四姑娘山(6250m)          2007/7/10


山行日

2007年7月4日(水)〜18日(水)

天候
曇り〜快晴
参加者

リーダー:寺澤  サブリーダー:村上 
男性:山口 北川 岡部 秋月 倉光 守口  
    (一般) 長野 西川 村山
女性:秋月 伊丹
 倉光 染矢 長野 守口 
    (一般) 井上 向山 山本 
合計:20
名 + 1名 (添乗員 日中旅行 谷)    

 

 

    山行報告  村上 格也

 例会としての海外は私が山友会に入会して始めての試みである。リーダーの寺澤さんの一年をかけての緻密な計画のもと、7月4日から15日間のトレッキングを兼ね、又昨年7月に開通したチベットのラサまでの青蔵鉄道の旅が実行された。参加者の方々の感想文とコース日程で我々の旅の雰囲気はつかんで頂けると思うので山行報告としては旅の中でも特に注記すべき点を述べる事とする。  

 @成都空港から九寨溝空港のフライト延期  
当初予定では旅行2日目の7月5日の夕方に飛び立つ予定であったが九寨溝地方の天候不良により 6日の朝に延期された。5日夜遅くではあるがいったんは成都空港を飛びたち九寨溝空港に着陸体勢に 入ったが天候不良の為、急上昇し成都空港に引き返した。  

 A都江堰(成都郊外)から日隆(四姑娘山の麓の町)迄の専用バスでの移動  
 7月8日、日隆迄の約200kmの距離を14時間かけての移動である。ほとんど舗装なしの道路は想像できたが道路工事のために、2時間も停車せざるを得ないなど、中国の一端を見た感じだ。(あせるでもなくゆったりと工事をこなしている。)そのような状態を数回繰り返し、その日のうちに目的地に辿り着けるか不安であった。  

 B青蔵鉄道に於ける寝台車の手違い  
  当初予定では1車両にメンバーがまとまって乗り、かつ3段ベットを2人で使う予定であったが手違いにより車両はバラバラになり最上段も使わざるを得ないメンバーがいた。それも45時間の長時間である。1,2等寝台は未だ良いほうであるが、一般席はゴミをほり放題で来年の北京オリンピックに向けてこれから中国も大変だなーと思った。  

 C全行程について
 最初に訪れた三星堆遺跡では3000年以上前の仮面王国とのこと、100年ほど前に発掘されたがどの ような王国であったか、未だハッキリわっかていないとのこと、中国の広さと歴史の重みを感じた。 九寨溝、黄龍では、さすがに世界遺産で、大小の湖沼のおりなす水面の色、周りの景観に感動した。 特に黄龍は3500mの高地に位置し棚田状の沼から落ちる水の流れがなんとも不思議な眺めであった。  
 
 四姑娘山を仰ぎながらの双溝橋、海子溝トレッキングは海抜3500m辺りを歩く訳で急ぐ歩行は禁物、又ヤクや馬の糞に注意しながらのトレッキングとなった。さすがに高所だけあり、高山植物の見事に咲き誇った花を観賞することが出来た。  

 成都市内でのパンダ研究所でのかわいいパンダの見学、青蔵鉄道の長旅とチベット、ラサでの市内観光を無事にこなし、皆様方の協力により15日間の旅は終了した。帰り飛行機が台風の影響で2時間ほど遅れたが20名の皆さん全員無事に7月18日中に関空に降り立つことが出来た。                                         

ひやりハット なし




中国の山旅の計画について                     寺澤 淳 
四姑娘山
  四姑娘山は成都から西へ220kmの日隆鎮に位置する雪山で、標高5,335〜6,250mの4つの峰からなり、東方のアルプスとか、マッターホーンと言われています。双橋溝、長坪溝、海子溝、の3ルートがあり、山麓は高山植物の開花が特に多い季節、7月〜8月に、(青・赤・黄のケシの花(ブルー・ポピー等)、エーデルワイス、アツモリソウ、キンポウゲ等)花を眺めて歩きたい。

九寨溝・黄龍(2ヶ所は、世界自然遺産)
  九塞溝は9つのチベット民族の村が有る谷という意味です。九塞溝の入り口から30km奥までの谷間には、コバルト・ブルーやエメラルド・グリーンの百以湖、滝、湿原、渓谷、川がり、樹正郡海がある所を歩きたい。黄龍には石灰華の上を水が流れて作り出した渓谷で、海抜2000m〜3800m景勝地があり、双方のトレッキング・ルートの景観を楽しみながら歩きたい。

チベット青海鉄道(西蔵鉄道)
  世界最高地(5,072m)を走る鉄道で、万年雪の崑崙山脈、主峰・王珠峰(6,178m)やタングラ山脈・5000mの山々を眺めたい、更に、4,000m以上の高原の自然保護区に生息する「チベット・ロバ、チベット・ガゼル、チルー(北京オリンピックのマスコットになった)」を見たい。聖地・ツオナ湖を見ながらチベットの省都・ラサに行き、ダライ・ラマの宮殿・ポタラ宮、聖地・ジュカン寺や仏教の大学である色拉寺を見学したい。

成都の観光(武候祠、杜甫草堂、パンダセンター)
  三国志で有名な劉備や諸葛孔明の史跡、詩人「杜甫の庵」、中国のパンダ・センターを観光、変面の川劇の観劇も見逃せない。
と欲張った企画を、コスト・パーフォーマンスを重視し乍、プラン出来るか、それに、参加者が集まるか、こんな条件の「ツアー」があるか、等と約1年前から検討し始めたが、こんな「パック・ツアー」は無い、又、数社の見積もりは、最低50万円以上が必要との返事であった、その為、現地のツーリスト情報を元に何社かと折衝、そして、最後に今回の旅行社と交渉し、日程、各地のホテル・ランク、交通機関やルートと費用概要を決めて、参加者を募集した。
  参加人数が多少、増えたが、私の考えた範囲のルートと旅費にもなり山旅を決行する事にした。
旅行中は天候による飛行機の出発やチベット鉄道の座席の変更、途中の道路工事の影響など有り変更も多少ありましたが、全員が怪我、病気や高山病の影響もなく、旅をする事が出来た、これが何よりも良かったと思っています。これも参加者の皆さん方のご協力によるものと、心から感謝しています。
                          

                四姑娘山&チベット青海鉄道の山旅感想文集      


                    四姑娘山と聖地ラサ他の旅に参加して
                                                         山本 和子 
 今回の旅行は以前から行ってみたいと思っていた待望のコースです。山友会の会員ではありませんが、旅行のお誘いを頂きあつかましいと思いながら参加させていただきました。 高山病や登山の経験も無く皆様についていけるかどうか心配しておりましたが、山友会の方々には、暖かい気配りをして頂きとても心強く楽しい旅行でした。
 
 今度の旅行で一番期待していた事は今まで見た事もない高山植物を沢山見ることでした。九寨溝、黄龍、四姑娘山のハイキング、青蔵鉄道3300Km,車中2泊ポタラ宮と、もり沢山の観光です。 九寨溝、黄龍は木道で整備され、酸素の必要も無く景色を見ながら自分のペースで歩くことが出来ました。赤いケシがうつむきかげんに咲いていて黄龍では小豆色や黄色のアツモリ草をデジカメに収めました。自然が造った美しい大地に神秘を感じました。
 
 四姑娘山へは工事中や悪路で1日がかりですがバスの窓から雄大な山並や4000mの峠越え、牛や羊の群れ、高山植物の高原を見ながらの移動です。長い時間をかけての来た甲斐がありました。 フラワーハイキングは遙か四姑娘山を眺めながら沢山の花々が群生している高原を歩き、足に自信が無く途中引き返すつもりが、もう少し歩いたらどんな花に出会えるかと自然に足が進み、景色やデジカメに夢中になって高山を歩いていることを忘れていました。下山は途中からトボトボ歩きでホテルに辿り着き、20Km程歩いたと聞き驚きました。初体験です。

 長野さんが山で出会った現地の女性から一輪のアツモリ草を「送給・・」と言って下さったそうです。

    現地の少女が手にするアツモリソウ
その花を 大切に持って下山され「おみやげです」と言って頂きました。一度は咲いているのを見たいと思っていた花に触れることができ、デジカメに収め、グラスに入れ眺めてから押し花にしました。本当に嬉しかったです。高山植物のベストシーズンに来られたことに感謝・・・

 成都からラサへの青蔵鉄道での2泊は小学2年の中国人男児に会話の発音を教えてもらったり、壮大なパノラマ景色や満天の星空に流れ星を2回見た事などが印象に残りました。 ラサの美しいポタラ宮、大昭寺では露天が並び「チベットの銀座」と言われ人々でいっぱいでした。五体投地をしている人、マニ車を廻しながら歩いている人々をみて信仰の深さに感心しました。 中国の広い国土とたくさんの民族、生活や環境を見聞し長い旅程で旅行体験や色々なお話を伺う事ができました。皆様のおかげで有意義な旅となり、体力にも自信がつき又出かけたくなりました。誠に有難うございました。 以上              (一般参加)
 
                                                         

                九賽溝・黄龍・四姑娘山と西蔵鉄道の旅             
                                                      
西川 孝雄
 世界遺産を観るのを楽しみに海外旅行を時々しているのと、以前にテレビで世界最高地を走るチベット鉄道の映像を見て、是非行ってみたいと思っていたやさき、長野さんから田辺山友会さんでプランあると誘われ直ぐに参加をお願いして今回の旅が実現した。

 15日間という長旅と高地に行く事の健康面の不安も多少あったが、この点はほとんど問題なく旅が出来ました。

世界遺産・九賽溝

 最初飛行機が飛ばず、どうなるかと思ったが翌朝飛んだので予定どうり観ることが出来た。水の綺麗なところは今迄も観てきたが、九賽溝の入口から水の流れ、水の色、瀑布の姿等他とは異なる美しさを感じた。実際に自分の目で観ることの良さが解った。

世界遺産・黄龍

 ロープウェイから降りたら高度も3000m以上で少し肌寒いが、心地良い原生林で道端に高山植物が咲く幻想的な道を歩く。黄龍は石灰華で作られた棚田が形成されているが、水の透明度や色の変化、石灰棚の形状等素晴らしい景観を見せてもらった。

