四姑娘山(6250m) 2007/7/10 |
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山行報告 | 村上 格也 | |
例会としての海外は私が山友会に入会して始めての試みである。リーダーの寺澤さんの一年をかけての緻密な計画のもと、7月4日から15日間のトレッキングを兼ね、又昨年7月に開通したチベットのラサまでの青蔵鉄道の旅が実行された。参加者の方々の感想文とコース日程で我々の旅の雰囲気はつかんで頂けると思うので山行報告としては旅の中でも特に注記すべき点を述べる事とする。
ひやりハット なし |
中国の山旅の計画について 寺澤 淳 |
四姑娘山 四姑娘山は成都から西へ220kmの日隆鎮に位置する雪山で、標高5,335〜6,250mの4つの峰からなり、東方のアルプスとか、マッターホーンと言われています。双橋溝、長坪溝、海子溝、の3ルートがあり、山麓は高山植物の開花が特に多い季節、7月〜8月に、(青・赤・黄のケシの花(ブルー・ポピー等)、エーデルワイス、アツモリソウ、キンポウゲ等)花を眺めて歩きたい。 九寨溝・黄龍(2ヶ所は、世界自然遺産) 九塞溝は9つのチベット民族の村が有る谷という意味です。九塞溝の入り口から30km奥までの谷間には、コバルト・ブルーやエメラルド・グリーンの百以湖、滝、湿原、渓谷、川がり、樹正郡海がある所を歩きたい。黄龍には石灰華の上を水が流れて作り出した渓谷で、海抜2000m〜3800m景勝地があり、双方のトレッキング・ルートの景観を楽しみながら歩きたい。 チベット青海鉄道(西蔵鉄道) 世界最高地(5,072m)を走る鉄道で、万年雪の崑崙山脈、主峰・王珠峰(6,178m)やタングラ山脈・5000mの山々を眺めたい、更に、4,000m以上の高原の自然保護区に生息する「チベット・ロバ、チベット・ガゼル、チルー(北京オリンピックのマスコットになった)」を見たい。聖地・ツオナ湖を見ながらチベットの省都・ラサに行き、ダライ・ラマの宮殿・ポタラ宮、聖地・ジュカン寺や仏教の大学である色拉寺を見学したい。 成都の観光(武候祠、杜甫草堂、パンダセンター) 三国志で有名な劉備や諸葛孔明の史跡、詩人「杜甫の庵」、中国のパンダ・センターを観光、変面の川劇の観劇も見逃せない。 と欲張った企画を、コスト・パーフォーマンスを重視し乍、プラン出来るか、それに、参加者が集まるか、こんな条件の「ツアー」があるか、等と約1年前から検討し始めたが、こんな「パック・ツアー」は無い、又、数社の見積もりは、最低50万円以上が必要との返事であった、その為、現地のツーリスト情報を元に何社かと折衝、そして、最後に今回の旅行社と交渉し、日程、各地のホテル・ランク、交通機関やルートと費用概要を決めて、参加者を募集した。 参加人数が多少、増えたが、私の考えた範囲のルートと旅費にもなり山旅を決行する事にした。 旅行中は天候による飛行機の出発やチベット鉄道の座席の変更、途中の道路工事の影響など有り変更も多少ありましたが、全員が怪我、病気や高山病の影響もなく、旅をする事が出来た、これが何よりも良かったと思っています。これも参加者の皆さん方のご協力によるものと、心から感謝しています。 |
四姑娘山&チベット青海鉄道の山旅感想文集 |
四姑娘山と聖地ラサ他の旅に参加して 山本 和子 今回の旅行は以前から行ってみたいと思っていた待望のコースです。山友会の会員ではありませんが、旅行のお誘いを頂きあつかましいと思いながら参加させていただきました。 高山病や登山の経験も無く皆様についていけるかどうか心配しておりましたが、山友会の方々には、暖かい気配りをして頂きとても心強く楽しい旅行でした。 今度の旅行で一番期待していた事は今まで見た事もない高山植物を沢山見ることでした。九寨溝、黄龍、四姑娘山のハイキング、青蔵鉄道3300Km,車中2泊ポタラ宮と、もり沢山の観光です。 九寨溝、黄龍は木道で整備され、酸素の必要も無く景色を見ながら自分のペースで歩くことが出来ました。赤いケシがうつむきかげんに咲いていて黄龍では小豆色や黄色のアツモリ草をデジカメに収めました。自然が造った美しい大地に神秘を感じました。 四姑娘山へは工事中や悪路で1日がかりですがバスの窓から雄大な山並や4000mの峠越え、牛や羊の群れ、高山植物の高原を見ながらの移動です。長い時間をかけての来た甲斐がありました。 フラワーハイキングは遙か四姑娘山を眺めながら沢山の花々が群生している高原を歩き、足に自信が無く途中引き返すつもりが、もう少し歩いたらどんな花に出会えるかと自然に足が進み、景色やデジカメに夢中になって高山を歩いていることを忘れていました。下山は途中からトボトボ歩きでホテルに辿り着き、20Km程歩いたと聞き驚きました。初体験です。 長野さんが山で出会った現地の女性から一輪のアツモリ草を「送給・・」と言って下さったそうです。
