三鈷峰 |
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山行報告 | 佐々木英夫 | |
/11/8日 2006年に秋の三鈷峰を計画したが天候不順で中止し、今年の例会に組み入れた。近郊の三徳山の国宝投入堂が世界遺産に登録される可能性がテレビ等で報道され、また特異な建築形式が面白く、是非拝観したく思い、三鈷峰の前に訪ねることにした。他の行事と重複したため、日程を前倒しにしたので、参加したかった方には申し訳なく、お詫びいたします。
三徳山の 歴史は古く、ここにも役の行者が登場、組み立てたお堂を法力で投入れたと伝承されている役人堂までの行者道を登った。入山料を払い輪袈裟を拝し、足元のチェックを受け神聖地に入るとすぐ赤 い橋を渡り、急登のかずら坂を登る。坂は木の根が網の目のように組み入って露出し宙に浮いてお り、クサリ坂は文殊堂の舞台造りを支えている柱のそばのクサリ岩場をよじ登る。途中、駱駝のコ ブのような平岩の難所を越え地蔵堂に到着、さらに進むと、鐘楼堂がありここで誰もが煩悩を忘れ 鐘を撞く事が出来る。 トップのご利益でゴーンと荘厳な音を三徳山の山々に響かせることが出来た。 梵鐘の銘を見ると、佐々水盛綱が建久年間寄贈とある。重さ2トン、もしかすれば遠い先祖かもしれない?ほぼ全員の人が、それぞれの思いをこめて撞いたことだろう。牛の背、馬の背をわたり岩のくぼみに建てられた納経堂・観音堂・不動堂の裏を通り山の斜面を廻り込むと、断崖絶壁のオー バーハングした岩窟を天に、国宝の投入堂がへばりつくように、危なっかしく、それでいてしっかりとしたバランスを保つように岩盤の凹凸した礎石から不均一な長さの細い真直ぐな柱に支えられ 建っていた。
まず、心は真っ白で見惚れてしまった。実に見事な神社建築で、屋根は流造り、(切妻屋根の一面の軒を長くのばし、横から見るとへの字に見える形式)檜皮葺き、断崖側には高欄を回 している。正面一間側面二間の日本建築史上特異な建造物で、平安後期の様式といわれている。 断崖絶壁の自然とマッチした役人堂の建築美は、観る者に驚きと、感動と、深い敬虔の念を与えずにはおかない。また、集塊岩と溶岩の岩層の亀裂に生じた祠に御堂を建造しようとした発想人と、 それを造った匠の技に拍手を送らねばならない。1300年も昔の日本最古の神社本殿建造物であるといわれている。三徳山三仏寺は大いに見るべきものがあった。
大山の麓に着き、紅葉散策に、近くののろし台まで歩いた。北壁の荒々しい岩壁の麓は燃えるような紅葉の錦だった。白い岩肌と ブナの黄葉とゲレンデの緑のコンストラストが、見事だった。その夜は大山の麓の宿に泊まる。 11/9日 宿(6時OO分)を出発、石畳の参道を大神山神杜(6時30分着)まで行き、これから三鈷峰に登るのだが、元谷から砂すべりの通常降りに使用するコースを登るか、または下宝珠越コースを登るかの選択に迷った。私は元谷・砂すべりを当初から計画して案内にも記載していた。 理由は4つあった。一つ、早朝の出発のため、降ってくる登山者はまず居ないだろうこと。 二つ、崖錐の区間(所謂、砂すべり)は、そんなに長くはないだろうこと。降りに使うことは多人数ゆえ、落石の後追いの危険が大きいこと。登りはゆっくり、慎重になるなど。三つ、大山の崩落した北壁の凄さを目の辺りに見たかったこと。四つ。降りは紅葉の樹林の中をゆっくり歩きたかった。などの理由だった。兎に角、くだりルートとしての砂すべりを果敢に登る価値は充分あると思った。 元谷避難小屋付近の崩壊地で朝食にした。大山の北壁を望めば荒々しく削り取られた岩石が浸食され、樹下に崖錐を拡大し、山頂の尾根がヤセにヤセ細っている様がひしひしと感じられる。大山は古火山で、溶岩や、火山砕屑物で構成され、弥山や、三鈷峰、烏ヶ山は大きな大山馬蹄形カルデラのなかに後から噴火した溶岩円頂丘である。よってもろい岩質のため重力に押しつぶされ、日本海特異の多雨、多雪、強風によって崩壊がはげしく進行しているらしい。
さて、標柱に上宝珠越まで50分とある。ここから砂すべりへの道を一歩一歩慎重に登る。 勾配が徐々にきつくなり、崖錐の中央は、流水のためはげしく洗掘されていて、歩行は困難だ。 そのため屹立した山腹に添って粒子のこまい砕屑物のうえを踏み跡を頼りに登る。順調に高度を稼ぎ、まもなく上宝珠越の尾根筋に着こうかと思える砂すべりの区間30mぐらいの最後の難関にさしかかると、気持ちは一段と引き締まり浮石一つの踏みつけにも慎重になる。斜度もきつくなり、後部に居たKさんが、小さな落石に当たり、後に転倒して少し滑ったが、すぐに止まった ので安堵した。難関の砂すべりを乗り切り、最後の二股ステップの垂直に近い3mほどの岩壁を、みんなのサポートにより登り越えると、恐怖の砂すべりは終わった。 砂すべりのメカニズムは、 崩壊土石の自立する安息角が崩壊寸前ぎりぎりの斜度にあるためで、そこに人為的に力が加わると、もろく、いとも簡単に崩れるのだ。三歩進んで二歩下がる砂すべりは、土石の持つ内部摩擦角、勾配、含水比など、またその下の粘性を含んだ固い地盤の上に崩壊砕が薄層に乗っているため、尚、滑りやすい条件がそろっているのだ。下山の登山者に会わなかったのが、砂すべりを登 り得た最大の条件だった。
