきたいと願っておりますので、よろしくお願い致します。   (吉津 雅子)



<いいで、悪いで、飯豊山>

1.指名の顛末 :一昨年、例会で飯豊と朝日に出かけたが、飯豊の方は悪天候で、頂上まであと 1時間少々の山小屋で撤退した。次に朝日へ移動の予定があったせいもある。今年、飯豊だけに 限定で、しかし縦走に3日がかり、現地への往復時間を含めるとーつの山で5日がかりという超大型山行が提案された。絶好のチャンスと無条件で手を挙げたのだが、もちろん不安もあった。

 この山は北アルプスなどと違い、山小屋はあるが布団、食事の世話はしてくれない。つまりはシュラフと2日分以上の食料を持参するという「カタツムリ山行?」である。絞りに絞った荷物を作ってみると14キロはある。春の大峯奥駈で似たような荷物を担いだが、高度差が違う。今回は初日、1400mの急登を登るという。覚悟を決めて出かけた。前日、まずまずの天候の中を麓の宿に着く。部屋の窓から覗くと、川岸から尾根が一気に競り上がっている。この尾根を登るようだ。  

 初日朝、雨。強くなったり、弱くなったりしながら降り続く。出発時間を少し延期するも、あまり情況は変わらず。雨具をつけて、場所がないので玄関での屈伸運動だけで出発(これも悪か った?)。宿から100mほどの登り口から、一気に急登が始まる。かくして、悪条件が重なりバテバテとなり、同行者の皆さんに迷惑をかけてしまったもので、帰りのバスでリーダーから感想文のご指名を受けてしまった。

 しかし、私にとって今回の「バテと回復の過程」の体験はそれなり に貴重なものだったので、恥ずかしながらこの機会をお借りして、皆さんに紹介させていただく。

2.「バテ」の顛末 :マット、食器など多少の荷物を車に残したが、あまり重さの減らないまま出発。汗かきの私は、雨、というより、雨具が大の苦手である。汗が籠もっていずれべ夕濡れとな る。こうして重い荷物に雨具、そして急登、さらに眼鏡の曇りまで加わって、三重苦、四重苦の登山となった。あえぎあえぎ登るうちに、いつものように体が慣れてくるかと期待したが、今回はシンドクなる一方。そのうち大腿部前部の筋肉まで少し張ってくる。覚悟してはいたがさらに 急登が続く。

 自主申告してトップのHサブリーダーの後ろに付かせてもらう。2時間ばかりして、 筋肉の様子がいよいよおかしい。入会当初、六甲で経験した「ツリ」の前駆症状だ。六甲ではこういう状態で、わざと階段数段を急ぎ足で登ってみたら、みごとにツッて痛い目にあった。バカ な人体実験だった。よって今回は、筋肉をだましだまし、恐る恐る歩を進める。しかし荒れた道 で大きな段差もあるから、足を踏ん張らざるを得ない場所がある。いよいよツリ直前の状態にな ってきた。胸も息苦しい。いつもの手で深呼吸を繰り返してみるが、あまり効果がない。

 まだ休憩時間前だが、ギブアップして休憩にしてもらい、足にエァサロンパスを吹きかけた。ついでに、 バナナとクエン酸入りシソジュースを流し込む。女房殿やリーダーほかの皆さんが心配して、荷物を少し持って下さるというので、素直に従う。2キロは減ったか。そんな休憩要求をもう一度やってなんとかガンバル。やっぱりシンドイ。そして、やっとサブリーダーが10分間の中休憩を宣言してくださる。

 急登の中間地点のこのあたり1時間ほどは、本当にシンドカッタ。棄権して引き返すにしても、あの急坂では登るより怖い。そこに、ガンで苦しんでいる知人のことが思い浮かぶ。こちらは道楽でシンドイだけ、彼の苦しさに比べれば…。ただ前進あるのみ!  