世界遺産・ラサのポタラ宮

 富士山と同等の高地で100m以上階段を登りポタラ宮の入り口に着いたときは、多少息切れする状態。前庭で眺めた壮大なスケールの宮殿、内部の多数の仏像や飾り物等1300年以上前に造られた事に感動。熱心に参拝される人が多くチベットの人たちの仏教に対する信心に感心。

四姑娘山

        鍋庄坪付近の高山植物 
 
 朝早く出発したお陰で山の展望所で綺麗に四姑娘山を眺めることが出来た、麓からであるが、今迄観たことの無いスケールの大きい山で感動。帰って写真で見たら思ったように写っていない、
やはり現地でしっかり観ておかねば。老牛園子手前迄のトレッキングは高山植物の花一面の中を気持ちよく歩き他では経験できない山歩きが出来た。

西蔵鉄道(チベット鉄道)

  3300km・48時間はさすが長いと思ったが、移り変わる高原・村落・動物・山々・湖等の景観を眺めたり、食べて、喋って、寝て退屈はしなかった。特に2段ベットで夜中に眺めた星(北斗七星)の目の前に輝く姿にひとりで感動。
 
  成都市内観光やラサ市内観光・パンダ飼育センターの見学等色々観光やトレッキング等密度の濃い旅であったように思う。
乗り物では色々ハプニングがあり当時は大変に思ったが、今となっては貴重な体験で話の種が多くなりこれも旅の楽しみと思えるようになりました。
リーダーの寺沢さんはじめ山友会の皆さんには色々指導や気遣い頂き有難う御座いました。また長野さんご夫妻はじめ参加メンバーの皆様にお世話かけ、お礼申し上げます。お陰で楽しい旅が出来ました。
以上                                                      (一般参加)

                       チベット仏教の信仰心 
                                                          村上 格也
 45時間の青蔵鉄道で到着したラサは海抜3600mに位置し、駅へ降り立つと息苦しく、急ぎ足で歩くと息切れがする。海抜3600mといえば酸素の量が平地の60パーセントとのことである。また空気が薄い分、太陽の紫外線を受けやすくチベット人の肌の黒さと皺の多さもその関係と言われている。


                
ラサ ポタ ラ宮
我々もラサでは酸素不足のため息苦しさと焼きつくような太陽に海抜3600mの高地を感じざるを得なかった。 チベット人に関して感じたことは大昭寺の前での五体倒地や、道行く多くの人々がマニ車を廻していたりしてチベット仏教に関し、非常に信仰心が篤く思われた。彼らが信ずるダライ・ラマは現在、中国チベット自治区よりインドに亡命しているが、チベット人(民族)の心のよりどころはダライ・ラマ(現在14世)にあるよう だ。 ラサでの市内観光はレポン寺、大昭寺、セラ寺、ポタラ宮、ノルブリンカ等、チベット仏教に関するところの見学でもあった。特にポタラ宮はダライ・ラマ14世がインドへ亡命するまでは王宮として歴代のダライ・ラマが政治と宗教を取り仕切っていたところである。ポタラ宮は3600mのラサ市内に建っているが建物は280段の階段がありポタラ宮の屋上は海抜3750mとのことでラサ市内からは王宮にふさわしい建物としてひときわ高くそびえている。仏教はインドで起こり、チベットを経由して日本に伝わったとされている。日本仏教の心の故郷でもあるチベットにダライ・ラマが戻るのはいつの事かと思うしだいである。


                  九寨溝・黄龍とチベットの旅に思うこと            
                                                         向山 利子

 
       
ラサ八角街にて     
 1994年8月、初めての海外旅行でチベット、シガツェからラサ迄の280Kmを自転車で走りました。その時の素晴しい景色と、自転車の休憩時、あどけない笑顔の子供達が集まってくる姿が強く印象に残っていました。自転車ではチベットのホンの1点にしかすぎませんでしたが、今回の旅は列車から、バスから、また歩いてと、いろんな方法で見れ、雄大な景色にあらためてビックリ致しました。 九寨溝・黄龍、自然のもたらす素晴しい景色は日常の雑事を忘れさせられ、心が大きく広い人になりそうな気が致しました。   

 このたびは、飛び入りで参加させて頂き、皆様方にお世話になり楽しい旅が出来たことを大変嬉しく思っております。
 
 チベットの人達はポタラ宮へ一度行ければ「死んでもいい」と思われているとか・・・ ところが、私は二度もいけました。本当に元気で長生きできて、いいことがいっぱいあるように思います。本当に有難うございました。 (一般参加)

                      チベットの旅15日間
                                                    秋月 康敏
 7月12日(旅の9日目)いつもの通りおいしく朝食をとった。 今日は青蔵鉄道に乗るのだ。 
事前に見たビデオのシーンを思い出し内心ワクワクだ。
午前中は大熊猫繁育研究基地:パンダ見物。木登りしてた一匹のパンダがバサ!と落ちた。
慌てて起き上がるかと思ったら、彼は大きく口をあけて「ワー落ちた!恥ずかしいわ〜」と言ってた。
パンダは悠々たる態度で驚きもしない、驚いたのは見物者だけだった。  

 
        
成都駅前は大混雑

 青蔵鉄道、駅前・中は「混雑・・・!ぐちゃぐちゃ・・・!」、まるで戦後のどさくさと全く同じ混乱 状況だ。 「何だ!これは・・・!」開いた口がふさがらない・・・
スリ・強盗が多いのでリュックを背中からお腹へ背負い直しの指示だ。
20名のメンバーはその混雑さと、ぐちゃぐちゃの環境に文句を言う事なく、全員がお腹へ背負い直した。顔は笑ってるが異様な雰囲気に少なからず驚いたのだった。

 さ〜乗った。ところがビデオのシーンと大違い!「6人部屋に4人・・・」も、手違いがあって寿司詰めだ。とにかくグチャグチャだ。とりあえず落ち着くまで辛抱だ、文句を言ってもすぐ解決しない・・・と、自分に言い聞かせた。
 
 鉄道48時間の旅は食堂車で大半を過ごし快適だった。翌日はチベットの大草原、遠くに見える白い山々の峰々、すばらしい夕焼け!のんびりした放牧民・・・四姑娘山も良かったが心に残る青蔵鉄道の旅だった。            
              
                 
                                                          秋月 慶子
 九塞溝、黄龍、四姑娘山など私が初めて見聞する中国地名です。
旅の参加を決め資料を読み、すごい所へ行くんだな・・・という気持ちになりました。
(それに、これまでの海外行きでトイレットペーパー持参という事はなかったのです)
パンフレットに九塞溝は「自然の神業による傑作」と書かれていましたが、まさにその通り、
水の青さ・透明度、多くの湖沼をとりまく美しい風景にも堪能させてもらいました。

 今回の旅のメインイベント7日目:海子溝トレッキングは、酸素ボンベ持参で7時間程歩いたでしょうか・・・内心「こんな所まで来て何でこんなにもしんどい事を・・・」と思いながら、皆さんについて歩きましたが、その夜チベット族の村長経営のレストランで民族料理を皆さんと楽しく食し、疲れも吹っ飛びました。
私にとってあの高地で7時間完歩した喜びは大きかったです。 

 
        九塞溝 五彩池

 黄龍の景色、四姑娘山、青蔵鉄道からの広大な風景と万年雪の山々、チベット民衆の一途な信仰の姿、ポタラ宮の壮巌さ、八角街でのショッピング等々・・・、これからもTV,新聞等で目にする度により鮮明に思い出される事でしょう。

 バス酔い・高山病を心配していましたが、事前にアドバイスをいただき、そう体調をくずす事なく楽しく15日間を過ごせた事に感謝いたします。
又仲良くご一緒して下さった皆様本当にありがとうございました。 

 
 
                     
                        九寨溝〜ラサ ハプニングもまた楽し          
                                                          岡部 貞雄
 15日間の旅行中3000m以上の高地に滞在する日が半分以上もあるので、高山病を心配していたが、全員無事に旅行を終える事ができたのはなによりであった。
 
 
一日目は関空から上海で国内航空に乗り換え成都までだったが、成都のホテルに着いたのは夜中の12時過ぎ、日本時間では午前1時をまわっていて長い一日だった。

 翌日から中国での旅が始まる。成都は蒸し暑く街中が少しほこりっぽい感じがした。マイカーがどれもピカピカにワックスがけをされて走っていて、自転車もきれいな電動自転車が多く走っていた。以前は汚いポンコツ同然の車が多い中国だったが発展の速さには少し驚かされた。ただし、車優先のルールだけは変わってなく道路を歩いて渡る時は信号があっても遠慮なしに突っ込んでくる車にヒヤヒヤする。 

 
    三星堆博物館
 午前中は成都の郊外にある三星堆博物館を見学する。3000年以上前に栄えた王国の遺跡というが正確な ことはまだわかっていないという。青銅器や人間離れ?した仮面が多く展示されており、不思議な世界に引きこまれそうな感じがした。 遺跡の総面積は12平方キロで四川省では最も大きな遺跡というが、こんな大規模の遺跡が発見されてまだ100年も経ってないのも広い中国ならではの事だろう。

 さて、旅の始まりは順調でこんな調子であったのだが。これからは次々とハプニングに出くわす旅となるのである。次からはハプニングを中心に話をまとめてみることにする。

 午後は本旅行中のハイライトの一つである九寨溝に向かうために成都空港へ行く。ここからが本格的旅の始まりであったのだが、ここで出鼻をくじかれる様な出来事が待っていた。
 
 九寨溝への飛行機は現地が悪天候ということで空港で数時間待たされた。待合室の掲示板には九寨溝は雷雨で気温2〜−2℃と書いてあったのをみて少し不安になる。待つ間に弁当の配給があったりして夜の八時頃やっと九寨溝に向けて飛び立った。

