1613m | 1917m | 2038m |
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山行報告 | 佐々木英夫 | |
7/12日 山行時期の天候は、予報では最悪で、その上、大型の台風4号の発生が気になる中、雨を覚悟の出発となった。いわて花巻空港の天候は雨だったが、到着するころには雨はやんでいた。12日は、遠野を廻り、早池峰山の麓、岳まで行く予定にしていたが、天候も曇りだったので、八幡平へ登ることに変更した。 駐車場ににに4時15分頃帰ってきた。 ガイド山の見送りを受け、早池峰・岳のレストハウス峰南荘に向かった。(16時45分前) 八幡平の散策コース所要時間2時間10分、比高約200m、歩行距離約3km 7/13日 朝5時に宿を出発した。霧が立ち込める中、河原の坊登山口(5時20分)から 頂上をめざした。昔は、ここに一寺が建立されており、信仰登山者はここで水垢離をとり、身を清め、わらじに履き替え山頂を目指したといわれている。コメガモリ沢の渓流沿いを登って いくと、期待の高山植物の花が次々と現れてくる。森林、潅木と高度を上げるごとに花の数が増えてくる。やがて、樹林帯が消えるところ視界が開け、目指す頂上が、流れる雲のきれ間から見えた。 造山運動によって隆起した蛇紋岩の山は、切り立った崖が急斜面にそりかえって みえ、登山道がその山腹に点々とへばりつくように天をめざし続いているように思えた。 幾億年を経て造山し、その後、長い年月の間に高地は浸食残丘となって、ハヤチネは存在する最も古い地層の姿をあらわしていた。そのため高山植物も豊富で、聞くところによると140種の高山植物が生育しているといわれている。それゆえ、貴重な植生地帯として、国の天然記念物【早池峰山高山植物帯】に指定されている。 さて、渓谷から道が離れ、少し登ったところで、朝食にした。頭垢離の7合目である。ここから御神坂(神のもとに向かう坂道なのだろうか?)で8合目までの打石(急斜面に屹立した15mほど高さの巨岩で、テング が雲中で頭を打つたといわれている)、そして頂上までの急坂の道には、高山植物保護のためのロープが両サイドに敷かれ、ほぼ一直線に登るのだが、ハヤチネウスユキソウ、ナンブ トラノオ、ミヤマアズマギク、ハクサンチドリ、ヨツバシオガマ、ミヤマオダマキなどの群落を愛でながらのゆっくり登高のためか、あまり疲労は感じない。さらに急坂をよじ登ると、早池峰山の山頂(8;35)だった。 二つの社があり、本宮(赤い神社で807年の建立といわれている)、若宮、そして、奥社の周りには剣を頂いた岩峰が累々と群れを創り山頂を形成していた。河原の坊をでて、3時間15分。古稀を迎えた者たちのタイムにしては、立派であったと思う。(ほぼコースタイム通り)標高1913m(1等3角点)山頂(1917m)、この山頂には2度立ったが、赤い屋根の神社と、避難小屋の記憶しかない。もう二十数年前の、がむしやらに山に付いて歩く時代のことだった。復路は、そのとき登った小田越登山口へ降った。 少し平坦な山稜を降ると、高山植物の群落地が広がっていて、河原の坊コースとは、又、違った種の花が多くなった。(カ トウハコベ、コバノツメクサ、シラネアオイ、チングルマ、タカネクロスゲ、ヒメコザクラ など)小田越コース、千両函・銭倉金倉(ここに祈願すれば富を授かるといわれている)の5合目へと順調に下り、休憩していたところで、早池峰山の環境保護の監視員に出会った。 道々、判らなかった花の名前をいろいろと教えてもらった。 