成都からラサへの青蔵鉄道での2泊は小学2年の中国人男児に会話の発音を教えてもらったり、壮大なパノラマ景色や満天の星空に流れ星を2回見た事などが印象に残りました。 ラサの美しいポタラ宮、大昭寺では露天が並び「チベットの銀座」と言われ人々でいっぱいでした。五体投地をしている人、マニ車を廻しながら歩いている人々をみて信仰の深さに感心しました。 中国の広い国土とたくさんの民族、生活や環境を見聞し長い旅程で旅行体験や色々なお話を伺う事ができました。皆様のおかげで有意義な旅となり、体力にも自信がつき又出かけたくなりました。誠に有難うございました。 以上 (一般参加) 九賽溝・黄龍・四姑娘山と西蔵鉄道の旅
朝早く出発したお陰で山の展望所で綺麗に四姑娘山を眺めることが出来た、麓からであるが、今迄観たことの無いスケールの大きい山で感動。帰って写真で見たら思ったように写っていない、 やはり現地でしっかり観ておかねば。老牛園子手前迄のトレッキングは高山植物の花一面の中を気持ちよく歩き他では経験できない山歩きが出来た。 西蔵鉄道(チベット鉄道) 3300km・48時間はさすが長いと思ったが、移り変わる高原・村落・動物・山々・湖等の景観を眺めたり、食べて、喋って、寝て退屈はしなかった。特に2段ベットで夜中に眺めた星(北斗七星)の目の前に輝く姿にひとりで感動。 成都市内観光やラサ市内観光・パンダ飼育センターの見学等色々観光やトレッキング等密度の濃い旅であったように思う。 乗り物では色々ハプニングがあり当時は大変に思ったが、今となっては貴重な体験で話の種が多くなりこれも旅の楽しみと思えるようになりました。 リーダーの寺沢さんはじめ山友会の皆さんには色々指導や気遣い頂き有難う御座いました。また長野さんご夫妻はじめ参加メンバーの皆様にお世話かけ、お礼申し上げます。お陰で楽しい旅が出来ました。 以上 (一般参加) チベット仏教の信仰心
九寨溝・黄龍とチベットの旅に思うこと
このたびは、飛び入りで参加させて頂き、皆様方にお世話になり楽しい旅が出来たことを大変嬉しく思っております。 チベットの旅15日間
青蔵鉄道、駅前・中は「混雑・・・!ぐちゃぐちゃ・・・!」、まるで戦後のどさくさと全く同じ混乱 状況だ。 「何だ!これは・・・!」開いた口がふさがらない・・・
黄龍の景色、四姑娘山、青蔵鉄道からの広大な風景と万年雪の山々、チベット民衆の一途な信仰の姿、ポタラ宮の壮巌さ、八角街でのショッピング等々・・・、これからもTV,新聞等で目にする度により鮮明に思い出される事でしょう。 九寨溝〜ラサ ハプニングもまた楽し 岡部 貞雄 15日間の旅行中3000m以上の高地に滞在する日が半分以上もあるので、高山病を心配していたが、全員無事に旅行を終える事ができたのはなによりであった。 一日目は関空から上海で国内航空に乗り換え成都までだったが、成都のホテルに着いたのは夜中の12時過ぎ、日本時間では午前1時をまわっていて長い一日だった。 翌日から中国での旅が始まる。成都は蒸し暑く街中が少しほこりっぽい感じがした。マイカーがどれもピカピカにワックスがけをされて走っていて、自転車もきれいな電動自転車が多く走っていた。以前は汚いポンコツ同然の車が多い中国だったが発展の速さには少し驚かされた。ただし、車優先のルールだけは変わってなく道路を歩いて渡る時は信号があっても遠慮なしに突っ込んでくる車にヒヤヒヤする。
