奥多摩 |
雲取山・丹沢山 |
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山行報告 | 佐々木英夫 | |
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エー!なに〃ココが東京都? 若葉の落葉樹一杯の原生林、東京都民の水道水の源 流。さすが秩父奥多摩国立公園、川のせせらぎが涼しさを増し気持ちがよい、奥多摩と いう響きに一度は来てみたかった山であった。出発前夜、梅雨の真只中大雨〃『本間に行かはんのやろか?長靴で歩こうか』といろい ろ心配していた。当日、徳田さんの車に乗せてもらう。曇空だが雨は降っていない、ラッ キー〃 だが長い道のり運転ご苦労様。 秘湯三条の湯は夏山のアルプスなら布団1枚に3人くらいだが、梅雨時期なので、宿泊は、我々パーティーだけ、一人に3畳は使えてゆったり就寝出来た。三国の県境、雲取山頂は避難小屋も整備されていてトイレもきれい。花にはあまり合えな かったが、木陰を登る比較的楽な山行でした。下山後、又三条の湯の温泉で汗を流し、丹沢方面へと移動した。 神ノ川ヒュッテに到着するや否や、渓流を眺めながらの露天風呂がありますとの事、女性 3人勇んで入りに行くと五右衛門風呂の釜に熱い湯が沸かしてあり、横のポリ風呂に湯を 汲んで水で薄めるのです。無理を承知で一緒に入ろうとお尻は上下、足は組み、向きは 交互に、キャッ・キャッと姦しく、子供のように湯に浸かり愉しかった。 丹沢蛭ケ岳を目指し11回もの登り降りを繰り返し、やっとついた山頂では雲に包まれて展 望が全く駄目『お願い、山の神様少しでもいいです晴れ間を下さい』するとスーと雲が消 え前方の山並みがきれいにみえはじめた。日頃の精進の御蔭? カツラ、ナラ、ブナなどの若葉の中、オゾン一杯に吸って、気分ははつらつ、しっかりリフ レッシュできた山行でした。参加して本当に良かった。 鉄人徳田さん、佐々木さん、長い道程の運転お疲れ様でした。ありがとうございました。 |
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諸事情で延期していた例会を、復活しての奥秩父山塊雲取山と丹沢山地の最高峰蛭ケ岳を、梅雨の最中に実施することに、多少の抵抗を感じながらの出発となった。
西日本には梅雨前線が停滞していて、天候は最悪だった。再度、順延かと思ったが関東の太平洋沿岸に高気圧が発生していて、この天気図であれば勢力が強そうであったので、案外雨は降らないかも知れないと適当に判断しての決行だった。参加者は、徳田康二かよ子ご夫妻、山口博、金本好彰、堀尾洋子、澤田靖子、寺澤淳、と私。 あと蛭ケ岳まで300mの案内板からの道程が長く、感覚的には1kmも登ったほどの感じがした。10時15分、神ノ川を出て5時間15分の行程で丹沢山地の最高峰、蛭ケ岳に登頂した。視界はきかず、ゆっくりと丹沢山地の全貌を見ることは出来なかったが、一瞬の晴間から山並みが望まれた。山頂には遅いミツバ躑躅が一本楚々と咲き疲れを癒してくれた。かつては鬱蒼とブナの巨木が林立し、ススダケに覆われていた丹沢山も、修験者の山といわれ、薬師如来や、それ以前には毘盧遮那仏(大日如来)を祀っていたとも言われ、びるが岳、薬師岳とか、と呼ばれていたようだ。 丹沢山が国体の登山会場(第10回目の1955年に、私たちの学校の山岳部も参加の希望があったが駄目だった。)に選ばれてからは、多くの登山者が先を争って人気が出始めたという。そのときのコースが檜洞丸−白ケ岳−蛭ケ岳の主稜コースだった。一般的なコースをはずして神ノ川登山口往復を選んだ訳は、当初計画した丹沢山登頂が、丹沢湖より玄倉川上流のユーシンロッジ泊、そして、尊仏ノ土平を登り、塔ノ岳・丹沢山・蛭ケ岳の三山を回り、熊木沢を下るコースだったが、ユーシンロッジの都合(神ノ川ヒュッテで、ユュシンロッジの主人が亡くなったと聞いた。)で一時閉鎖されていたためだった。(日程を延期したため、当初参加を希望していた会員の皆さんにお詫びします。) 山頂を10時45分に下り、神ノ川登山口に下山したのは14時40分だった。 天候、時間、その他で、登頂が無理な場合は、途中から撤退しようと言っていた山行だっただけに、参加者の健脚ぶりに、出発時の危惧が吹っ飛んでしまい感謝しております。あと、7月中に、北ア裏銀座の薬師、鷲羽、水晶、黒部五郎を登ぼり、東北の飯豊・朝日、そして再び北アの笠ケ岳を遣れば、後は富士山のみがターゲットになるまでになってきた。なんとか今年中にと思っている。 (佐々木英夫) |