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                     858m

 

  吉水寺一目千本の展望所より
                              
 山行日  2006年4月9日  天候    晴
 コース   宮滝9:30⇒吉野水分神社11:30⇒西行庵13:10⇒青根ケ峯13:50⇒
 金峯山寺蔵王堂15:30⇒近鉄吉野16:00
 参加者  リーダー:徳田      サブリーダー:秋月 
 男性:村上、遊佐、片山、西川、寺澤、丸山、北川、稲垣
 女性:杉本、中村、伊丹   (一般参加)村山、安田  
 合計:15名                  、

  
    山行報告  徳田 誠

  山行報告 吉野山の桜開花に合わせて計画を繰り上げたものの、予報が外れた。お花見は毎年のことながら、満開に計画をあわせるのは至難の業である。大和上市からバスで宮滝の登山ロヘ、このバスが小型で積み残されたら一時間待たねばならない。超満員であったが無事、宮滝に到着。天気もよく、快適な道がつづく。予定では花矢倉あたりで昼食をと思っていたが、変更して西行庵まで辛抱することとする。

 途中、吉野水分神社に立ち寄り小休止。古式ゆかしい、風格のある建物で枝垂れ桜の老木がまだつぼみで残念。私は昨年、満開を愛でる幸運に恵まれたので同行の皆さんに何としても観てもらいたかった。私の不徳の致すところ、残念。西行庵への道のりはすこし厳しく、まだですか?との声も漏れ聞こえたが、もう少し、もうすぐ、と歩きつづける。 西行庵の桜はつぼみも固く風情もなかったが、さすがに、昼飯にコーヒなど頂くとみんな機嫌よく、元気も出てきた。

 青根ケ峯へはもうひとふんばり。頂上へはあっけない感じで到達。 あとは降るのみ、みんな軽快に歩く、いや落ちてゆく、登りの足取りが嘘のように速い。高度が下がるにつれ、桜が開く。満開の木もあり、それなりに楽しむことが出来ほっとした。 中千本あたりから、土産物店が軒をつらねているせいで急に観光客が姿を現す。やっぱり花より団子ということかと納得。そこでいったん解散し、吉野駅で集合することにする。4時半、全員無事集合、解散。全員時間厳守、品行方性で京都田辺山友会のレベルの高さを再認識させて貰ったありがたい山行でした。 




 

   西行庵より青根ヶ峰へ

   青根ヶ峰山頂

[写真提供は秋月さん]

    感想         吉野山春まだ浅き山桜 中千、上千、奥千まさにこれから

 2004年7月1日、吉野山はじめ金峯山寺(きんぷせんじ)、吉水神社、吉野水分(みくまり) 神社、金峯(きんぷ)神社などがユネスコの世界遺産に登録されたところを今日は歩いた。 私にとっての吉野山は、東北での学生生活を終え大阪の企業に就職して2,3年後の職場レク リェーションで訪れて以来実に40年ぶりの再訪になった。

 40年前の記憶が残っているのかは 私にとって楽しみのーつであったが、残念ながらほとんど忘れてしまっていた。辛うじて山から 下りてきて帰りの吉野駅にかすかな記憶が残っていた。40年の月日は人間の記憶を遠い世界に 置き去りにするのだろうかと思うと寂しさを感じた。 40年前のあの日は桜の真っ盛りの観光道をブラブラ歩いたものであり、今日は半分以上は桜のない山道を歩いたという違いはある。私の記憶に残っている吉野山は桜が豪華絢爛に咲き乱れ、 この世にこんなにすごい桜があるのかということがずうっと頭の片隅にあった。

 しかしながら今日の桜は下千本付近が満開に近い状況になっていたものの、そこから上はまだ蕾の段階で期待はずれの感はあったが、前回とは違い山友会のメンバーと山歩きを楽しめたのは大いに満足感を刺激してくれた。吉野山は日本一の桜の名所として知られ、およそ3万本の桜があると言われており、下、中、 上、奥千本が4月初めから月末まで訪れる人々の目を引きつける。  吉野山は日本の歴史絵巻を彩る山でもある。後醍醐天皇の幽閉の地であり、源頼朝に追われた 義経が一時身を隠した山で、最愛の静御前と永遠の別れをしたところであり、歌人西行法師が小さな庵で3年の歳月を送ったところでもある。

 源義経隠れ塔、西行庵を見たがよくもこんな小さな庵で吉野の寒い冬を過ごせたものだと感心した。恵まれ過ぎている今のわれわれの環境に感謝するとともに、一方ではひ弱にならない「鍛え」を忘れてはならないと思った。また、昭和の文豪吉川英治の代表作「新平家物語」のフイナーレに、京の貧民の病いの治療に生涯を捧げようと している阿部麻鳥夫婦とその息子を吉野山に登場させ、来し方の保元・平治から源平の戦乱の世 を回顧し、行く末の平和を願う心情を吐露させて長編を締め括っている。
 
 今日訪れた吉野水分神社は子守りの神として知られ、豊臣秀頼や本居宣長はここの申し子か と言われている。金峯神社は黄金の守護神として信仰を集め、境内に義経ゆかりの隠れ塔がひっ そりと立つ。西行庵は奥千本に隠れるようにたたずむ庵。今日の山行最高峰の青根ケ峯(858 メートル)はさしたる高山でもなく汗を流して到達した山でもなかったが、それなりの感激をも って仲間と握手を交した。

 最後に訪れた金峯山蔵王堂は修験道の根本道場で周囲を圧倒する威容。 私も賽銭をあげて頭を垂れた。そこから下り道をゆっくり歩いて約20分、帰りの乗車駅「吉野駅] に着いた。  40年ぶりに訪れた吉野山は歴史を確実に刻んでいた。しかし、その流れは悠久の昔を思わせる ゆったりしたもののように思えた。それが私には嬉しかった。数々の歴史のドラマの舞台となっ てきた吉野山が「21世紀世界遺産」の顔を持ちながらこれからも日本の歴史を見つめ続けること だろう。この遺産が永久に輝き続けることを願っ た。 (遊佐 研冶郎)