 ただし、現地の天候の状態によっては着陸せずに引き返す事もあるとの事であった。50分位のフライトで九寨溝の下の街の明かりが見え高度も下がってきたのでやれやれ空港に着いたかと思ったが、その着陸寸前に急上昇して再び成都空港へ引き返し、航空会社の用意したホテルに泊まるはめになった。用意された食事はラーメンかチャーハンのどちらかの選択だった。明日のモーニングコールは4時半で出発は5時半という事でラーメンをあわてて食べて寝たが1時をまわる。

 翌日は予定通り8時前に九寨溝に向けて飛び立ったが、着陸するまで皆不安そうで50分くらいで九寨溝空港に着陸した時には機内で拍手が沸き起こった。 そんなハプニングのあとの九塞溝の素晴しさには特に感銘を受けた。その九塞溝の様子は他の人の感想を見ていただくとして、次のハプニングについて書いてみる。

 5日目は都江堰から四姑娘山麓のトレッキングの目的地である日隆へバスで向かう。山道を10時間くらいのバスツアーという事で、長いなあとは思ったものの想像以上の悪路でしかも工事中のところが多く何回も待たされた。以前シルクロードをバスで走ったがその時も道は悪いところもあったが、全体的には舗装されたところが多くて工事中で何分も待たされたりした事はなかったので、今回もそれくらいかと思っていたが大きく予想がはずれた。

 出発して2時間もすると渓谷沿いの道になり、車体の揺れも段々大きくなってきた。川沿いの畑にはキャベツやトウモロコシが沢山植えられている。急峻な岩峰には幾重にも流れる滝がみられ山水画の風景が広がる。カメラのシャッターを押すのが忙しくなってきた頃バスは止まった。 前方には数十台の車が止まっている。車から降りて様子を見に行っている人も多く、我々も前方の状態が分かるところまで行ってみたが、ダンプカーが運んできて道路に積み上げた砂を平坦にならしているところだった。

 しかも、ブルドーザーなどは見当たらず、数人でスコップやツルハシで作業をしていた。時間がかかるはずだ。その内に待たされた車の人たちに向けてゆで卵売りのおばさんがやってきた。日常化した工事のために止められた車を目当ての商売がなりたっているのだろう。

 そこでは、1時間くらい待たされたが、その間横の渓流まで下りて雪解け水が怒涛となって岩をかむ様子にみとれたり、目の前の岩峰の岩の重なりの不安定さの絶妙美に目を奪われたりと少しも退屈することなく時間が過ぎたのは幸いだった。

 
標高4000m位の断崖の道をバスは登って
いく(右の白い直線が道)

 日隆までそんな工事がいたるところで行われており何回か待たされたが、それは本当に必要な道路工事なのか、ひょっとしたら道路を破壊しては元に戻しているのではないかと思われるほど、不思議な工事風景なのである。何十年かかっても終わらないのではなどと思ってしまった。その内に雨が降ったりして道はぬかるみ益々バスはあえぐように峠を上っていく。運転手は慣れているといっても大変な重労働だろう。

 峠近くではガードレールもない道の幅すれすれをバスは時々車体を振りながら進むが、バスの窓から下を見ると数百メートル下の谷が見えるだけで、心臓の悪い人はこの状況を見たら本当に心臓が止まってしまうのではと思われる。

 途中の巴朗峠は海抜4532m。ガスがかかっていたが、一度降りて大地を踏んでみる。酸素や気圧の影響で少し歩きまわるだけで低地では経験したことのない息切れがする。 日隆についたのは夜の9時前、バスを降りたときは長時間乗車の疲れと海抜3100mのせいか少し頭がボーッとした感じがしたがすぐにもとに戻る。着いてすぐの夕食だったが皆さんの食欲は少しも衰えていなかった。かくして今日の長い一日が終わる。

  9日目成都から青蔵鉄道に乗るためにバスで駅まで行く。バスを降りて駅前の異様な人だかりに驚いた。何千人とも思われる人たちが、駅の周りに立ったり、あるいは座り込み、大きな荷物を抱えてウロウロしている人もいる。何でも青蔵鉄道の切符を求めて何日も待っているのだという。

 その人垣の中を駅の中に入りホームまで行くのだが、途中リュックサックを普段のように背中に担いでそんな人たちの中を歩くと、場合によっては後ろのリュックのファスナーを知らない間に勝手に開けられたり、刃物で切り裂かれたりして中の荷物を盗まれる恐れがあるという事で、全員リュックを子供を抱くように前にして進む。周りの中国人たちの、変な持ち方をしている人たちだとの視線を浴びながら無事人ごみの中を通過してホームにつく。

 やれやれと思ったのはつかの間、またもや難題が待ち受けていた。 寝台車の車両に乗り込み、指示された部屋まで行ってみると既に中国人が乗っていて座れない状態。現地ガイドの人や添乗員があわてて調整してくれるが同行者の中には数時間もデッキで待たされた人もいた。山友会の人たちがまとまって席につけるようになったのは翌日にかかった頃だった。

 部屋に落ち着くことが出来たものの六人部屋の三段ベットの最上段の人の上り下りは大変だし、仲間が2号車から14号車までばらばらになり連絡などで部屋に行くのに狭い通路を往復500m余りも歩く事になりこれも疲れる。

 その距離だけでも気が重くなるのにその離れた寝台車の間に普通車両が4両ある。これがまた問題の車両で、そこは殆んど現地の人たちが座っているのだがその人達のマナーの悪さにはあきれてしまう。通路に食べかすをそのまま捨てるし、通路に座って大声でしゃべったり、座席の下に新聞紙を敷いて寝て足を通路に突き出す人もいたりとその車両を通り抜けるのに苦労する。おまけにその車両の両脇にある洗面所には食べ終わったカップラーメンのカップや食べかすが無造作に捨てられ、その床は水浸しで周りは異臭が漂いなんとも言いがたい雰囲気である。 

 
   ワゴンでの車内販売

 早く通り抜けたいとあせって歩いていると、車内販売の女性に出くわす時がある。物品を積んだワゴンを押しながら進んでいるが、この販売員たちがまた日本では考えられない程無愛想で、いくら前後に人が来ても全く頓着せず少しも道を譲ってくれそうになく、強引に体をワゴンにこすりながら通りすぎるしかない。

 ちなみに売られていた500mgのボトルの水は3元(50円)であった。昼食は15元(250円)で茶碗3倍くらいの大盛りのご飯にマーボー豆腐やザーサイなど3品ばかり上にかけたもので、さしずめ日本でいうところの中華丼とでもいうものなのか、これが良く売れていた。

 まあ、考え方によっては仲間が離れたためにこんな体験もして中国の人達との相互理解に役立ったのかもしれない。 ついでに、青蔵鉄道に乗って気づいたことをもう少し書いてみよう。

 寝台車の横の通路の前後の上部には電光掲示板があり現在地の海抜や次の駅名、外気温などがテロップで流される。これは中々便利で時々刻々の周りの状況が分かりよかった。車内は航空機並みの気密が保たれているというが、連結部あたりでは幾分外の空気が入ってきてるように感じたし、ある場所では窓が開くのにも驚いた。標高4,000m以上区域は960km、鉄道世界最高地点の海抜5,072m、そんな状況の中をこれで走るのかと思うと別の意味で感心した。

  ゴルムド駅(2800m)を超えた頃から寝台の横に付いている個人用の酸素供給口から酸素が吸えるようになった。そこに各乗客に貸し付けられた鼻に差し込んで吸うように作られたビニール製のチューブをガスのカチットのように取り付けて吸うのだが、酸素はシューと勢いよく出るが何故か少し匂うし本当に酸素なのかなどと疑ってしまい、長い時間吸う気になれなかった。

 車内でありがたかったのは、熱湯がでる給湯器が各車両に付いていて、いつでも熱いインスタントコーヒーやお茶が飲めたことだ。中国人はこの熱湯を使い日本のカップラーメンの2倍位もある大きなものをよく食べていた。

 最後にトイレの事だが、これが航空機のような吸引式になっているが、洋式でないのが殆んどで、使用時に前後を間違えると厄介な事になる。用足しが終わって水を流すボタンを押すと吸入口付近のものしか吸入しないので、逆に使用した場合液体以外のものは取り残され後に入る人が迷惑する。こんな光景を何度か見た。

 また、このボタンが瞬時に反応しない事があり、あきらめて外に出たとたんシュポーと大きな音がしてビックリする事があった。なぜかこの音はかなり大きく、周辺にいた人たちは必ずこの大きな音に反応した。


           那曲駅(ナクチュー)(4513m)の手前にて、 終点のラサまであと3時間半位の所 

 ラサまでの48時間、色々のことがあったが車窓の風景の素晴しさや同行の皆さんとの交流も深まり殆んど退屈することなく旅を楽しめた。

 以上、ハプニング中心で書きましたが、本当に楽しい15日間の旅でした。CLの寺澤さん、SLの村上さんを始め、同行の皆さん色々お世話になりありがとうございました。

                           中国旅行感想文     
                                                          村山 征義 
 07年7月 中国15日間・・・事前説明会を重ね、情報を集め特に高山病対策を最重要テーマに!なんと言っても4千・5千メートルの高度を旅するのだから。 小生・自称「山友会の下部組織・・山遊会」・現在会員は我一人・・。京田辺の退屈男今回無謀にも山男・山女に混ざり、この旅に参加してしまった。

 悪戦苦闘は、7月8日(日程5日目)都江堰から日隆へ終日バスの移動でした。14時間全工程工事中の泥道、デコボコ道、何と高山病以上の恐怖が 吾身に襲いかかって来ました。このバスの大きな揺れが、すっかり忘れていた腰痛が!!腰の筋肉が固まり、今にも動けなく成る寸前。同室の山口さんから湿布薬の救援、翌日の双橋溝トレッキングを休み休養の結果回復。皆さんに心配を掛ける、反省!反省!。午前中ホテル下の村の散策、みやげ物店・ 石造りの家から飛び出てきた小さな男の子、日本語でいきなり・こんにちは!の挨拶にビックリする。又村に一軒だけのBARも発見する。ゆっくり歩きながら腰の筋肉をほぐし、雨模様の日隆の村を散策できた。

  広大な山々の景色にカメラのシャッターを押す前に凄いなー!のつい一言が出る。圧巻は前日天候が悪く雲の中に姿を隠していた四姑娘山、今日はその美しい四つの頂をくっきりと目に焼き付けてくれました。

