本山小屋 |
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山行報告 | 金本 好彰 | |
一昨年は、雨のため撤退した飯豊山に是非とも登りたくて、今回は梶川尾根から川入りまで縦 走することに、堀尾さんと山友会の総会のときに決めていた。しかし、非難小屋2泊となると荷物が重くなり、参加申込みが少ない。半分あきらめていたが、なんとか9名が集まったので平安バスと交渉してバスで行くことにした。経費節約のため、運転手を1人にしてもらった。 20日7時京田辺出発。東北の天気があまりよくない。日本海東北道終点の中条で下車、小国までゆく。4時半に飯豊山荘着。赤い鉄分の多い温泉に浸かる。泊り客は少なく空いていた。食堂は明るくていい感じ。男4人の部屋が狭いので、2人は別の部屋に移る。 21日、飯豊山荘を朝5時に出発の予定であったが、大雨であったので、6時出発とする。宿舎で、おにぎりの朝食をいただく。熱いコーヒーも入れる。6時、雨がすこし緩んだので、宿舎を出る。梶川尾根を登るが、はじめから、いきなり急登が続く、荷物が重い。こんな急勾配を3時間も上がりきれるか不安になる。虫が多くて困る。顔や腕をずいぶん刺された。 暑さもあってか、倉光さんの調子が良くない。さかんにエアーサロンパスをふっている。 降りてくる人と5人会った。彼らは山行中はずっと雨だったらしい。五郎清水あたりで少し勾配が緩んだ。下山中の若い二人と出会う。雨は小降りになってきた。二人の話では、梅花皮小屋は施設が大変良かったらしい。走行するうち扇の地紙に着いた。門内小屋はもうすぐだ。 門内小屋に着いたときは、雨はやんでいた。着いたときは13時で、梅花皮小屋まであと2時間ある。明日、もし雨になるようなら、今日中に梅花皮小屋まで行きたい。 倉光さんの調子は、少し良くなっている。皆に聞いてあと2時間歩くことにした。 15時梅花皮小屋着、体はぬれているが、夕食の準備のため水場へ向かう。、 少し歩いたところに水場がある、湧水らしい。とうとうと流れている。 冷たい水がなんとおいしいことか。小屋の真下は石ころび沢である。別棟になっている管理人に聞くと、今は、石ころび沢を登ってくる人はいないとのこと。 500円で敷き毛布を借りて、2階に上がる。階下は、学生が6人・2階はわれわれ9人と別グループ4人が宿泊、素泊まり一泊1500円なり。一人ごとに荷物入れがあり、コンクリートのコンロ台が2列にある。 早速 水割り・湯割りの洋酒をいただく、夕食は、アルファー米にカレーをぶっかけ。疲れているので、すぐにシュラフに潜り込む。場所が広いのでゆったりと休むことができた。少し寒かった。 朝6時雨は降っていない。天気は曇りなり、今日は本山を目指して行く。ガスが晴れたときは、大きな残雪が鯨のように横たわっている。所々に残雪がある。時には、奥深い山の稜線が見える。すばらしい。きれいな花が群生している。可憐な飯豊リンドウがある。あまり高低差がなく、烏帽子岳を経て、御西小屋に着く。登山者に会わない、御西小屋で大日岳に行ったグループの荷物が置かれている。 ここで少し休憩、それぞれ行動食を披露している。染谷さんがグレープフルーツを取り出した、少しいただく。少しの休憩後いよいよ飯豊本山を目指して登ってゆく。歩きやすい道だ、視界もいい、ガスが無ければすばらしい景色が見える所だ。 12:15飯豊本山に登頂・一瞬晴れ、すばらしい。みんなと握手した。何回も計画し、一昨年は雨の中、切合小屋まで行って撤退した飯豊山に登頂した。感激である。頂上よりの展望を楽しんだ。長いこと過ごした頂上をあとにして、本山小屋に向かった。 13:00本山小屋に着いた。1階は個人山行の15〜6人のグループ、2階はわれわれ9人と予約組み4人、梅花皮小屋にくらべて小さい。コンロ台がある。素泊まり2,000円、敷きマット100円、管理人はテキパキと指示する。 ここは、川入りから本山を目指す登山家が多く、混雑するとのこと。早速少し下ったところの水場へ向かう、あまり多くは流れていないが、冷たくておいしい水だ、おいしい水で洋酒を飲んで、夕食の支度、各人が持ち寄った夕食をいただく。寝床が狭いので別の場所に移ったら、管理人に小言を言われた。 翌朝小屋の付近で展望を楽しんだ。飯豊本山・ダイグラ尾根・が見える、大日は、雲で見えない。