さて、旅の始まりは順調でこんな調子であったのだが。これからは次々とハプニングに出くわす旅となるのである。次からはハプニングを中心に話をまとめてみることにする。 午後は本旅行中のハイライトの一つである九寨溝に向かうために成都空港へ行く。ここからが本格的旅の始まりであったのだが、ここで出鼻をくじかれる様な出来事が待っていた。 九寨溝への飛行機は現地が悪天候ということで空港で数時間待たされた。待合室の掲示板には九寨溝は雷雨で気温2〜−2℃と書いてあったのをみて少し不安になる。待つ間に弁当の配給があったりして夜の八時頃やっと九寨溝に向けて飛び立った。 ただし、現地の天候の状態によっては着陸せずに引き返す事もあるとの事であった。50分位のフライトで九寨溝の下の街の明かりが見え高度も下がってきたのでやれやれ空港に着いたかと思ったが、その着陸寸前に急上昇して再び成都空港へ引き返し、航空会社の用意したホテルに泊まるはめになった。用意された食事はラーメンかチャーハンのどちらかの選択だった。明日のモーニングコールは4時半で出発は5時半という事でラーメンをあわてて食べて寝たが1時をまわる。 翌日は予定通り8時前に九寨溝に向けて飛び立ったが、着陸するまで皆不安そうで50分くらいで九寨溝空港に着陸した時には機内で拍手が沸き起こった。 そんなハプニングのあとの九塞溝の素晴しさには特に感銘を受けた。その九塞溝の様子は他の人の感想を見ていただくとして、次のハプニングについて書いてみる。 5日目は都江堰から四姑娘山麓のトレッキングの目的地である日隆へバスで向かう。山道を10時間くらいのバスツアーという事で、長いなあとは思ったものの想像以上の悪路でしかも工事中のところが多く何回も待たされた。以前シルクロードをバスで走ったがその時も道は悪いところもあったが、全体的には舗装されたところが多くて工事中で何分も待たされたりした事はなかったので、今回もそれくらいかと思っていたが大きく予想がはずれた。 出発して2時間もすると渓谷沿いの道になり、車体の揺れも段々大きくなってきた。川沿いの畑にはキャベツやトウモロコシが沢山植えられている。急峻な岩峰には幾重にも流れる滝がみられ山水画の風景が広がる。カメラのシャッターを押すのが忙しくなってきた頃バスは止まった。 前方には数十台の車が止まっている。車から降りて様子を見に行っている人も多く、我々も前方の状態が分かるところまで行ってみたが、ダンプカーが運んできて道路に積み上げた砂を平坦にならしているところだった。 しかも、ブルドーザーなどは見当たらず、数人でスコップやツルハシで作業をしていた。時間がかかるはずだ。その内に待たされた車の人たちに向けてゆで卵売りのおばさんがやってきた。日常化した工事のために止められた車を目当ての商売がなりたっているのだろう。 そこでは、1時間くらい待たされたが、その間横の渓流まで下りて雪解け水が怒涛となって岩をかむ様子にみとれたり、目の前の岩峰の岩の重なりの不安定さの絶妙美に目を奪われたりと少しも退屈することなく時間が過ぎたのは幸いだった。
日隆までそんな工事がいたるところで行われており何回か待たされたが、それは本当に必要な道路工事なのか、ひょっとしたら道路を破壊しては元に戻しているのではないかと思われるほど、不思議な工事風景なのである。何十年かかっても終わらないのではなどと思ってしまった。その内に雨が降ったりして道はぬかるみ益々バスはあえぐように峠を上っていく。運転手は慣れているといっても大変な重労働だろう。
早く通り抜けたいとあせって歩いていると、車内販売の女性に出くわす時がある。物品を積んだワゴンを押しながら進んでいるが、この販売員たちがまた日本では考えられない程無愛想で、いくら前後に人が来ても全く頓着せず少しも道を譲ってくれそうになく、強引に体をワゴンにこすりながら通りすぎるしかない。
ラサまでの48時間、色々のことがあったが車窓の風景の素晴しさや同行の皆さんとの交流も深まり殆んど退屈することなく旅を楽しめた。 中国旅行感想文
九賽溝、四姑娘山と聖地ラサへ・成都から青蔵鉄道の旅 守口 實・真理子 事前に何人かに聞いた話では「旅行中のグループの内何人かは高山病になった」とのことだったが、毎日の水と酸素ボンベ他のおかげか、心配していた高山病もかからず無事に全員が元気に帰ってこられた。今回の旅行を計画した幹事と旅行社の方に感謝したい。しかし今回はいろんな事のあった旅・トラベル(トラブル?)だった。 ・悪天候のため一度は九賽溝の空港に着いたものの着陸できず、再度成都へ戻り市内のホテルに宿泊、翌日早朝の飛行機で再度九賽溝へ行った事。 ・四姑娘山の麓の日隆へのバス移動の道中が工事のため通行止めで現場で1時間半程度待たされた事(予定してはいたが) ・青蔵鉄道の寝台車の手配が予定通りにならず数グループに分散した事。 ・帰国時成都出発の飛行機が遅れたため北京空港での乗換時間がなくなり大慌てで出国の手続きや搭乗の手続きをして乗り換えた。しかし日本へのルートの途中が天候不良のために出発が遅れ、結局乗った飛行機の機中で待たされ、その結果関西空港到着が遅れ、最終の松井山手行きのリムジンバスに乗れなかった。北京でも大急ぎの移動・手続きはなんだったのか。 等々旅行中はいろんな事があったが、後はスムーズに旅行が終わった。天気も雨具を着て歩いたのは1日だけで、後はたいして雨にあわなかった。 旅行中の食事をしたレストランと朝食時以外はほとんどビールを注文したので、旅行中の食事とビールを整理すると