早池峰山の固有種(ハヤチネウスユキソウ、ヒメコザクラ、ミヤマヤマブキショウマ、ナンブトラノオ、ナンブトウチソウ、)南限種(サマニヨモギ、カラフトヒメシャクナゲ、ナンブイズナズナ、など8種)、北限種(ハリガネカズラ、ミヤマアケボノソウなど3種)それに隔離分布主として(タカネウスユキソウ、タカネコウゾリナ、ミヤマウイキョウ、ホソバ ツメクサ、カトウハコベ、など)で、かなり学術的で、親切な話し方だった。 昨日の八幡平のガイドといい、東北人は、ぶっきら棒だが、根はとても暖かい人が多いのだと思った。 さらに岩稜の道を下り森林限界に入り、小田越登山口に着いたのは、11時15分だった。 以前は、登山口に鳥居があったが今はなく、国定公園・早池峰山の立派な石碑が建っていた。 小田越から河原の坊(11 ; 50)まで舗装された道を歩き、次の山、岩手山麓へと車を走らせた。早池峰の山は、とにかく花の宝庫であることには、異論がない。なぜこれほどの花が多く生育するのだろうか、その理由を早池峰の山体の形成が物語っている。 蛇紋岩に含まれるマグネシュウムイオン(苦土系)が、植物の生育を阻害する性質があるため、一般の植物は進入しにくい土壌になっている。そのため、氷河期の遺存種である高山植物が、生き残ったためであろう。ほかに、まだ理由があるのかも知れない。 雨にもあわず、花に酔いしれ、大満足の山行だった。種々の花々が脳裏にやきついて、早池峰という大きな山を、背負って走っている感じがした。 岩手山休暇村網張温泉に到着すると、明日の朝、雨だったら、リフトは運行(7時)しない可能性があることがわかった。私達は、網張コースを登ることにしていたので、リフトが動かないと、別ルートを考えなければならない。(岩手山には、柳沢、御神坂、焼走り・上坊、 等がある)また、予約昼食弁当の受け取りが、6時50分だから、別ルートを選択するにし ても、7時以前の出発はできない。所要時間、難易度、天候等を考え、網張がベストなのだが、あとは、明日の天候を祈るしかないと思った。リフトが運休したときは、みんなで良い コースを選択すればいい。あとは出発前、照る、照る坊主に願いをかけたという澤田さんの効果を期待することにしよう。 早池峰山の山行所要時間6時間30分、比高約800m、歩行距離約8km 7/14日 朝、霧が岩手高原を覆い隠していた。幸い雨ではなかったのでリフトは、運行し7時始発の1番に乗ることができた。3基のリフトを乗り継ぎ、標高1300mまで一気に 登り、リフトが雨天で中止となった場合、ここからの網張温泉まで下山ルートを乗務員に確認し、岩手山への第一歩をふみだした。(7;40)裏岩手縦走コースの分岐点(犬倉、)を経て切通し(9;00)の分岐まで、順調に登り、私達は、お花畑コースをチョイス、少し降ると、 いまだ噴煙を昇る大地獄の淵を通り、お花畑へと向かう。本道が伸びチングルマやバイケソウが群生し、周囲の景色は見えないが、岩手火山群の大カルデラの中に立っているのだった。 岩手山は、多くの小火山からなる複合火山で構成されていて、ここは、旧西岩手火山の大地獄カルデラのあとで、南側の壁は、鬼ケ城の尾根で、北側の壁は、屏風尾根、火口跡にはカルデラ湖 (御苗代湖)と、火口湖(御釜湖)が存在し、さらにお花畑が広がっている。東西2.5km南北1.5kmものすごものであるという。視界が開けていたら、その驚異的な火山群の活動の跡を見ることができただろうと思うと残念だった。 登山道は、ここから東壁の急斜面となり、樹林帯の下にはネシラネアオイなどの花が群生していた。かなりキツイ登りだったが、やがて行く手の右側に鬼ケ城(西側・旧火山の外輪山で険しい岩稜が連なっていて、見上げると城壁のように見える。大昔には鬼が住んでいて、これを鎮めたのが坂上田村麻呂であったという伝えがある)の断崖が見えだし、その奇怪な巨岩の形は、城壁か、または、殿堂のように感じられた。 