6:00出発、曇り、御秘所の岩場を通るときは、緊張する。少し降りたところで、切合小屋に着く、コーヒータイム。ここからは三国小屋を通って剣が峰を目指す。 一昨年は、大雨の中、下ったことを思い出す。今日は、風が強い、みんな疲れているが大丈夫か。 剣が峰に入ったところで吉津さんが少し滑って捻挫をした。大丈夫といっているが、テーピングをする。 剣が峰の難所を通過できるか不安になる。しかし吉津さんは、強い風の中がんばって剣が峰を通過した。あとは小白布沢の林道まで行くだけである。 駐車場まで迎えてくれた車2台で川入りの村杉荘到着。 村杉荘は、表が開けっ放しのため、蚊がいっぱい入ってくる。手足を数箇所かまれた。経営者は、喜多方からシーズンだけ来て、民宿をしている。田舎の人はのんびりしていて好感が持てる。蚊も気にしていない。 民宿の先客は、長崎から来ている。明日飯豊に昇るらしい。われわれの後を歩いていた地元の人が、剣が峰で滑落して亡くなったことを聞いた。経営者と地酒を飲み交わす。民宿を8時に出発し、坂下の糸桜里(しおり)の湯に寄って新田辺に帰る。予算56,000円(4泊)。あとで聞くと吉津さんは、骨折していたとのこと、よくがんばってくれました。感謝します。 |
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写真提供は山口さん/// |
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<いいで、悪いで、飯豊山> 1.指名の顛末 :一昨年、例会で飯豊と朝日に出かけたが、飯豊の方は悪天候で、頂上まであと 1時間少々の山小屋で撤退した。次に朝日へ移動の予定があったせいもある。今年、飯豊だけに 限定で、しかし縦走に3日がかり、現地への往復時間を含めるとーつの山で5日がかりという超大型山行が提案された。絶好のチャンスと無条件で手を挙げたのだが、もちろん不安もあった。 この山は北アルプスなどと違い、山小屋はあるが布団、食事の世話はしてくれない。つまりはシュラフと2日分以上の食料を持参するという「カタツムリ山行?」である。絞りに絞った荷物を作ってみると14キロはある。春の大峯奥駈で似たような荷物を担いだが、高度差が違う。今回は初日、1400mの急登を登るという。覚悟を決めて出かけた。前日、まずまずの天候の中を麓の宿に着く。部屋の窓から覗くと、川岸から尾根が一気に競り上がっている。この尾根を登るようだ。 初日朝、雨。強くなったり、弱くなったりしながら降り続く。出発時間を少し延期するも、あまり情況は変わらず。雨具をつけて、場所がないので玄関での屈伸運動だけで出発(これも悪か った?)。宿から100mほどの登り口から、一気に急登が始まる。かくして、悪条件が重なりバテバテとなり、同行者の皆さんに迷惑をかけてしまったもので、帰りのバスでリーダーから感想文のご指名を受けてしまった。 しかし、私にとって今回の「バテと回復の過程」の体験はそれなり に貴重なものだったので、恥ずかしながらこの機会をお借りして、皆さんに紹介させていただく。 2.「バテ」の顛末 :マット、食器など多少の荷物を車に残したが、あまり重さの減らないまま出発。汗かきの私は、雨、というより、雨具が大の苦手である。汗が籠もっていずれべ夕濡れとな る。こうして重い荷物に雨具、そして急登、さらに眼鏡の曇りまで加わって、三重苦、四重苦の登山となった。あえぎあえぎ登るうちに、いつものように体が慣れてくるかと期待したが、今回はシンドクなる一方。そのうち大腿部前部の筋肉まで少し張ってくる。覚悟してはいたがさらに 急登が続く。 自主申告してトップのHサブリーダーの後ろに付かせてもらう。2時間ばかりして、 筋肉の様子がいよいよおかしい。入会当初、六甲で経験した「ツリ」の前駆症状だ。六甲ではこういう状態で、わざと階段数段を急ぎ足で登ってみたら、みごとにツッて痛い目にあった。バカ な人体実験だった。よって今回は、筋肉をだましだまし、恐る恐る歩を進める。しかし荒れた道 で大きな段差もあるから、足を踏ん張らざるを得ない場所がある。いよいよツリ直前の状態にな ってきた。胸も息苦しい。いつもの手で深呼吸を繰り返してみるが、あまり効果がない。 まだ休憩時間前だが、ギブアップして休憩にしてもらい、足にエァサロンパスを吹きかけた。