日本のような大瓶・中瓶等の決まりはないのか?容量はいろいろ。
全般的に一昨年に行ったシルクロードの処々と比較すると緑も多く綺麗だった。(あくまでも前回に比較してだが)成都市郊外には米が植えられ、木々の緑も多かった。彼方此方移動中のバスの窓からもトウモロコシ畑や茶畑も見られた。 行って来ました盛りだくさんの旅行
叉 仲良くなった簡陽市の小学3年になる体育の好きな王 昭宇君は、2ヶ月の夏休みを利用してラサの親戚に20〜30日間いくそうで、彼に中国語を教えて貰ったりしていると彼のお父さんに『薬を持っていないか』と聞かれた。奥さんがとてもしんどくて頭が痛いそうです。額に触ると微熱があり山本さんが「ひえピタ」を額に貼ってあげ、私は「食後に飲んでください」とバファリン2日分を提供した。翌朝「体調は如何ですか?」とたずねると笑顔で大変良くなったとの事、食事も摂っておられ鼻歌も聞こえてきた。(ホッとする) (漢字熟語による)四川・西蔵周遊記 2.蜀犬吠日(しょっけんはいじつ)。無知蒙昧の私:まず最初に、一番度々出たり入ったりした街、成都に
四川省と言えば、パンダの故郷である。その研究施設兼動物園のようなところもあって、パンダもしっかり見てきた。子供というのは何でもかわいいが、子パンダも親パンダと違って活動的で、見ていて飽きない。でも考えてみたら、野生のパンダは、孤立して子育てしているはず。子パンダが何頭も集まってじゃれあって遊んでいるという風景は、かわいいけれど、自然ではありえない光景かもしれない。 成都と言えば、三国志に出てくる「蜀」の国なのだそうだ。昔、中国史を勉強して、「漢」の後が「魏・蜀・呉」の並び立つ三国時代、なんて記憶したが、どの地方がどの国なのやら、まったく覚える気もおこらなかった。今回行ってみたら、すっと頭に入った。蜀と言えば劉備の国。諸葛亮の庵を三度訪れて、軍師になってくれるよう乞うたというのが「三顧の礼」のお話である。その劉備が、三国の三すくみ状態で、馬に乗って戦場に出る機会がなく、大腿部に無駄肉がついて年老いていくのを嘆いた故事が、「髀肉之嘆(ひにくのたん)」である。私自身、最近山行をサボっているので、髀肉之嘆を実感している。 あとは詩人杜甫。唐が一時滅んだとき、役人だった杜甫が逃げ延びて成都に難を逃れたという。その頃詠んだ有名な歌(五言律詩)が「春望」。ガイドさんの質問に誰も完全には答えられなかったので、遅ればせながら、次回に恥をかかぬよう、詩とその読み下しを書いておく。 春望 春の望(なが)め (吉川幸次郎) 國破山河在 國破れて山河在り 城春草木深 城は春にして草木深し 感時花濺涙 時に感じて花も涙を濺(そそ)ぎ 恨別鳥驚心 別れを恨みて鳥も心を驚かす 烽火連三月 烽火は三月に連なり 家書抵萬金 家書は萬金に抵(あた)る 白頭掻更短 白頭の掻きて更に短く 渾欲不勝簪 渾(す)べて簪(かざし)に勝(た)えざらんと欲す もう一つ、ガイドさんから聞いたのが「蜀の犬は太陽を見ると吠える」という話。つまり、このあたりは山地に近く、いつもどんよりした天候なので、たまに太陽が出ると犬が驚いて吠える、という面白い話なのだが、これがちゃんとした漢字熟語になっていることを帰国後、偶然、初めて知った。それが本項のタイトル「蜀犬吠日」である。四字熟語は奥が深い??? 3.危機一髪。五里霧中の九寨溝:最初の九寨溝が大変だった。空港で半日待ったが現地の天候が悪く、先便は総て着陸できず戻ってきているという。航空機はこういう時は待つしかない。遅くなってから我々もやっと飛び立ったが、やっぱり着陸できず舞い戻って、成都のホテルに入ったのがもう翌日。代わりの便が翌早朝ということになって、4時間足らずの睡眠で再出発した。幸い、その日は無事着陸。着いてみれば、ここも3000mを越える山地を平に削って作った新空港。天気が悪ければ霧の中だろう。九寨溝、黄龍観光だけのための小さな空港だから、設備も不十分なのかもしれない。ともかく、無事着いて、すぐバスで目的地へ。前日の半日の無駄を克服して、予定通り行動できたのは幸いだった。 九寨溝、黄龍ともいまをときめく世界遺産、風光明媚なる天下の奇勝だった。これは写真を見て頂くに如くはない。どうしてこういう地形ができるのか不思議だ。現地は観光に力を入れる中国政府のてこ入れか、道路を整備したりケーブルカーをつけたり、辺境の地の面影は薄い。設備は整い、ゴミ箱もあちこちに置かれ、トイレもきれいだ。掃除する人も沢山いる。このあたりはもうチベット族など少数民族の地だから、こういう仕事も少数民族のための雇用促進を兼ねているのだろう。美しく整備されているが、手が入りすぎて、やや人工の匂いがし始めている。観光産業の難しいところだろう。 4.悪戦苦闘。冷汗三斗の四姑娘への道:
