693m

 
七七頭ヶ岳にて

山行日
2006年11月8日(水)
 天候
 快晴
コース
新田辺7:00⇒9:15登山口9:30⇒10:55七七頭ヶ岳12:00⇒12:55菅並13:00⇒13:40登山口13:45⇒小谷城址15:15⇒18:00新田辺 
参加者
CL 白波瀬  SL 村上
男性:守口、秋月、北川、倉光、稲垣、志賀、峯岡、中広(一般)、
    森本(一般)
女性:倉光、秋月 
合計:13名     


    山行報告  白波瀬 勇
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 湖北のイメージとは裏腹に雲一つない快晴に恵まれての山行だった。平日にもかかわらず13名の皆さんが午前7時に2台の車に分乗し京田辺を出発、一路余呉町の七七頭ヶ岳を目指す。 2時間程で登山口に着き、熊出没注意の看板に早速 鈴をつけての出発である。

 いきなり急登となり程よい地点に尾根があり、左手のやまなみの展望を楽しみ疲れを癒す。紅葉はまだ早い感は否めないが歩を進めるに従いブナやケヤキ・ミスナラ等の木々が見られるようになった。 急登にもかかわらず程よい地点に尾根があって、休息には都合がいい。1時間半で山頂に到着。女性の肌を美しくするという伝説のるり池を見るため下ると、ポタポタと滴り落ちる水滴が水溜りに落ちていた。

 山頂に戻る途中で残雪を発見、やはりこの地方は豪雪地帯なのだとの再認識をする。 申し分のない好天気なので山頂からの展望は素晴らしい。眼下に余呉湖その先に琵琶湖に浮かぶ竹生島〜己高山・行市山・新谷山等の連山が見える。 下りは西林寺のお堂の裏から、足元に気を配りながら、のどかな山村の菅並地区へ。車の通らないダム用の幅広い歩行者天国を歩く。”車やで‥“と呼びかける必要はここではない。紅葉した山々と清流の高時川を眺めながら、駐車場に到着する。クマには出合わなかったものの、ここでサルを見かけた。  

 湖北まで来て七七頭ヶ岳だけでは、もったいないので渡岸寺の十一面観音を拝観しようと車で向かったものの、あいにくお留守で残念。戦国時代 浅井・織田両軍の戦いで寺は焼けたがこの観音様は土中に埋められて災禍を免れたとか。次いで小谷山城址に向かい、中腹で下車し京極丸址まで歴史散歩をする。金吾丸〜茶屋跡〜馬屋跡〜馬洗い池〜千畳敷〜本丸址〜そして京極丸址から引き返す。

  歴史に詳しい方も多く往時の話題に花が咲く。この小谷山城址は、浅井三代の居城でここまで歩いただけでそのすごさが偲ばれる山城といえる。 時間の都合もあり浅井長政やお市の方も湯治に通ったといわれる麓に沸く「須賀谷温泉」の入浴は取止め京田辺へと向かった。 最後に遠くまで車の運転をして頂いた北川さん・守口さん大変お世話になり有難うございました。  








ブナと紅葉
  
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オブジェ
 

湖北の山々
                    「写真提供は白波瀬さん」





 感想             七七頭ヶ岳 (ななずがたけ)(余呉町) 小谷山(おだにやま)(湖北町)  峯岡 邦博

 当日は日本晴れ、天候にも恵まれ北川欽造様の新車に乗せて頂き車窓風景を満喫させて頂きました。車窓からは収穫を終えた田園風景が広がり、近江富士、伊吹山、姉川と普段は自分が運転手の為なかなか景色を楽しむことができないのですが、到着まで有意義な時間を送る事ができました。

七七頭ヶ岳は滋賀県伊香郡余呉町人口4200世帯数1260人程の琵琶湖の最北端にある町で、冬は平野部で1〜2メートル、山地では2〜4メートルの積雪があり、根雪期間140日間は雪の中の生活の様です。(今話題の丹生ダムが治水、利水目的で高時川に建設中の町)この秋雨が少ないのに水量は多かったです。)今回の登山口は高時川沿い(南側斜面)上丹生より13名で登山開始。日陰での気温は10度前後と思われるのですが15分位の登坂で汗が吹き出す。

 10/8の登山、六甲山でも味わったのですが、汗が額からポトポト落ちる事を、何度味わっても爽快です。この山は30分おきに休憩出来る場所があり、景色も存分に楽しめるコースとなっておりました。山頂は標高693メートル、頂上の西林寺にて七々頭岳観音が祀られており、木々の隙間から南に「余呉湖」(琵琶湖より49メートル高い)その先に琵琶湖「竹生島」が見え、山頂には昨日の雪が少し残っておりました。

 下山は(北川斜面)管並地区へと向い、北川斜面は急高配と落ち葉ですべり、危うく何度か手を着く事がありました。管並地区から高時川沿いの整備された歩道を川下へ、上丹生、登山口へと途中野生の猿の群れが民家近くまで来ているのを眺めつつ全員無事、次の予定先小谷城跡に到着致しました。


七七頭ヶ岳山頂より余呉湖、竹生島  18/11/8  11時30分撮影