ついでに、 バナナとクエン酸入りシソジュースを流し込む。女房殿やリーダーほかの皆さんが心配して、荷物を少し持って下さるというので、素直に従う。2キロは減ったか。そんな休憩要求をもう一度やってなんとかガンバル。やっぱりシンドイ。そして、やっとサブリーダーが10分間の中休憩を宣言してくださる。 急登の中間地点のこのあたり1時間ほどは、本当にシンドカッタ。棄権して引き返すにしても、あの急坂では登るより怖い。そこに、ガンで苦しんでいる知人のことが思い浮かぶ。こちらは道楽でシンドイだけ、彼の苦しさに比べれば…。ただ前進あるのみ! この10分間にも休んで食べて飲んで、ちょっと息を吹き返した。さて再出発。歩き始めてみる と、アラ不思議、筋肉に鈍い痛みは残っているが、ツリの前駆症状からは離れたようだ。胸苦しさも減っている。かくして、このあとはまずまずのペースで登り続けられ、無事、主尾根に到着。 今日はいつもつける山行記録どころではなので、自分ではペースがよく分からない。Kリーダーに確かめると、私の不調にもかかわらず、それほど時間は遅れていない、と。ヤレヤレ良かった。 それで、宿泊小屋も、予定の小屋から1時間半ほど先の梅花皮小屋まで行くことに決定。「大丈夫か?」と聞かれて「大丈夫!」と答える。実際、大丈夫だった。あと2日間も何事もなかった。 3.ツリ回避のコツ :筋肉のツリは、要するに筋肉の過度の疲労だろう。だから、普段からの鍛錬が先ず第一。しかし、鍛錬していてもツルことがある。この日に限ってバテてしまった原因も、
回復した理由もよく分からない。しかし幾つかの教訓はあった。以下にまとめてみる。
登ることで体も鍛えられるはず、という楽観もある。疲れを取るために、後で貼ることがある程度。「スッピン派」とでも言うべきか。これはまあ、思想信条の違い?に属する問題で、 どっちがいいということではなかろうが、ご参考までに男性諸氏にお知らせしておきます。 4.飯豊はいいで: リーダーの意図にのっとって、バテ報告で大半を費やしてしまった。残りで一般的感想を付け加えておきたい。飯豊には山塊という呼称がふさわしい。高さは2千mちょっとだが大きな広がりの山である。昔から、豊作を願う信仰の山であったという。新潟、山形、福島の3県にまたがる。飯豊本山頂上は新潟・山形県境にあるはずながら(すぐ近くに三県の境界の三国山がある)、信仰の登りロが福島県にあったせいか、頂上までの細い尾根道が福島県として象の鼻のように伸びている。 今回は裏口にあたる山形から登り福島に下ったわけだ。縦走路は幾つかのピークがあってアップダウンはあるが、それ程きつくない。岩場があるかと思えば広い高原状の起伏が広がる。そこにイイデリンドウを初めとして花々が咲き乱れ、楽しい山である。 二日目の尾根歩きは、時折、青空が覗く程度の天候で下界までは見えなかったが、雨具はつけずにすみ快適だった。夜、目覚めて本山小屋の外に出るとちょうど下弦の月の出で、地平線が明るくなっていた。星も見える。これはと思い、小屋の反対側に廻ってみると、飯豊本山と大日岳が夜目にもくっきり見え、その間の本山寄りに下界の明るい光の塊が見えた。 翌日、小屋の主に尋ねたら、それは新潟市だという。天気のいい日はその向うに佐渡島も見えるそうだ。反対側には米沢の町も見えるという。奥深い山だが、下界からよく見える山でもある。だから、信仰の対象にもなったのか。下界から一度眺めてみたい。冬、ところによっては積雪10mの豪雪の山である。 3日目下山時、風が強く、弱い雨も降った。途中「剣ヶ峰」と呼ばれる長い岩場があった。濡 れて滑りそうな岩場での強風は怖かったが、何とか通過。 1mほど滑った方もあったけれど。下山して民宿でくつろいでいるところに、我々のすぐ後を下山していた地元のガイド養成のグループのおー人が、剣が峰の辺りの岩場で滑落との報が入った。情報が錯綜したが、57歳の方が亡くなられたとのこと。帰宅後、新聞、テレビに目を凝らしたが、このニュースを見かけず、真相は不明。ともかく、事故は本当にハズミ、紙一重のところで起こることを再確認した次第。 金本リーダー、堀尾サブリーダーを始め、同行の皆さんにはご迷惑をおかけし、本当にお世話になりました。感謝します。また機会をみて登ってみたい、いい山でした。 (倉光 正己) |