 12日20時36分成都駅発、青蔵鉄道で行くラサへの2泊3日列車の旅開幕、寝台の席確保が乗車してから調整纏めるのに苦労されていた。乗務車掌3人の女性に席の事を確認されるも言葉が解らず苦戦夜10時消灯、通路の椅子で車窓の暗闇眺める。宵の明星が本当に大きく山間に輝いている満天の星空、23時寝台席で横になる、0時30分頃ガイドの李さん戻る。

 何時の間にか眠って居ていたが午前2時30分列車の止まる気配で目を覚ます。駅だ!ゴルムド乗客がバラバラホームに降りていく。一台の車屋台の売店にパン・卵・飲料水を買い群がっている、乗務員は防寒コートを着て車両出入り口に立っている、寒かったが眠たい目でカメラのシャッターを押し水2本6元で購入。機関車を新しく連結40分停車。ここからラサまでが昨年7月に新しく開通した区間、いよいよ世界最高地5072米唐古拉駅を列車で走り抜けを体験する。

 後半は果てしなく続く草原、放牧ヤクの群れを幾つも見る。3日目夕方18時30分終点ラサにやっと辿り着いたとゆう実感。明日は列車から見えた天空の宮殿・ポタラ宮殿 この旅行もいよいよ終る。

<追伸> 今回の旅行メンバーの3大特徴
  その1は・ガイドもビックリの元気とパワーの健脚揃い。その2は・買い物好きの男達、値切り上手、みやげ店の人達に山友会の名前を知らしめた現地では山友会プライスと有名になる。その3は・お互いを気使い助け合うチームワークの良さ。 この旅行でアクシデントもいろいろと有ったが振り返って見るといい想い出として記憶に残る。感謝!感謝! リーダーの寺澤さんサブの村上さん参加された皆さん大変お世話になり有難う御座いました。                       (一般参加)         


                       車窓から見た大陸に沈む夕日   「村山さん撮影」


           九賽溝、四姑娘山と聖地ラサへ・成都から青蔵鉄道の旅
                                                       守口 實・真理子 
 事前に何人かに聞いた話では「旅行中のグループの内何人かは高山病になった」とのことだったが、毎日の水と酸素ボンベ他のおかげか、心配していた高山病もかからず無事に全員が元気に帰ってこられた。今回の旅行を計画した幹事と旅行社の方に感謝したい。しかし今回はいろんな事のあった旅・トラベル(トラブル?)だった。
・悪天候のため一度は九賽溝の空港に着いたものの着陸できず、再度成都へ戻り市内のホテルに宿泊、翌日早朝の飛行機で再度九賽溝へ行った事。
・四姑娘山の麓の日隆へのバス移動の道中が工事のため通行止めで現場で1時間半程度待たされた事(予定してはいたが)
・青蔵鉄道の寝台車の手配が予定通りにならず数グループに分散した事。
・帰国時成都出発の飛行機が遅れたため北京空港での乗換時間がなくなり大慌てで出国の手続きや搭乗の手続きをして乗り換えた。しかし日本へのルートの途中が天候不良のために出発が遅れ、結局乗った飛行機の機中で待たされ、その結果関西空港到着が遅れ、最終の松井山手行きのリムジンバスに乗れなかった。北京でも大急ぎの移動・手続きはなんだったのか。
等々旅行中はいろんな事があったが、後はスムーズに旅行が終わった。天気も雨具を着て歩いたのは1日だけで、後はたいして雨にあわなかった。

 旅行中の食事をしたレストランと朝食時以外はほとんどビールを注文したので、旅行中の食事とビールを整理すると

宿泊地

7/4

 

上海空港近辺のレストラン
青島ビール(≒600cc)20元

成都

 5

 

博物館内レストラン 

航空会社支給の弁当 (夜食あり)

成都

 6

 

九賽溝のレストラン 

ホテル内レストラン
青島ビール(≒300cc)33元

九賽溝

 7

 

サンドウィッチ弁当 

ホテル内レストラン
地元のビール(528cc)15元

都江堰

 8

 

臥龍のレストラン
地ビール(528cc)10元

ホテル内レストラン
地元のビール(528cc)15元

日隆

 9

 

弁当 

ホテル内レストラン
地ビール(528cc)15元

日隆

10

 

弁当

住民の家(村長)チベット料理
地元のビール(528cc)10元

日隆

11

 

宝興県のレストラン
  (500cc)10元

ホテル内レストラン
 (528cc)17元

成都

12

 

成都市内のレストラン
 (528cc)20元

成都市内のレストラン
(528cc)20元

車中

13

 

車内のレストラン
バドワイザー(355cc) 10元

車内のレストラン
バドワイザー(355cc) 10元

車中

14

 

車内のレストラン
バドワイザー(355cc) 10元

ラサ市内のレストラン
   

ラサ

15

 

ラサ市内・八角街レストラン
  ぎょうざ

八角街レストラン・チベット料理
ラサビール(500cc) 20元

ラサ

16

 

ラサ市内レストラン
ラサビール(628cc)20元

別のホテルレストラン
ラサビール(500cc)18元

ラサ

17

 

成都市内レストラン
 (620cc) 3.3% 15元

成都市内レストラン・麻婆豆腐

成都

18

 

機内

機内

 

 日本のような大瓶・中瓶等の決まりはないのか?容量はいろいろ。
変なビールは16日の昼のビール。628±10ccの表示と17日の度数3.3%。
14日夜、15日昼は高山病を心配して注文せず。(現地ガイドの強い勧め)

 /
       四川省成都市で有名な麻婆豆腐の元祖の店「陳麻婆豆腐」で旅行最後の夕食
 
   麻婆豆腐は色は少し黒めで辛さは飛びっきり!     15日間お世話になった現地ガイドの李さん

 全般的に一昨年に行ったシルクロードの処々と比較すると緑も多く綺麗だった。(あくまでも前回に比較してだが)成都市郊外には米が植えられ、木々の緑も多かった。彼方此方移動中のバスの窓からもトウモロコシ畑や茶畑も見られた。

                        行って来ました盛りだくさんの旅行       
                                                   
長野 弘幸・雅子
  行って来ました盛りだくさんの旅行。(四姑娘山の麓)日隆までの難行苦行は貴重な体験!
登山靴でこんなに踏んで良いのかな?と思った。フラワーハイキングでの数多くの高山植物との出会い、叉心配していた高山病も酸素のお世話になることなく無事乗り越え少し疲れた15日間の旅行は終わりました。
 
 そんな中、私が一番期待していた「成都〜ラサ 48時間の青蔵鉄道」、成都の混雑は想像を絶するもので、全員リュックを前に担ぎ悲壮な面持ちで前の人に遅れないようにしてホームへ、一瞬難民になった様な気がしました。車中で過ごす48時間、退屈するのでは?と思っていましたが、ボーッと景色を見ているのが好きな私にとって雄大でどこまでも続く大地はいつまでも見飽きないものでした。


部屋に遊びに来た 王 昭宇 君 

 叉 仲良くなった簡陽市の小学3年になる体育の好きな王 昭宇君は、2ヶ月の夏休みを利用してラサの親戚に20〜30日間いくそうで、彼に中国語を教えて貰ったりしていると彼のお父さんに『薬を持っていないか』と聞かれた。奥さんがとてもしんどくて頭が痛いそうです。額に触ると微熱があり山本さんが「ひえピタ」を額に貼ってあげ、私は「食後に飲んでください」とバファリン2日分を提供した。翌朝「体調は如何ですか?」とたずねると笑顔で大変良くなったとの事、食事も摂っておられ鼻歌も聞こえてきた。(ホッとする)
 
 ラサでは王 昭宇君は日本語で「さよなら」と言ってくれた。日本の東京は首都、知っていたけれど日本に興味を持ってくれただろうか? 日中友好の48時間でした。



                   (漢字熟語による)四川・西蔵周遊記
                                                            倉光 正己
1.旅の大義名分:人は何を求めて旅に出るのか? なんだか大げさな出だしだが、私の場合は「未知との遭遇」あるいは「知的(痴的?)好奇心を満たす」ことを求めているような気がする。だから、有名な温泉につかって有名旅館でうまいものを食べる旅行より、思いがけぬ出来事に遭遇する旅の方が楽しい。そういう意味で今回の中国旅行は面白くもあり、いろいろ考えさせられる旅で、大いに満足した。

 今回のコースについては、担当リーダーから詳しい報告があると思うが、簡単に言えば、四川省の省都・成都を本拠地にして、九寨溝、黄龍という風光明媚なるところに出かけ、成都に帰って、四姑娘山に出かけ、その麓をトレッキングし、また成都に帰って汽車に乗り、二日二晩がかりで西蔵(チベット)のラサに乗り込むという旅だった。成都は500mほどだが、他はいずれも3000mから5000mという高地ばかり。高山病をいかに防ぐかという、サバイバルゲームのような旅行だった。幸い、全員大事には至らなかったが。詳細はリーダーや他の方の報告に譲って、私は、取るに足らないことかもしれないが、私にとって印象に残ったことを書き留めておきたい。

2.蜀犬吠日(しょっけんはいじつ)。無知蒙昧の私:まず最初に、一番度々出たり入ったりした街、成都に


        成都市内の交差点 
ついて。この街は大都会である。車の込みようはアメリカや日本の大都市に劣らない。中国の石油の消費量が日本をはるかに越えたというニュースが実感できた。でも、過去の面影もまだ残る。二輪バイク、自転車も多い。タクシーの他に、バイクの後に座席をくっつけた三輪タクシーがある。自転車にくっつけた人力三輪車もある。それらが渾然一体となって町を走る。人も信号を無視して、みんなで渡って怖くなさそうだが、これは見事な曲芸。日本人の我々には怖かった。しかも町全体がスクラップ・アンド・ビルドの真っ只中である。郊外の古い町並みを壊し、新しい高層ビル街に変身中。ともかく、古いものと新しいものが混然とした、活気あふれる街であった。
 