来る途中の峠も、トレッキングの丘陵地も、高山植物のお花畑で見事だったが、そこは、何のことはない、ヤクや牛や馬の放牧場でもある。彼らがその植物群をうまそうにムシャムシャと食べていた。大陸はオオラカなものである。 帰りには、遠回りながらも行きよりはマシな道路を通ることになった。途中で見た看板に「長征」なる文字が見える。後でガイドさんに聞いたら、毛沢東の長征コースの一部だという。4000mを越す峠も彼らは越えたのか! ウ〜ンとうなるばかりであった。 5.驚天動地。摩訶不思議の地、チベット:昨年開通し、NHKでも放映していた青蔵鉄道なる天空列車に乗った。これがまた成都駅の大混雑からして大変。敗戦直後の日本の鉄道の混雑振りはよく聞くが、平時の中国もそれに負けていない。物騒だからと、ザックをお腹側にかけた日本人20名の大集団も見ものだったようで、回りの注目を集めていた(証拠写真があるはず)。なんとか列車にたどりついてみると、席取りがまた大変。ちゃんと予約してあるはずが、メンバーがあちこちにバラバラ。ガイドさんたちの苦労のほどはよく知らないが、客車はばらばらながら、ともかく6人のコンパートメントにまとまることができた。降りてから、他の日本人団体客と話したら、彼らはバラバラのままだったとか。空港にはパソコンも置いてあり、ケイタイは日本と同じく常識という現代中国において、列車の予約がなぜかくも無様なのか解せぬが、発展途上のアンバランスとしか言いようがない。客車自体も、汁物の多い食事や中国流食事作法と絡んで、開業1年とも思えない汚れ方だった。まあ、そういうことを承知で乗れば、日本ではお目にかかれぬ風景の中を二日二晩走る列車の旅はなかなか面白いものだった。 ラサの街がまた驚き。仏教国チベットが、そのまま現代中国に生き残っているのが不思議である。ガイドさんの日本人の坊さんよりアリガタイお説教に、酸素の薄さも忘れる思いであった。子供の頃にバアチャンに聞いた転生輪廻思想が、今も生きるチベット。五体投地という尺取虫的な歩みで寺にお参りする若者。その寺を取り巻く、怪しげなるものも売っている露天の店・・・。懐かしくも摩訶不思議な街であった。 6.顔厚忸怩。切磋琢磨すべき私、そして再度、旅の大義名分:最後の最後がまた一騒ぎ。成都から北京への国内便が遅れて、北京からの国際便に乗るのがギリギリ。空港職員に引率されて、空港内を最短距離で突っ走ったが大変だった。関空に着いてみれば、私の荷物が出てこず、二日後にやっと到着した。これだけ「選ばれた者」になったのなら、とジャンボ宝くじを買ってみたが、結果はまだ分からない。 中国は広大である。中国にたどりつくのは簡単だが、そこから目的地に着くまでが大変である。文字通り、中国の奥は深い。今回は、あまり予習もせず、ガイドさん任せの旅であったので、行ってからいろいろ勉強したいことが分かってきた。移動のバスでも、ほとんどイネムリもせず、熱心に外を眺めてきた。それで、宿題が多く出来た。近代中国史を読み直したい。毛沢東の長征コースも。何より、現代中国文字をちゃんと知りたい。チベットの歴史も勉強したい。明治の頃にチベットに入り込んだ河口慧海なる人物についても調べてみたい。三国志演義を読み直してみたい。漢字熟語も勉強しなくちゃー。 それにしても、中国という国は、あれだけ広大な土地と人口を、どこへ導くつもりなのか? 世界は大国中国の影響をうけて、どこへ連れて行かれるのか? なんだか大げさだが、観光旅行では終われない、大きな宿題をもらった感じの今回の旅行だった。
(おわり) 四川省とチベットのラサ、深呼吸の旅