上宝珠越に到着、全員が正直ほっとした思いだったろう。尾根道を少し登り、山腹の崩壊地をトラバースし、伽羅木のトンネルをくぐると、三鈷峰とユートピア小屋の分岐点につく。三鈷峰は北へ小さなピークを一つ越すと少しの時間で登れるのだがピークからのぼりの斜面は2000年10月の鳥取地震のときに斜面が大崩壊し、柱状板の岩石が、折り重なるように落下していて、歩行も慎重になる。例年ならもう初雪が降っていてもおかしくない時節だが、今年の大山は、今が紅葉の盛りで、北壁の白い壁と紅葉とキャラボクの緑が綺麗だった。元谷から砂すべりを慎重に登り三鈷峰までは約2時間を要した。東斜面を雲、風が駆け上がってきたので、三鈷峰を後にした。 下山は、ヤセ尾根の下宝珠越のル ートを取った。上宝珠越まで降ると、少しづつ登ってくる登山者と出会う。 すれ違う挨拶の中で、[どちらから登りましたか]と聞かれた。下山が早いのと多人数の高齢者のグループと見られたのかもしれない。[砂すべりから]と答えると[エ?・・エ?・・・]と驚か れ、しばらくして[凄い!凄い!]とほめられ、そして・・・[砂すべりは降りに使うのが普通なのですよ]とも言われた。少し窮められた気がした。砂すべりを登ってはいけないという規制も なく、進入禁止の標識もなく、元谷に上宝珠越まで50分の案内標柱まであつだのだから、パー ティーの力量や、個々に登りうる技能があればいいのではないかとも思ったが、反論はしなかっ た。
だが、全員何事もなく登り得たからそう思ったのだが、心の奥では、やはり配慮が足りなかったかも知れないとも思った。それにしても驚くべきは、古稀を越えた人や、それに近い年齢の人を考えると、山友会の山好きの人々は、壮者をも凌ぐ気力と健脚の持ち主が多いことに感心した。帰路のコースも展望が良いのだが、特に三鈷峰の西壁の崩落した凄さは、恐怖を感じずには入られなかった。降るに従ってブナ林の黄葉や、その下の木々の紅葉が素晴らしく、危険な崩落地も少なく、周囲を愛でる余裕も出てきて、充分に紅葉の素晴らしさを堪能できた。 暗いうちに、このコースを登っていたら、こんな素晴らしい紅葉は見られなかったかもしれない。 女流登山家の田部井さんが、「日本にもまだ、こんなに素晴らしい(自然が残された)山があったのか」と感嘆されたという三鈷峰、上宝珠越から下宝珠越の尾根道、砂すべりなどは、登るに値する山だと思った。何より紅葉の素晴らしさが、険しい崩壊の大山に安らぎと輝きを添えている。 皆さんの感動を共に長く共有いたしたく思います。参加者の皆さん恐い思いやらをさせてごめんなさい。有難うございました。 |
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昨年も個人山行で計画したが雨で中止。今年再度例会で計画していただいた。三仏寺は5〜6
年前、大山に家内と行こうとしたがこのときも雨で登らせてもらえなかった。今年は好天に恵まれる。投入堂はコースガイドなどで見るより思ったほど厳しくなく皆難なく登る。何か物足りない気もする。投入堂は建造されてから千三百年、このような昔によくぞ断崖絶壁の洞窟にお堂を立てたものだ。
大山山の家シーハイルに宿泊。山の家は思ったよりきれいで食事もよく、シーズンオフで料金
も安かった。食後、大きな囲炉裏を囲んで9時まで歌を歌い楽しい一時を過ごす。
朝、大山寺口までバスで送ってもらう。大神山神社から元谷に出て谷を進む。砂すべりを直登するも一歩登って半歩ずり落ちる。高い岩を越える時、山ロさんがロープで女性達を引き上げる悪戦苦闘しやっ との思いで上宝珠越に出る。 ユートピア小屋分岐まではあと一息。三鈷峰直下西壁はかなり崩落していて慎重に登る。大山北壁はガスの切れ間に見られるも、つかの間でガスが覆ってくる。下りは上宝珠越から右にコースをとり下る。三鈷西壁が目の前に飛び込んでくる。中宝珠越あたりからブナの大木の原生林が黄葉の盛りですばらしい。全員無事に下山すると大変だった砂すべりの登りも、皆なおもしろく楽しみに変わってくる。お世話になったリーダーの佐々木さん、参加していただいた皆様ご協力ありがとうございました。 |
三徳山・三鈷峰に参加して感動の一言でした | 吉津 雅子 |
バスの中でのお話し、トイレタイムでの買物(行く時から買っていました)、投入堂に行く迄の山道、ホテルでの楽しい一時、男性陣の歌声、ホテルの対応、すべて感激しました。翌日の三鈷峰に登れた時の思いは言葉に言い表せない感動でした。
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