 四川省と言えば、パンダの故郷である。その研究施設兼動物園のようなところもあって、パンダもしっかり見てきた。子供というのは何でもかわいいが、子パンダも親パンダと違って活動的で、見ていて飽きない。でも考えてみたら、野生のパンダは、孤立して子育てしているはず。子パンダが何頭も集まってじゃれあって遊んでいるという風景は、かわいいけれど、自然ではありえない光景かもしれない。
 
  成都と言えば、三国志に出てくる「蜀」の国なのだそうだ。昔、中国史を勉強して、「漢」の後が「魏・蜀・呉」の並び立つ三国時代、なんて記憶したが、どの地方がどの国なのやら、まったく覚える気もおこらなかった。今回行ってみたら、すっと頭に入った。蜀と言えば劉備の国。諸葛亮の庵を三度訪れて、軍師になってくれるよう乞うたというのが「三顧の礼」のお話である。その劉備が、三国の三すくみ状態で、馬に乗って戦場に出る機会がなく、大腿部に無駄肉がついて年老いていくのを嘆いた故事が、「髀肉之嘆(ひにくのたん)」である。私自身、最近山行をサボっているので、髀肉之嘆を実感している。

  あとは詩人杜甫。唐が一時滅んだとき、役人だった杜甫が逃げ延びて成都に難を逃れたという。その頃詠んだ有名な歌(五言律詩)が「春望」。ガイドさんの質問に誰も完全には答えられなかったので、遅ればせながら、次回に恥をかかぬよう、詩とその読み下しを書いておく。
   春望       春の望(なが)め (吉川幸次郎)
國破山河在    國破れて山河在り
城春草木深    城は春にして草木深し
感時花濺涙    時に感じて花も涙を濺(そそ)ぎ
恨別鳥驚心    別れを恨みて鳥も心を驚かす
烽火連三月    烽火は三月に連なり
家書抵萬金    家書は萬金に抵(あた)る
白頭掻更短    白頭の掻きて更に短く
渾欲不勝簪    渾(す)べて簪(かざし)に勝(た)えざらんと欲す
 
  もう一つ、ガイドさんから聞いたのが「蜀の犬は太陽を見ると吠える」という話。つまり、このあたりは山地に近く、いつもどんよりした天候なので、たまに太陽が出ると犬が驚いて吠える、という面白い話なのだが、これがちゃんとした漢字熟語になっていることを帰国後、偶然、初めて知った。それが本項のタイトル「蜀犬吠日」である。四字熟語は奥が深い???

3.危機一髪。五里霧中の九寨溝
:最初の九寨溝が大変だった。空港で半日待ったが現地の天候が悪く、先便は総て着陸できず戻ってきているという。航空機はこういう時は待つしかない。遅くなってから我々もやっと飛び立ったが、やっぱり着陸できず舞い戻って、成都のホテルに入ったのがもう翌日。代わりの便が翌早朝ということになって、4時間足らずの睡眠で再出発した。幸い、その日は無事着陸。着いてみれば、ここも3000mを越える山地を平に削って作った新空港。天気が悪ければ霧の中だろう。九寨溝、黄龍観光だけのための小さな空港だから、設備も不十分なのかもしれない。ともかく、無事着いて、すぐバスで目的地へ。前日の半日の無駄を克服して、予定通り行動できたのは幸いだった。
 
  九寨溝、黄龍ともいまをときめく世界遺産、風光明媚なる天下の奇勝だった。これは写真を見て頂くに如くはない。どうしてこういう地形ができるのか不思議だ。現地は観光に力を入れる中国政府のてこ入れか、道路を整備したりケーブルカーをつけたり、辺境の地の面影は薄い。設備は整い、ゴミ箱もあちこちに置かれ、トイレもきれいだ。掃除する人も沢山いる。このあたりはもうチベット族など少数民族の地だから、こういう仕事も少数民族のための雇用促進を兼ねているのだろう。美しく整備されているが、手が入りすぎて、やや人工の匂いがし始めている。観光産業の難しいところだろう。

4.悪戦苦闘。冷汗三斗の四姑娘への道


      ぬかるんだ峠道でトイレ休憩 

ここは事前に道路工事中なることは分かっていた。だから前日に少しでも前進し、当日も早朝に出発した。にもかかわらず、難行苦行だった。川沿いに山の中に入るのだが、黄河ではなく長江流域のはずなのに、川が濁っている。さては、と思ってよくよく見ていたら、やっぱり・・・。道を広げるための道路工事なのだが、川沿いの今までの道を広げている。だから通りにくいのは当然ながら、山を削った土の処分も問題だ。これを平気の平左で川側に押し込む。川が濁るはずだ。ダムもある。こんなことをしていると、ダムも埋まるのではないかと心配になる。他の場所でもそうだったが、どうも中国流工事というのは、その場しのぎが多いような気がする。こんな荒っぽい工事で大丈夫かと思っていると、案の定、作ったばかりの道路の側溝に土砂が流れ込んで、水や土砂が道路にあふれ出ている、なんてしょっちゅう。広大な国土だから仕方ないのか。もっともその工事も、少数民族救済の色彩が濃いようだった。ともかく、ガードレールもない悪天候下の断崖絶壁を突っ走り、5000m級の峠を越えて、なんとか目的地にたどりついた。この頃から、毎度のことながら、私の腹調芳しからず。翌日のトレッキングも途中でストップする予定だったが、意地で頑張って、なんとか皆さんと同じところまで歩けて幸いだった。四姑娘の高峰も見事に眺められた。この山に登る(4山のうち一番低いところらしいが)日本人グループとも遭遇した。日本人は元気、というか、物好きというか・・・。
 
 来る途中の峠も、トレッキングの丘陵地も、高山植物のお花畑で見事だったが、そこは、何のことはない、ヤクや牛や馬の放牧場でもある。彼らがその植物群をうまそうにムシャムシャと食べていた。大陸はオオラカなものである。
 
 帰りには、遠回りながらも行きよりはマシな道路を通ることになった。途中で見た看板に「長征」なる文字が見える。後でガイドさんに聞いたら、毛沢東の長征コースの一部だという。4000mを越す峠も彼らは越えたのか! ウ〜ンとうなるばかりであった。

5.驚天動地。摩訶不思議の地、チベット
:昨年開通し、NHKでも放映していた青蔵鉄道なる天空列車に乗った。これがまた成都駅の大混雑からして大変。敗戦直後の日本の鉄道の混雑振りはよく聞くが、平時の中国もそれに負けていない。物騒だからと、ザックをお腹側にかけた日本人20名の大集団も見ものだったようで、回りの注目を集めていた(証拠写真があるはず)。なんとか列車にたどりついてみると、席取りがまた大変。ちゃんと予約してあるはずが、メンバーがあちこちにバラバラ。ガイドさんたちの苦労のほどはよく知らないが、客車はばらばらながら、ともかく6人のコンパートメントにまとまることができた。降りてから、他の日本人団体客と話したら、彼らはバラバラのままだったとか。空港にはパソコンも置いてあり、ケイタイは日本と同じく常識という現代中国において、列車の予約がなぜかくも無様なのか解せぬが、発展途上のアンバランスとしか言いようがない。客車自体も、汁物の多い食事や中国流食事作法と絡んで、開業1年とも思えない汚れ方だった。まあ、そういうことを承知で乗れば、日本ではお目にかかれぬ風景の中を二日二晩走る列車の旅はなかなか面白いものだった。
 
 ラサの街がまた驚き。仏教国チベットが、そのまま現代中国に生き残っているのが不思議である。ガイドさんの日本人の坊さんよりアリガタイお説教に、酸素の薄さも忘れる思いであった。子供の頃にバアチャンに聞いた転生輪廻思想が、今も生きるチベット。五体投地という尺取虫的な歩みで寺にお参りする若者。その寺を取り巻く、怪しげなるものも売っている露天の店・・・。懐かしくも摩訶不思議な街であった。

6.顔厚忸怩。切磋琢磨すべき私、そして再度、旅の大義名分
:最後の最後がまた一騒ぎ。成都から北京への国内便が遅れて、北京からの国際便に乗るのがギリギリ。空港職員に引率されて、空港内を最短距離で突っ走ったが大変だった。関空に着いてみれば、私の荷物が出てこず、二日後にやっと到着した。これだけ「選ばれた者」になったのなら、とジャンボ宝くじを買ってみたが、結果はまだ分からない。
 
 中国は広大である。中国にたどりつくのは簡単だが、そこから目的地に着くまでが大変である。文字通り、中国の奥は深い。今回は、あまり予習もせず、ガイドさん任せの旅であったので、行ってからいろいろ勉強したいことが分かってきた。移動のバスでも、ほとんどイネムリもせず、熱心に外を眺めてきた。それで、宿題が多く出来た。近代中国史を読み直したい。毛沢東の長征コースも。何より、現代中国文字をちゃんと知りたい。チベットの歴史も勉強したい。明治の頃にチベットに入り込んだ河口慧海なる人物についても調べてみたい。三国志演義を読み直してみたい。漢字熟語も勉強しなくちゃー。

 それにしても、中国という国は、あれだけ広大な土地と人口を、どこへ導くつもりなのか? 世界は大国中国の影響をうけて、どこへ連れて行かれるのか? なんだか大げさだが、観光旅行では終われない、大きな宿題をもらった感じの今回の旅行だった。


     チベットのガイド ドルチェさん
 帰ってきてから、安くない費用と、貴重なる石油資源を浪費して、外国旅行にでかける大義名分はなんだろうかと、また考えてしまった。思い返せば、名所旧跡もさることながら、ホテルやレストラン、列車の中で知り合った彼の国の人々の顔が思い浮かぶ。四姑娘で出会ったキノコ狩の姉弟。野いちごを摘んで呉れたので飴玉をお礼に渡した。英語で値引き交渉したラサの露店の若旦那。安物を買っただけだったが、英語ができるのはスゴイ、どこで勉強したのかと尋ねたら、自力で勉強しているという。あんたの英語はいい、これからも勉強してね、と言って握手したが、彼も嬉しそうだった。こういう人達を知ってしまえば、こういう国とドンパチと戦争をやる気なんて起こらない。だから、若者こそ外国に出かけて、彼の国の人々ともっと交流すべきだと思うが、いまの日本の若者にはそんな余裕はなさそうだ。出かけられる若者は、人々との交流より買い物に忙しい。中国の心配より、日本はどこへ行くのかと、心配になってきた。