四川省の州都である成都を基点にして、四川省の中の景勝地を訪ねるのが私たちの前半の旅程である。コンクリートの大都会は蒸暑く、どんよりと曇っていた。ここから最終日までお世話になる李さんは上手な日本語で説明をしてくれる。「蜀の犬は陽に吠える」とはうまく言ったものだ。一年に250日は曇天の成都、太陽が珍しいようだ。出発前、同志社大学院の中国女子留学生から、「恋人は四川省で働いている」ときき、「何か託けるものは?」と尋ねたら笑ったはずだ。ここは人口300万の大都会、広い道路が印象的で、そこに人も車も溢れかえっていた。自転車、電気自転車が、信号が変わると、堰を切ったようにどっと流れる。渋滞の車の隙間を器用にぬっていく自転車、電気自動車はバスから見ていて飽きない。急激な近代化路線をひた走る中国の波は成都も例外でない。暗い古い旧市街の建物や路地の団欒場所は壊されて、世界共通の白っぽい高層ビルが建ち替わっている。経済が地域の生活、文化に優先するのはここも同じ。忙しく立ち働いている上半身裸の男の人達、散乱している店頭、活気溢れる下町の営みにひ弱でない中国を感じた。いろいろなものが共存する成都からあちこち行き、帰ってきては、次々と古い面白いものを見せてもらった。詩人の杜甫が住んでいた杜甫草堂、諸葛孔明を祭る武侯祠、3000年前の青銅器文明の遺跡の展示をしている三星堆博物館、一瞬に変わる変面に代表される茶館での川劇、パンダ飼育センター、どれも心を捕らえたが紙面に余裕がない。そうだ、好好吃(ハオハオチ)の四川料理に堪能したことも付け加えねばならない。 説明もむなしい九寨溝、黄龍 メタンガス混入の深呼吸 (四姑娘山)
四姑娘山の麓は花盛りだった。青いケシはなかったが、黄や赤のケシ、黄や暗紅のアツモリソウ、黄やピンクのサクラソウ・・・数え切れない種類の花が咲いていた。そんなお花畑は牧草地でもあり、牛、馬、ヤク、羊が美しい花を遠慮もせずに食んでいた。私たちは山友会の名を汚さないように、観光客よりも少し高く、四姑娘山への登り道を3600m位まで登った。60%の酸素量の空気、しかもいたるところにある牛馬の落し物から発散するメタンガス混入の空気を、深呼吸し、頭痛と闘いながら登った努力は認めて欲しい(?!)。下山の時、3日前黄龍で会ったアルパインツアーのグループに会った。彼らは大姑娘山(5355m)に登るそうだ。差をつけられてしまった。その夜町のレストランで郷土料理をご馳走になったが、周りの壁には日本の登山隊の寄せ書きが沢山はってあった。その中に「サーズが流行した時、日本から唯一我々のみが、ここを訪れ、登頂した」という寄せ書きがあった。何でも威張る種になるものだ。丘一面に咲いているトラノオ(日本のとは違う)の絨毯は豪華そのものだった。このトラノオを中国では「真珠花」と言うそうだが、青空を背景にした真珠花の白いうねりは、旅の中疲れの我々には絶好の清涼剤となった。
‘神の地’ラサはチベット各地からの巡礼の人々で賑わっていた。文が書いてあるマニ車を片手で回し、もう一方の手で数珠を繰って歩いている老婆達。バター油を入れた魔法瓶を持って寺院を回り、次々と灯明をあげていく人々。あらゆる仏像の前にお布施をしていく、そんなに裕福そうでない人々。そして何よりも驚いたのは五体投地の人達である。太陽が容赦なく照りつける日中に、埃っぽい雑踏の中を両膝、両腕、額を地面につける行為をくり返して、遅々と進んでいく。一対何が彼らをそうさせるのか。彼らは何を願って自分を痛みつけるのか。煩悩を超越する為? 自分や家族の幸せ? 平和な世界? 来世の幸せ? 誰にも聞けなかったが、日に焼けた顔、傷ついた額を見ては、その素朴な、崇高とさえいえる宗教行為に私は感銘を受けていた。 チベットは1950年代に中国共産党政府の侵略を受けた。文化大革命の時、私たちが訪れたジョカン寺、セラ寺、デプン寺を含む4つの寺院のみ残され、他の寺院はことごとく破壊されたそうだ。10年前ブラッドピットが目的で見た映画、「チベットの7年間」はチベットでは上映が禁止されたそうだが、映画に出てくるダライ・ラマ14世はインドに亡命中である。今チベットは中国の自治区になり、中国当局の官庁の門には硬直姿の守衛が立っている。前を通るたびに物々しさを感じる。多くのチベット人が本当に愛している仏教の国が、「現世」でも人々が幸せを感じられる国であるように、私は心から願う。 ドルチェさんは驚くほど立派な日本語で別れの挨拶をした。「日本も仏教の国ですから、私がチベット仏教について話したことを、生活の隙間に思い出して、生かしていただければガイド冥利につきます。」 (おわり)