 この10分間にも休んで食べて飲んで、ちょっと息を吹き返した。さて再出発。歩き始めてみる と、アラ不思議、筋肉に鈍い痛みは残っているが、ツリの前駆症状からは離れたようだ。胸苦しさも減っている。かくして、このあとはまずまずのペースで登り続けられ、無事、主尾根に到着。

 今日はいつもつける山行記録どころではなので、自分ではペースがよく分からない。Kリーダーに確かめると、私の不調にもかかわらず、それほど時間は遅れていない、と。ヤレヤレ良かった。 それで、宿泊小屋も、予定の小屋から1時間半ほど先の梅花皮小屋まで行くことに決定。「大丈夫か?」と聞かれて「大丈夫!」と答える。実際、大丈夫だった。あと2日間も何事もなかった。

3.ツリ回避のコツ :筋肉のツリは、要するに筋肉の過度の疲労だろう。だから、普段からの鍛錬が先ず第一。しかし、鍛錬していてもツルことがある。この日に限ってバテてしまった原因も、 回復した理由もよく分からない。しかし幾つかの教訓はあった。以下にまとめてみる。

独断的・経験的「ツリ追放」の三か条 = 
生類憐みの令?  
第一条 ツル前に休んで手当てを:ツッてしまうと、痛いし、回復に時間がかかる。  
第二条 飲んで食べて栄養補給:ツリは全身疲労とも連動するようだ。胃にも手当てを。  
第三条 意地を張らずに、物を持ってもらえ:面目ないことだが、負担減は何よりの手当て。
大前提 普段からの鍛錬。十分なウオーミングアップ。周到な事前予防策。荷物はコンパクトに。  

  あとでいろいろ聞いてみると、歩き始める前に危ないと思うところにテーピングしたり粘着シップを貼り付けたりして、ツリの事前予防策をしていらっしやる方が女性には多いらしい。ちょっとビックリした。私は幸い、現在ウィークポイントは特にないので、事前の予防策は何もしていない。

 登ることで体も鍛えられるはず、という楽観もある。疲れを取るために、後で貼ることがある程度。「スッピン派」とでも言うべきか。これはまあ、思想信条の違い?に属する問題で、 どっちがいいということではなかろうが、ご参考までに男性諸氏にお知らせしておきます。

4.飯豊はいいで: リーダーの意図にのっとって、バテ報告で大半を費やしてしまった。残りで一般的感想を付け加えておきたい。飯豊には山塊という呼称がふさわしい。高さは2千mちょっとだが大きな広がりの山である。昔から、豊作を願う信仰の山であったという。新潟、山形、福島の3県にまたがる。飯豊本山頂上は新潟・山形県境にあるはずながら(すぐ近くに三県の境界の三国山がある)、信仰の登りロが福島県にあったせいか、頂上までの細い尾根道が福島県として象の鼻のように伸びている。

 今回は裏口にあたる山形から登り福島に下ったわけだ。縦走路は幾つかのピークがあってアップダウンはあるが、それ程きつくない。岩場があるかと思えば広い高原状の起伏が広がる。そこにイイデリンドウを初めとして花々が咲き乱れ、楽しい山である。

 二日目の尾根歩きは、時折、青空が覗く程度の天候で下界までは見えなかったが、雨具はつけずにすみ快適だった。夜、目覚めて本山小屋の外に出るとちょうど下弦の月の出で、地平線が明るくなっていた。星も見える。これはと思い、小屋の反対側に廻ってみると、飯豊本山と大日岳が夜目にもくっきり見え、その間の本山寄りに下界の明るい光の塊が見えた。

 翌日、小屋の主に尋ねたら、それは新潟市だという。天気のいい日はその向うに佐渡島も見えるそうだ。反対側には米沢の町も見えるという。奥深い山だが、下界からよく見える山でもある。だから、信仰の対象にもなったのか。下界から一度眺めてみたい。冬、ところによっては積雪10mの豪雪の山である。  

 3日目下山時、風が強く、弱い雨も降った。途中「剣ヶ峰」と呼ばれる長い岩場があった。濡 れて滑りそうな岩場での強風は怖かったが、何とか通過。 1mほど滑った方もあったけれど。下山して民宿でくつろいでいるところに、我々のすぐ後を下山していた地元のガイド養成のグループのおー人が、剣が峰の辺りの岩場で滑落との報が入った。情報が錯綜したが、57歳の方が亡くなられたとのこと。帰宅後、新聞、テレビに目を凝らしたが、このニュースを見かけず、真相は不明。ともかく、事故は本当にハズミ、紙一重のところで起こることを再確認した次第。  

 金本リーダー、堀尾サブリーダーを始め、同行の皆さんにはご迷惑をおかけし、本当にお世話になりました。感謝します。また機会をみて登ってみたい、いい山でした。     (倉光 正己)