 最後に、途中、調子の悪くなった私を尻目に、3度3度の中華料理を平らげて、牛飲馬食、ではなかった、健啖ぶりを発揮された元気な山友会メンバー(男女とも)に敬意を表すると共に、その行為で私に元気を下さったことを感謝します。お腹の妙薬をお分け下さったIさんには感謝、感謝です。計画段階からお世話くださった寺澤リーダー、旅行社の谷さん、現地の李さん、ゴルチェさんらのガイドさん達にも心より感謝します。それにしても、次回中国旅行のチャンスがあれば、より一層の中華料理対策を考えねば!
                                          (おわり)


                     四川省とチベットのラサ、深呼吸の旅   
                                                      
倉光 展子 
 中国旅行から帰って一週間、まるで何事もなかったかのように、「今日も蒸暑いね」とぼやいて、日々の雑事に埋没している。その一日、山友会の会誌印刷の時、「中国旅行はどうだった?」と聞かれた。一緒に行ったKさんが「すごかったよ」とのみ答えていた。確かに答えに窮する。茫洋とした中国で、次々にすごいものを見て、揺り動かされた気持と気持がぶつかり合い、空中分解して、自分でも不思議な位ボーとしている。このままにしていたら、すべてが夢の中の出来事に終わってしまう。不安になって、つたない筆をとった。

近代化への回り舞台、成都

 朝の9時、松井山手駅から電車に乗って、夜の10時45分に成都のホテルについた。ヨーロッパに比べたら、飛行時間は短くて、格段に楽だった。中国国内便の乗り換えの上海は雨が降っていた。上海の添乗員さんから中国は梅雨入りしたと聞いて、少々気落ちする。 

 
        成都市内

 四川省の州都である成都を基点にして、四川省の中の景勝地を訪ねるのが私たちの前半の旅程である。コンクリートの大都会は蒸暑く、どんよりと曇っていた。ここから最終日までお世話になる李さんは上手な日本語で説明をしてくれる。「蜀の犬は陽に吠える」とはうまく言ったものだ。一年に250日は曇天の成都、太陽が珍しいようだ。出発前、同志社大学院の中国女子留学生から、「恋人は四川省で働いている」ときき、「何か託けるものは?」と尋ねたら笑ったはずだ。ここは人口300万の大都会、広い道路が印象的で、そこに人も車も溢れかえっていた。自転車、電気自転車が、信号が変わると、堰を切ったようにどっと流れる。渋滞の車の隙間を器用にぬっていく自転車、電気自動車はバスから見ていて飽きない。急激な近代化路線をひた走る中国の波は成都も例外でない。暗い古い旧市街の建物や路地の団欒場所は壊されて、世界共通の白っぽい高層ビルが建ち替わっている。経済が地域の生活、文化に優先するのはここも同じ。忙しく立ち働いている上半身裸の男の人達、散乱している店頭、活気溢れる下町の営みにひ弱でない中国を感じた。いろいろなものが共存する成都からあちこち行き、帰ってきては、次々と古い面白いものを見せてもらった。詩人の杜甫が住んでいた杜甫草堂、諸葛孔明を祭る武侯祠、3000年前の青銅器文明の遺跡の展示をしている三星堆博物館、一瞬に変わる変面に代表される茶館での川劇、パンダ飼育センター、どれも心を捕らえたが紙面に余裕がない。そうだ、好好吃(ハオハオチ)の四川料理に堪能したことも付け加えねばならない。

説明もむなしい九寨溝、黄龍
 テレビ等で九寨溝や黄龍の映像を見たら、大抵の人は実際に見たいと強く思うだろう。私もそう思った。しかしさすが元秘境、そう易々と寄せ付けてくれなかった。2年前山を削って、海抜3500mのところに小さな飛行場ができた。この飛行場が出来る前は成都からバスで3日かかったそうだ。私たちは幸い飛行機で行けるのだが、その飛行機が難航した。原因は、高所にある飛行場が濃霧のため着陸できないということだ。2時20分に成都の飛行場に入って、待ちに待って6時間遅れの飛行機にやっと乗れ、離陸したが、その飛行機もまさかと笑った前便と同じく、九寨溝飛行場に着陸できず、とんぼ返りに成都の飛行場にまいもどってきた。その日は無理ということで、会社が世話をしてくれたホテルに引き上げた時はもう翌日になっていた。焼き飯を食べて、寝るか寝ないかで早朝駆けつけ、乗った飛行機は、無事一発で、8時過ぎ九寨溝飛行場に降り立った。飛行機から出て、ほっとするや頭痛がし始めた。ここは3500mなのだ。慌てて冷気をおもいっきり吸った。
 
 九寨溝、黄龍の美しさは、まさに“筆舌に尽くし難い”。「黄山に行って山見たくない。九寨溝に行って水見たくない」とガイドさんの説明にあったが、今後私が出会うであろうどんな川にも、滝にも、湖にも感激できないのではないかと恐れたほどだ。原生林を背景に次から次に展開される水と光の神業は、私たちの心を奪った。

 ここはついこの間まで外部の人を寄せ付けず、チベット民族だけのものだった。それが今では飛行機が飛び、さらにもっと安定して便利なように高速道路を建設中である。もっともっと簡単にアクセスできるようになるだろう。今、現地の道はきれいに舗装されて、沢山のバスが行き交っている。ロープウエイも出来、山間の歩道は木道になっている。湖のほとりは人々で溢れかえり、湖や滝を背景に、観光客は騒々しくポーズをとり、カメラにおさめてはあわただしく通り過ぎる。一方チベットの人は、厳しい土地で厳しい生活を強いられたものにのみ、神様が与えたかけがえのない喜びを売り渡し、あるいは奪われて、民族衣装を着て声をあげてみやげ物を売り、与えられたゴミ拾いの仕事に忙しい。時代の流れと言えばそうなのだが、チベット民族にとって、どちらが幸せなのだろう。

メタンガス混入の深呼吸 (四姑娘山)
 九寨溝への飛行機が大変だったように、四姑娘山の麓へのバスのアプローチも難航した。もともと、岷江の支流を延々と遡っていくこの道路は、いたるところ工事中で、道は悪く、混雑するとは聞いていたが、結局12時間半かかってしまった。工事の為、通行止めになったのが、1時間と40分の2回、その上、道は工事でぼこぼこ、ぬかるみ、怖いような絶壁やバスの幅一杯の狭路、運転手さんの技術と集中力、努力に頼るしかない。バスも高度にして500m位の都江堰から3500mの日隆へとあえぎながら登り、下り、よく故障せずに持ちこたえてくれたものだ。シンクーラ(お疲れさん)、バスと運転手さん! 帰りは別路になったが、お蔭で私たちは大中国の変化に富んだ地形、自然、人々の生活を車窓から垣間見、好奇心を大いに満足させてもらった。  


     四姑娘山山麓 鍋庄坪を目指す 

 四姑娘山の麓は花盛りだった。青いケシはなかったが、黄や赤のケシ、黄や暗紅のアツモリソウ、黄やピンクのサクラソウ・・・数え切れない種類の花が咲いていた。そんなお花畑は牧草地でもあり、牛、馬、ヤク、羊が美しい花を遠慮もせずに食んでいた。私たちは山友会の名を汚さないように、観光客よりも少し高く、四姑娘山への登り道を3600m位まで登った。60%の酸素量の空気、しかもいたるところにある牛馬の落し物から発散するメタンガス混入の空気を、深呼吸し、頭痛と闘いながら登った努力は認めて欲しい(?!)。下山の時、3日前黄龍で会ったアルパインツアーのグループに会った。彼らは大姑娘山(5355m)に登るそうだ。差をつけられてしまった。その夜町のレストランで郷土料理をご馳走になったが、周りの壁には日本の登山隊の寄せ書きが沢山はってあった。その中に「サーズが流行した時、日本から唯一我々のみが、ここを訪れ、登頂した」という寄せ書きがあった。何でも威張る種になるものだ。丘一面に咲いているトラノオ(日本のとは違う)の絨毯は豪華そのものだった。このトラノオを中国では「真珠花」と言うそうだが、青空を背景にした真珠花の白いうねりは、旅の中疲れの我々には絶好の清涼剤となった。
 
 そして何よりも感激したことは、四姑娘山がスカッとその全容を見せてくれたことだ。6250mの雪山は、朝日に輝いて神々しく、スイスのマッターホルンに似ていた。これも早朝の出発に予定を変更してくれたリーダーT氏の好判断のお蔭である。

五体投地のラサ

 今回の旅の目的の一つに青蔵鉄道に乗ることがあった。昨年7月に、5年間の難工事を経て完成したこの鉄道は、世界一の高所を走っている。最高は標高5068m、4000m以上の高所がなんと960kmも続くのである。気密の車内でも少し頭痛を感じたこと以外、そんな特異なところを走っているとは感じられなかった。そう言えばゴルムドから高度を上げていく夜中の2時から、酸素の供給があったが、寝ぼけていて、そのお世話にもならなかった。成都駅を夜の8時半に出発して、二日二晩の長い乗車であった。しかし‘旅の心’を運ぶにはいい時間であった。車窓から飽くことなく、延々と続く荒涼としたむき出しの高原を眺めた。そこには遊牧民の生活があった。畑での農作業も見た。6000m以上の万年雪の山々、紺碧の湖があった。車内では中国系オーストラリア人のハンサムな‘ヨンさん’との出会いがあった。彼は中国語しか離せない車掌に頼まれて、度々注意や指示を英語で知らせに来てくれた。四川省から来た純粋で、賢そうな女子高校生は「あなたは中国が好きですか?」「チベットは?」「こんなところに住めますか」と熱心に質問を投げかけてきた。成都に戻るなら、私の家へ案内したいとも言った。いろいろ思い出す。
 