山口 博 今中国は戦後の日本の復興を思わせるように、マンションの建設ラッシュと道路の工事が至る所で行われていて急速に発展しているのを目の当たりにしました。 9年前に北京を訪れた時は自転車が溢れていて車は信号などお構いなく突っ込んで来ましたが、今は車の洪水でバイクや電動自転車も有り様変わりしていました。 ★最初の目的地九賽溝。 これまではバスで12時間ぐらい掛かったのに飛行場が出来2時間弱で行ける様に成ったが、高山の谷間に作っているために霧が発生しやすくしばしば着陸出来なくなるらしい。 私たちも5時間待ちでやっと飛び立ったがやはり着陸出来ずに引き返して、成都の飛行場近くのホテルに急遽宿泊する事になり24:00に到着した。翌朝4:30のモーニングコールで3時間位の睡眠で、昨日引返した九賽溝空港に無事着陸出来てやれやれ一安心でした。
園内は綺麗に整備されているが入園切符の購入にはパスポートが入用で厳重で、日本では考えられない。(その後の入園・拝観にも全てパスポートが必要であった) ★四姑娘山の麓の村日隆へ13時間のバスで移動 四姑娘山の麓、日隆への移動が大変だ。道路は工事中で休憩時間の11:00から13:00までしか通行出来ないのでそれまで時間待ち、また酸素ボンベを持ち4,000mの巴朗峠を越えるのだが、至る処に道路工事でぬかるみの道で対向車が有ると大変です。道にはガードレールが無く窓から下を見ると谷で車が揺れる度に心臓に悪く下を見ない様にしました。 ★青蔵鉄道48時間の旅 2006,7,1に開通して丁度1年で切符が全国で売り出されたとかで纏まった席が取れてない。兎に角先ず乗車してから席を待つ、現地のガイドが交渉してやっと席が確保出来る。それでも2・4・14号車に分散となった。私の席は14号車三両目で食堂車に移動する時は大変で一般客車の通路を掻き分けて移動する。とても2号車までは行けないので停車の時に外から行ったがホームを200m以上歩いてやっと2号車にたどり着くことが出来ました。 ★聖地ラサ
★ 色んな事が有りましたが山友会の仲間達との楽しい旅でアット言う間に15日間が過ぎました。楽しい旅の内容は皆さんの感想文を読んでください。ハプニングも終ってみれば忘れ難い良き思い出と成りました。担当の日中旅行社の谷さん現地ガイドの好青年 李群興さんには終始親切に対応して頂きました。同行の皆さん15日間お付き合い頂き有り難うございました。寺沢さん企画から現地のリーダーで最後まで大変お世話に成りました。 中国への旅を終えて! 伊丹 立子
まさか、15日間の旅に参加できるとは思ってもいなかった。恐る恐る「7月に中国への旅に行きたいのだけれど・・」と、切り出すと「いいよ、7月は暇な時だから・・」と、すぐに返事が返ってきてびっくりした。その代わり・・というのがあって、{彼女の娘さんの第二子出産が3月末だった・}3月から4月にかけて、7月の旅の前働きをすでにし終えていたから、ゆったりとした気分で旅立つことができた。とはいえ、18日帰国〜次の日、19日は仕事に出ることにしていたので、交通機関・特に、飛行機が定刻に発着しなかった今度の旅では、ハラハラドキドキさせられる場面が何度もあった。その日の内に着けなかった成都から九寨溝への移動時と、帰国の日は特にハラハラした。 中国は今、道路事情などを含めて、全て途上であり、旅から帰り10日経った今、旅行の思い出といえば、移動が大変だったな〜ということが一番強く心に蘇ってくる。 なにしろ、中国は広い。ちょっとそこまでが、そう簡単にはいかないのだ。まして、今回の私達の旅は大変欲張った旅・・・成都〜九寨溝〜黄龍〜四姑娘山トレッキング〜成都〜チベット鉄道48時間の旅〜ラサ・・・移動に時間がかかったが、雄大な景色・青い澄み切った水の流れ・咲きほこる高山植物・雪をいただいた山々・可愛いパンダ達の戯れ・中国の歴史の深さと重み・・・全て満足のいくものであった。
ラサではポタラ宮やチョカン寺、セラ寺などを訪れ、チベットの古くからの歴史、そして、今も続く深い信仰の息吹を、少しだけだが感じ取ることができた。富士山の頂上のような高地の市で、旅の最後の日程をゆったり過すことができた。 今回の旅では、豪華な中華料理を食欲が落ちることもなく、毎日しっかりと食べたので、体重計に乗るのが本当に怖かった。恐る恐る乗ったヘルスメーターの針は旅行前と同じでやれやれ・・・だが、帰ってからの毎日、お茶漬けや冷奴の簡単なメニューで過しているのに、体重計の目盛りが少しずつ上昇気味に動いていく。この不気味さ!! 15日間の旅をずっと元気に過せたというのが、膝痛や難聴などで苦しんでいる私にとっては、嬉しく画期的な出来事である。皆さんありがとう!お世話になりました。 長い旅を思い出深い旅になるよう入念に企画して下さった寺澤さん! 15日間同室で、難聴の私を親切に助けて下さった染矢さん! 快く仕事を代わって下さった職場の人達!感謝の気持ちで一杯です! 中国四川省の山&観光 染矢 つや子