矮小の岳樺の中を過ぎると、視界が開け、左手に岩手山の全容が雲の切れ間から見えた。不動平到着(11 ; 05)だった。カラフルな色彩の人列が頂上をめざして登っているのが見えた。柳沢(馬かえし)コースからの登山者らしい。 わたしたちも、続いて登り始めた。瓦礫の斜面には登山道に迫るほど、コマクサの群落が風にゆれていた。これほどの群落は他山ではあまり見たことがない。薬師岳を頂点とする外輪山の分岐 に立つと、雲は去り風も止み、くっきりと山頂や二重火山(西岩手の旧火口の東側が大爆発して、 現在の最高部を創ったと言われている)の全容が姿をあらわした。 この頂上のみが、さわやかな晴天となって私たちを迎えてくれたのだった。三十三観音の石像さんが、ほぼ等間隔に置かれていて、山岳信仰の深さが感じられた。イワブクロが咲いている、 岩手山(2038m)11時40分、2度目の登頂であった。地元の小学校の学習登山だろうか、 30人ほどの人達で賑わっている。又、百名山完登だという4人グループや単独山行の人など、 山頂には、山に対する人々の熱い思いや、張り詰めた空気がピーンと張っていた。 昼食をすました頃、にわかに天候が急変し、数秒のうちに、5m先も見えないくらいの雨滴を含んだ濃霧が、強風と共に山頂をかき消してしまった。早々に下山する。こんな状況が遭難の原因 を誘発するのだろう。兎に角、不動平避難小屋までくだった。霧は全山をダークグレーで覆い、 再び山頂を見ることはできない。復路は不動平(12 ; 15)鬼ケ城尾根コースを下ることにした。 西側火ロカルデラ外輪山の鬼ケ城尾根は岩稜で険しく、屹立した岩壁が火口側に崩落している稜線の道は、緊張感の連続だったが、溶岩の足場もしっかりしていて、楽しい尾根歩きだった。切通し分岐(14 ; 20)を経て登山リフト乗り場には、14時50分に返ってきた。幸いリフトは運行していた。 リフトを乗り継ぎ、冷え切った身体が開放されたのは、15時20分、この山行の所要時間は、 8時間20分、比高約1200m)歩行距離約16kmだった。 7/15日 台風4号のことが気になったが、飛行機は、予定通り運航するという。フライトまで時間、岩手山北斜面の焼き走りを見に行った。1732年、8合目付近の山腹で大噴火が起き、 熔岩流が長さ4km、幅1kmの扇状に広がり、275年を経た今でも草木の生育をも拒み続けている、黒い溶岩の荒涼とした風景から、大自然の鼓動を感じることができた。ガイドの説明を 聞き、数年前、降りてきた登山口を懐かしく思い、小岩井農場でゆっくり遊び、いわて花巻空港から、伊丹に帰ってきた。 今回の早池峰山・岩手山の山行は、好天とは云えなかったが、大きな雨にもあわず、同行者のみなさんの協力もあり、結構楽しかった。早池峰の花々(ハヤチネウスユキソウの固有種)、岩手の焼き走り(国の天然記念物)など、又、早池峰神楽や、岩手山と文学のことなども探訪できれば、尚、好かったのかも知れないと思った。 早池峰の花々は、夏山山行報告会のときに、ごらんください。 ヒヤリハット、なし |
花の楽園めぐり旅 | 白波瀬 勇 |
今回の山行に是非参加したいと思った理由には二つある。一つは、還暦記念に妻と東北への旅をした時、小岩井農場周辺をコースとした岩手山ろくマラソンに参加し、残雪の岩手山と広大な農場を見ながら走った思い出がある。そして岩手放送のインタービューを受け、遠来賞を貰った嬉しい大会の地であること。二つは4月から放送されている朝ドラの“どんど晴れ”の舞台であること。オープニング画面に登場する四季折々の岩手山の風景が素晴らしく、あの山頂に立ちたい思いに駆られたこと。
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