 ラサではガイドのドルチェさんが加わった。3日間のラサの滞在中、チベット仏教について語り、六道輪廻、因果応報、人間界の3毒5毒、来世の信仰と言った仏教の真髄を分かりやすく説明した。彼は、「私達の国は物質的には遅れています。しかし精神的には充実した進んだ国です。人々は自己抑制し、節度ある生活を送っています」と決然と言った。   


マニ車を回しながら寺院の周りを回っている
お年寄りの人達 /

‘神の地’ラサはチベット各地からの巡礼の人々で賑わっていた。文が書いてあるマニ車を片手で回し、もう一方の手で数珠を繰って歩いている老婆達。バター油を入れた魔法瓶を持って寺院を回り、次々と灯明をあげていく人々。あらゆる仏像の前にお布施をしていく、そんなに裕福そうでない人々。そして何よりも驚いたのは五体投地の人達である。太陽が容赦なく照りつける日中に、埃っぽい雑踏の中を両膝、両腕、額を地面につける行為をくり返して、遅々と進んでいく。一対何が彼らをそうさせるのか。彼らは何を願って自分を痛みつけるのか。煩悩を超越する為? 自分や家族の幸せ? 平和な世界? 来世の幸せ? 誰にも聞けなかったが、日に焼けた顔、傷ついた額を見ては、その素朴な、崇高とさえいえる宗教行為に私は感銘を受けていた。
 
 チベットは1950年代に中国共産党政府の侵略を受けた。文化大革命の時、私たちが訪れたジョカン寺、セラ寺、デプン寺を含む4つの寺院のみ残され、他の寺院はことごとく破壊されたそうだ。10年前ブラッドピットが目的で見た映画、「チベットの7年間」はチベットでは上映が禁止されたそうだが、映画に出てくるダライ・ラマ14世はインドに亡命中である。今チベットは中国の自治区になり、中国当局の官庁の門には硬直姿の守衛が立っている。前を通るたびに物々しさを感じる。多くのチベット人が本当に愛している仏教の国が、「現世」でも人々が幸せを感じられる国であるように、私は心から願う。

 ドルチェさんは驚くほど立派な日本語で別れの挨拶をした。「日本も仏教の国ですから、私がチベット仏教について話したことを、生活の隙間に思い出して、生かしていただければガイド冥利につきます。」
                                             (おわり)

                
                  思い出いっぱい ありがとう!       
                                            
 井上 尚子
 長いようで短かった、そして優しい仲間に包まれた、思い出いっぱいの最高の15日間を
有難うございました。

* 九寨溝・黄龍
   紺碧の湖、滝、渓流、森林ーー等々、自然の絵巻は神業による傑作!!
  黄龍の澄みきった水辺に咲くアツモリ草の群生に感嘆!小鳥やりすとの出会いも。
  九寨溝シェラトン大酒店の夕食時、思いもかけぬ誕生祝いに感激!大きなケーキのろう
  そく?本を一気にフー、幸せすぎ!!


酸素ボンベ片手に紅杉林(3840m)のトレッ/
キング

* 双橋溝・海子溝トレッキング
   5〜6000mの山々、荒々しい岩肌、その岩肌を滑
  り 落ちる滝の数々、大草原に咲き乱れるピンク・黄・
  白・ブルー・紫ーーの高山植物、雪山の四姑娘6250
  mを見ながらのトレッキング、スケールの大きさにた
  だただ圧巻!

* いよいよ青蔵鉄道に乗り、ラサに向け3300キロの
  旅へ
   2日間の変わりゆく車窓ーー大草原、黄色に染め
  た菜の花畑、万年雪の山々、湖、朝日や夕日、日常
  を忘れ別世界に誘ってくれた。童心に戻りトランプを楽しんだりしてゆったりと時が流れた。

* 3658mのラサ  
   ラサとはチベット語で「聖地」「仏の土地」という意味
  天空の宮殿『ポタラ宮』や夏の宮殿『ノルブリンカ』、色拉寺、大昭寺等々流暢な日本語
  ガイドのドルチェさんの話を聞きながら仏教について少しは勉強して みたい気持ちにな
  ったがーー?
  八廓街のショッピングも忘れられない思い出。

* 愛らしいパンダ、見事な川劇、錦里のおしゃれなショッピング街、おいしい&からい
  四川料理−ー等々書ききれない思い出いっぱいの15日間でした。

ハラハラドキドキのアクシデントも旅のスパイス(とうがらしや山椒よりよっぽどカライ!!)
「思い出」という財産がいっぱいできました。心配した高山病も大したことな
く、無事に帰れたことが何より。素晴らしい旅を企画、そして快く仲間に入れてくだ
さった山友会の皆様に心よりお礼申し上げます。
出会いに感謝・シェーシェー・トゥジェチェ!   ジェーヨンーー。     (一般参加)     

 
「成都大熊猫繁育研究基地」でパンダの見学(生まれて数日の鼠位の大きさのパンダも見る)
 
                                                         
                                                              
                                                           山口 博
  今中国は戦後の日本の復興を思わせるように、マンションの建設ラッシュと道路の工事が至る所で行われていて急速に発展しているのを目の当たりにしました。
  9年前に北京を訪れた時は自転車が溢れていて車は信号などお構いなく突っ込んで来ましたが、今は車の洪水でバイクや電動自転車も有り様変わりしていました。

★最初の目的地九賽溝。
 これまではバスで12時間ぐらい掛かったのに飛行場が出来2時間弱で行ける様に成ったが、高山の谷間に作っているために霧が発生しやすくしばしば着陸出来なくなるらしい。
私たちも5時間待ちでやっと飛び立ったがやはり着陸出来ずに引き返して、成都の飛行場近くのホテルに急遽宿泊する事になり24:00に到着した。翌朝4:30のモーニングコールで3時間位の睡眠で、昨日引返した九賽溝空港に無事着陸出来てやれやれ一安心でした。


 日隆の村から四姑娘山が見える海子溝へ/
 トレッキング
 

★観光地入園は全てパスポートが必要。
 
園内は綺麗に整備されているが入園切符の購入にはパスポートが入用で厳重で、日本では考えられない。(その後の入園・拝観にも全てパスポートが必要であった)

★四姑娘山の麓の村日隆へ13時間のバスで移動
 四姑娘山の麓、日隆への移動が大変だ。道路は工事中で休憩時間の11:00から13:00までしか通行出来ないのでそれまで時間待ち、また酸素ボンベを持ち4,000mの巴朗峠を越えるのだが、至る処に道路工事でぬかるみの道で対向車が有ると大変です。道にはガードレールが無く窓から下を見ると谷で車が揺れる度に心臓に悪く下を見ない様にしました。

★青蔵鉄道48時間の旅
 2006,7,1に開通して丁度1年で切符が全国で売り出されたとかで纏まった席が取れてない。兎に角先ず乗車してから席を待つ、現地のガイドが交渉してやっと席が確保出来る。それでも2・4・14号車に分散となった。私の席は14号車三両目で食堂車に移動する時は大変で一般客車の通路を掻き分けて移動する。とても2号車までは行けないので停車の時に外から行ったがホームを200m以上歩いてやっと2号車にたどり着くことが出来ました。

★聖地ラサ
 
         色拉(セラ)寺の内部
 ラサは7年前の人口が約50万人で今は100万人以上に成っているとか、1959年に中国に併合されたチベットは今中国の援助で急速に発展しているようだ。ポタラ宮に入ると先ず歴代のダライ・ラマの仏像に圧倒される。何万個のダイヤなど宝石をちりばめ何千キロの金を使って作った大きな像の数々。チベット仏教を信仰する民衆の力を感じる。今も五体投地をしてお祈りする巡礼の姿に垣間見える。本国から移住して土地を住民から借りて温室栽培をして90%の輸入の農作物が自給できる様になったとか。だがガイドのドルティさんの言葉の中に、豊かさと引き換えにチベット族の精神文化の誇りが失われて行く様だ。14世ダライ・ラマの亡命に拠り所を失ったチベットの人の複雑な気持ちが垣間見えました。

 ★ 色んな事が有りましたが山友会の仲間達との楽しい旅でアット言う間に15日間が過ぎました。楽しい旅の内容は皆さんの感想文を読んでください。ハプニングも終ってみれば忘れ難い良き思い出と成りました。担当の日中旅行社の谷さん現地ガイドの好青年 李群興さんには終始親切に対応して頂きました。同行の皆さん15日間お付き合い頂き有り難うございました。寺沢さん企画から現地のリーダーで最後まで大変お世話に成りました。  
                                 
 
                          中国への旅を終えて! 
                                                    伊丹 立子
 


          ラサ駅 
 中国への旅から帰って、あっという間に10日が過ぎた。15日間の旅はやはり長い。出かける前もそうだったが、帰ってからも次々と雑用が押し寄せてくる。コーラスのこと、自治会のこと・・・その他もろもろのこと。

 まさか、15日間の旅に参加できるとは思ってもいなかった。恐る恐る「7月に中国への旅に行きたいのだけれど・・」と、切り出すと「いいよ、7月は暇な時だから・・」と、すぐに返事が返ってきてびっくりした。その代わり・・というのがあって、{彼女の娘さんの第二子出産が3月末だった・}3月から4月にかけて、7月の旅の前働きをすでにし終えていたから、ゆったりとした気分で旅立つことができた。とはいえ、18日帰国〜次の日、19日は仕事に出ることにしていたので、交通機関・特に、飛行機が定刻に発着しなかった今度の旅では、ハラハラドキドキさせられる場面が何度もあった。その日の内に着けなかった成都から九寨溝への移動時と、帰国の日は特にハラハラした。 

 中国は今、道路事情などを含めて、全て途上であり、旅から帰り10日経った今、旅行の思い出といえば、移動が大変だったな〜ということが一番強く心に蘇ってくる。      
 なにしろ、中国は広い。ちょっとそこまでが、そう簡単にはいかないのだ。まして、今回の私達の旅は大変欲張った旅・・・成都〜九寨溝〜黄龍〜四姑娘山トレッキング〜成都〜チベット鉄道48時間の旅〜ラサ・・・移動に時間がかかったが、雄大な景色・青い澄み切った水の流れ・咲きほこる高山植物・雪をいただいた山々・可愛いパンダ達の戯れ・中国の歴史の深さと重み・・・全て満足のいくものであった。
  