初めての中国、初めての長期旅行、日本の山以外の高所での滞在と不安いっぱいでした。 終わってみれば上げ膳据え膳で美味しい三度の食事、冷暖房の効いたホテル、車内と快適に過ごせ体重増で帰ってきました。(「槍ヶ岳」登山にむけて増えた分だけでも落とそうと必死です) 最初からハプニングがいろいろあり、中国は時間に対する認識は日本とは違うと聞いていましたが 「やっぱりか〜」でした。帰国が1日遅くなるかもと懸念していましたが、航空会社、添乗員、現地ガイドの配慮で予定通り帰ってこられてほっとしました。 1)私が目にした中国事情
道路 ・・往路:都江堰から「四姑娘山」の麓、日隆に向けて一日かけてのバス移動。事前のミーティングで聞いていた通り工事中はストップし、いつ動けるか未定。 乗客は外に出て状況確認に行く人、狭い道路をブラブラ歩く人、暑いのでバスの中でいる人、はたまた、そこは観光客、カメラを手にする人とさまざま、雨でなかったのが幸いだった。 長くて1時間、20分、15分と止まる事数回。前方の観光バスのタイヤがぬかるみに入り立ち往生、我々の運転手も応援に行く。乗客は日本人だった。ガタガタ道が続きひとつ間違えば川に転落しそうな所を延々と、しかし悪路を楽しむかのように皆元気だった。川のすぐ脇にはキャベツ、ジャガイモ、とうもろこしが収穫を迎えていた。 復路:距離は長くなるが道路は来たコースより整備されているとの事で別のルートに変更。 しかし片側はコンクリートもう片方は土と石ころの状態で中央は段差あり。コンクリート部分を走っていると突如山のようにもった土が進行を妨げる。そこで段差のある所に石を積み上げタイヤが乗れる状態にする。こんな事を数回繰り返すと、慣れたもので「あ〜又か」とあせることなく外にでて周りのお花畑を楽しむ余裕さえ出てきた。 町中で:信号や横断歩道はあるものの、無視、大通りで観光バス(我々の)がUターン、日本では考えられない事に唖然とする。もちろんヘルメットなど着用者なし。 トイレ ・・当地では高級ホテルでも鍵なしのところあり、又世界的に有名な寺院前広場トイレは隣との境があるだけで建屋に一歩踏み入れるとすべて見え見え状態で自然水洗。飛行場や洒落たレストランなど掃除はされているが使用者のモラルが問われるものであった。シルクロード経験者からは「ここはまだましや」との声あり。生まれも育ちも田舎の私は用をたせたが日本の若者は果たして大丈夫なのだろうか?とよけいな事を考えてしまった。 帰国後聞いた話だが中国では井戸端会議の場所がトイレなので声が聞ける状態にしてあるとか、ほんとか嘘か? お若い女性が順番を待つ列を無視して我さきと・・お国がら? 鉄道 ・・
事前説明では「お部屋は6人部屋を4人で使用するのでゆったり使えます」との事であったが、これが添乗員の思惑通りにいかず、お互いにすっきりしない列車の旅になってしまった。 私は6人部屋に6人の最悪の状態の部屋になる。身体が小さいので3段目に。体格のある人をくじ引きかなんかで3段目に行かせる事はやはり出来ない。3段目に上がってみると背丈のない私でも座ると頭が天井に遣え横にしかなれない。物の出し入れや着替えは前かがみで腰痛になりそうだった。又窓がなく寝そべって外の景色を見られないのが残念だった。それにしても開通1年というのに普通座席の車輌は特に汚い。食べこぼしなど拾うこともしない。 狭い通路を調理済みの惣菜を蓋もしないでワゴンに載せ車両から車両へと販売されている。衛生上大丈夫なのだろうか? 臭いが充満し気分の悪いものだった。 車窓からの眺めは雄大で日本では見ることの出来ない山々が延々と続く、放牧する光景は映像の世界へと 引き寄せられた。ゆったりとした時間が過ぎていく。それにしても中国は広い。 2)失敗談 捻挫・・世界遺産の九寨溝、黄龍の見学を終えての帰り空港のトイレで階段を踏みはずし転倒。 一番心配だった高山病は助言通り水分補給と酸素吸入で大事に至らずありがたかった。又工程も標
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