  ラサ八角街 右にポタラ宮が見えている
 なかでも私は、チベット・ラサの街の趣が気に入った。チベット鉄道48時間の旅程を終え、標高3658mのラサの駅に降り立った時の感激!!よくぞ、この地までたどり着いたものだとこみ上げてくるものがあった。駅の建物は真新しく、駅前広場は広々としている。午後6時になろうかというのに、太陽がギラギラとまばゆいばかりだった。<太陽の町>とも呼ばれているらしい。それにガイドさんが良かった。成都からずっとお世話になっている、優しくて、スラリとしてハンサムな李さんとは違い、ズングリ,ムックリのお兄さんだ!東京にいたこともあるそうで、はっきりした日本語で、大きな声で話してくれた。名前はドルチェさん!音楽用語では<優しく滑らかに歌う>という意味だが、名前そのまま〜優しく気長に付き合ってくれた。「明日から元気で過すために、今夜はアルコール、風呂は勿論のことシャワーも止めてください!」との注意は、三日間着たきり雀で過した私には恨めしい言葉だったが、ドルチェさんの言葉を忠実に守った。おかげで、この15日間の旅の間、たいした高山病症状も出ず、楽しく元気に過すことができたのだ。
 

      ポタラ宮よりラサ市内を望む

  ラサではポタラ宮やチョカン寺、セラ寺などを訪れ、チベットの古くからの歴史、そして、今も続く深い信仰の息吹を、少しだけだが感じ取ることができた。富士山の頂上のような高地の市で、旅の最後の日程をゆったり過すことができた。
 
 
今回の旅では、豪華な中華料理を食欲が落ちることもなく、毎日しっかりと食べたので、体重計に乗るのが本当に怖かった。恐る恐る乗ったヘルスメーターの針は旅行前と同じでやれやれ・・・だが、帰ってからの毎日、お茶漬けや冷奴の簡単なメニューで過しているのに、体重計の目盛りが少しずつ上昇気味に動いていく。この不気味さ!!
 
  15日間の旅をずっと元気に過せたというのが、膝痛や難聴などで苦しんでいる私にとっては、嬉しく画期的な出来事である。皆さんありがとう!お世話になりました。
長い旅を思い出深い旅になるよう入念に企画して下さった寺澤さん!
15日間同室で、難聴の私を親切に助けて下さった染矢さん!
快く仕事を代わって下さった職場の人達!感謝の気持ちで一杯です!
 

                          中国四川省の山&観光
                                                       染矢 つや子
 

       黄龍五彩池 

 初めての中国、初めての長期旅行、日本の山以外の高所での滞在と不安いっぱいでした。
終わってみれば上げ膳据え膳で美味しい三度の食事、冷暖房の効いたホテル、車内と快適に過ごせ体重増で帰ってきました。(「槍ヶ岳」登山にむけて増えた分だけでも落とそうと必死です)
 
 最初からハプニングがいろいろあり、中国は時間に対する認識は日本とは違うと聞いていましたが
「やっぱりか〜」でした。帰国が1日遅くなるかもと懸念していましたが、航空会社、添乗員、現地ガイドの配慮で予定通り帰ってこられてほっとしました。

 1)私が目にした中国事情


 青蔵鉄道の食事(四人前 ) 

 黄龍トレッキング時の弁当 
食事 ・・野菜をふんだんに使った料理の数々、肉は豚、鳥、ヤク、鴨等で牛肉は一度もなかった成都やラサのホテルの朝食バイキングは品数豊富でしかも美味しかった。パン、おかゆ、ヨーグルト、そしてフルーツもたくさん。大好物のすいかは大きくダクギリで惜しみなく使っていてたくさん戴いた。小粒のりんご、桃は丸ごと戴いた。連泊の時等は自分で勝手にメニューを決め楽しんだ。青蔵鉄道では朝食7:30内容は2日ともほぼ同じ 昼食11:30夕食17:30は同じ様なメニューが続き最後は少々飽きてしまった。 

道路
・・往路:都江堰から「四姑娘山」の麓、日隆に向けて一日かけてのバス移動。事前のミーティングで聞いていた通り工事中はストップし、いつ動けるか未定。
乗客は外に出て状況確認に行く人、狭い道路をブラブラ歩く人、暑いのでバスの中でいる人、はたまた、そこは観光客、カメラを手にする人とさまざま、雨でなかったのが幸いだった。
長くて1時間、20分、15分と止まる事数回。前方の観光バスのタイヤがぬかるみに入り立ち往生、我々の運転手も応援に行く。乗客は日本人だった。ガタガタ道が続きひとつ間違えば川に転落しそうな所を延々と、しかし悪路を楽しむかのように皆元気だった。川のすぐ脇にはキャベツ、ジャガイモ、とうもろこしが収穫を迎えていた。
   復路:距離は長くなるが道路は来たコースより整備されているとの事で別のルートに変更。 しかし片側はコンクリートもう片方は土と石ころの状態で中央は段差あり。コンクリート部分を走っていると突如山のようにもった土が進行を妨げる。そこで段差のある所に石を積み上げタイヤが乗れる状態にする。こんな事を数回繰り返すと、慣れたもので「あ〜又か」とあせることなく外にでて周りのお花畑を楽しむ余裕さえ出てきた。
   町中で:信号や横断歩道はあるものの、無視、大通りで観光バス(我々の)がUターン、日本では考えられない事に唖然とする。もちろんヘルメットなど着用者なし。 
  
トイレ ・・当地では高級ホテルでも鍵なしのところあり、又世界的に有名な寺院前広場トイレは隣との境があるだけで建屋に一歩踏み入れるとすべて見え見え状態で自然水洗。飛行場や洒落たレストランなど掃除はされているが使用者のモラルが問われるものであった。シルクロード経験者からは「ここはまだましや」との声あり。生まれも育ちも田舎の私は用をたせたが日本の若者は果たして大丈夫なのだろうか?とよけいな事を考えてしまった。
  帰国後聞いた話だが中国では井戸端会議の場所がトイレなので声が聞ける状態にしてあるとか、ほんとか嘘か? お若い女性が順番を待つ列を無視して我さきと・・お国がら?
  
鉄道 ・・
 
         車窓風景
世界で最も標高の高い所を走ると今話題の青蔵鉄道。成都からラサまで全線利用。成都でバスを降り、列車に乗るまでの駅内は凄まじいものであった。リュックを前に担ぎ人、人、人の中をガイドの旗を目印にむかでのように歩く。トランクを持ち列車のホーム迄の車(ゴルフ場のカートの少し大きめのもの)に乗り込む。テレビや新聞などでしか見たことがない戦争当時の状態ではないか?それにしてもホームは広い広い。出発時間が迫り座席も決まらないままトランクと人間はとりあえず列車の中へ。
事前説明では「お部屋は6人部屋を4人で使用するのでゆったり使えます」との事であったが、これが添乗員の思惑通りにいかず、お互いにすっきりしない列車の旅になってしまった。

  私は6人部屋に6人の最悪の状態の部屋になる。身体が小さいので3段目に。体格のある人をくじ引きかなんかで3段目に行かせる事はやはり出来ない。3段目に上がってみると背丈のない私でも座ると頭が天井に遣え横にしかなれない。物の出し入れや着替えは前かがみで腰痛になりそうだった。又窓がなく寝そべって外の景色を見られないのが残念だった。それにしても開通1年というのに普通座席の車輌は特に汚い。食べこぼしなど拾うこともしない。 狭い通路を調理済みの惣菜を蓋もしないでワゴンに載せ車両から車両へと販売されている。衛生上大丈夫なのだろうか? 臭いが充満し気分の悪いものだった。
車窓からの眺めは雄大で日本では見ることの出来ない山々が延々と続く、放牧する光景は映像の世界へと 引き寄せられた。ゆったりとした時間が過ぎていく。それにしても中国は広い。

 2)失敗談

捻挫・・世界遺産の九寨溝、黄龍の見学を終えての帰り空港のトイレで階段を踏みはずし転倒。
誰もいなくて恥ずかしい姿は見られず幸いだったが右足首捻挫。原因は横着をしてバックを横にかければ良いのに前にぶら下げ足元が見えない状態にしていたから。その夜、湿布をし翌日は湿布の上からテーピングで固定。終日バス移動の為、足を動かす事が少ないので助かった。2日後「四姑娘山」トレッキング、これまた階段がなくラッキーだった。痛みを感じなかったので人より長い距離を歩かせてもらった。緊張のせいか痛みはさほどないが腫れが出てきて不安に。列車の2日間は冷やしたバンダナを巻いて過ごした。

バス酔い
・・子供の頃から車に酔いやすく普段から3時間以上車に乗るときは薬を服用している。
あと2日でこの長旅も終わりの夜、初めてトランプで30・40分遊んだ。部屋に戻り喉が渇いたので今朝のバイキングのりんごをまるかじりし床に就く。翌日の朝食、この日だけは食がすすまないがとりあえず食べておこう、そんな気分だった。食後酔い止め薬と念の為に正露丸を服用。なのに、ラサのホテルから空港に向う途中最後の景色を楽しむ余裕などなく気分がわるくなり今朝いただいた物を吐き出してしまう。すっきりしないまま空港に到着。空港のトイレでも・・ようやくすっきりして機内に。この日の昼食は油の少ない料理を少しだけ戴いた。夕食は普段通り美味しく戴くことが出来た。何が原因かはっきりしないが、それにしても昼夜問わずアルコールを飲み夜は遅くまで遊ぶ同行者は元気で恐ろしい人達だ。

 一番心配だった高山病は助言通り水分補給と酸素吸入で大事に至らずありがたかった。又工程も標
高差を配慮して計画されており皆が元気で楽しく15日間の長旅が終了出来た要因と思う。

 「九寨溝」「黄龍」の湖水は言葉では表現できない色彩に魅了させられ、友人たちに「是非一度」と勧めている私です。15日間旅を共にした仲間とは何故かより深い関係になった様な気がしてならないのは私だけかな? とにかく思い切って行ってよかった!仲間、家族に感謝しています。
 
 
                            青蔵鉄道車窓より


                   
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