玉置山の中腹からの眺め/

山行日
2006年11月25〜27日
天候
25曇、26雨、27曇
コース
11/25・三山木5:33⇒請川10:45⇒松畑茶屋跡12:20⇒百間ぐら13:05⇒桜峠14:25⇒16:10小口自然家 11/26・小口7:05⇒8:50玉置神社10:00⇒11:15熊野大社11:40⇒13:40神倉神社14:07⇒14:15速玉大社14:30⇒14:35浮島の森15:05⇒15:50宿(勝浦) 11/27・宿7:50⇒色川辻9:30⇒地蔵茶屋跡10:55⇒越前峠11:55⇒14:05小口自然家15:30⇒20:30京田辺
参加者
リーダー:山下  サブリーダー:倉光 
男性:岡部、片山、北川、徳田、藤原、村上、守口、弓仲、一般:井上
女性:伊丹、徳田、頼、一般:大仲、木曽、中川、野坂、南、山田
合計:20名    

 

    山行報告  山下 隆
/先輩経験者からご意見をいただき、山友会行事らしいコースを設定した。9月末に計画していたが、13号台風の接近で延期し、ようやく実行出来た。会員13名、一般7名のミニ秋山市民登山となる。大雲取越えは標高差800mあるので、一般参加者は愛宕山、甘南備山、飯盛山(例会)等に参加していただき、体力作り と自信作りに励んでいただいた。前日の天気予報では晴→曇→曇・雨の3日間ゆえ、山歩きの前2日は順調で、3日目の観光は曇・雨でも問題なしと順調な例会が期待できた。概算費用;2.8万円/人。

11/25 ; 松井山手を早朝5時に出発し、途中で参加者をピックアップしつつ、暗闇の三山木駅を出発した。バスでの移動時間はたっぷりあり、ビジターさんの紹介・熊野古道のNHKビデオ・倉光さんからの熊野入門、桜井から十津川・熊野へ至る山道はところどころすばらしい紅葉とダム湖の眺めを楽しむ。一般道路ゆえ、トイレ休憩の場所を心配したが、コンビニや桜井から1時間強走った山中に第三セクターのきれいな保健施設[夢の湯」であつかましくも行き返り共お世話になった。登山口の請川を探すのにやや手間取る。ほぼ計画時間に出発出来、まずは日没前に宿に着ける見込みがついた。順調に熊野古道を楽しむ。後半、Aさんが突然ギックリ腰に見舞われ全体のペースが落ちるも、日没前に宿に着けた。

11/26; 天気予報では降水確率100%と、天候が激変する。急濾、大雲取越えは中止し、3日目に計画した観光に全面変更し、27日に天候の回復を期待した。小雨の中、結構楽しめた。幻想的な玉置神社とたくましささえ感じる自然信仰の元祖ともいえる神倉神社には皆感激した。Aさんも同行できるまで回復し、ホットした。

11/27 ; 大雲取越えコースは幸いに、林道とほぼ平行していたので、登り部分はバスで行き、コースの約6割に短縮した。当初の計画と逆コースになったこともあり、登りでの体力消耗が無かったので、最後の長い下りのための脚力が温存でき、皆さん元気で下山できた。雨にも合わずに、熊野古道を十分に堪能できた。小口で風呂に入り、軽食さんを取り始めたら、大雨となり運のよさに皆歓喜した。

ヒヤリハット;・苔むした石畳での滑りを心配したが、意外と滑らずに尻餅は極めて少なかった。
・Aさん、ぎっくり腰で歩行姿勢が崩れる。バランス失い笹ヤブを2〜3m滑落。皆で介助しつつゆっくり歩行。




/請川の熊野古道入口/
 
 

歩き始めて4時間桜峠から前方下に小口の集落が見え/
てきた
 

滑ってころばないように注意しながら下る  
 

小口の里までもうすぐ  
 

宿泊した小口自然の家   
 

玉置神社のすぐ上の玉置山(1076m)の頂上にて   
     

熊野本宮旧社地の日本一の大鳥居(幅42m、高さ34m) 
 

神倉神社の丸い巨岩のご神体  
 

大雲取越えは小雲取越えに比べて険しい道が続く  
 

苔むした石畳の道は雨に濡れて滑りやすい 
     

往時は旅籠などがありにぎわったと思われるところを通過 
 

熊野古道歩きもそろそろ終点に近づいた 
                    


 
              熊野古道・感想文特集
   
/9月実施の予定が台風で延期となり、メンバーも少し変化したが、山下リーダーの奮闘もあっ て、山友会以外のメンバーにも多数ご参加いただいた。ミニ市民登山の様相を呈したので、多くの方に一口感想をお願いした。ここに「熊野古道ミニ特集」と相成った次第です。  


 
皆さんに見守られて 
 今回の企画にお誘いを受けたときから800mの標高差には体力的に不安があった。 愛宕山での事前トレーニングでは保津峡手前での滑りやすい石ころ急斜面で何回も尻餅をつき、下りに不安を抱えたままの参加の決断だった。登りは先般、木曽駒を登ったので大丈夫らしい。 今回は歩く途中はずっとへっぴリ腰の私を会員様がいつも優しく見守って、すぐ側を歩いてい て下さっていることを肌で感じていた。しかも、自分のペースに皆様が合わせていただき皆様の暖かさに包まれながらで、ほんとに皆様に感謝!感謝!です。
 
 行くところ・登るところ全てが感激で感想を書き切れないほどです。熊野古道の中辺道を実現で きた事は心より感謝しております。皆様ありがとうございました。今後は普段から足腰をもっと鍛えて、又の機会を楽しみにしたいと思っています。  (大住ヶ丘 大中文子)  



「熊野古道の山登り」に同行して
 
 先日は二泊三日の熊野古道の山のぼりにお誘い下さいましてありがとうございました。日々1万歩を目標に歩いているものの山登りは初めての事で、不安一杯で申し込みました。リハーサルに愛宕山に登りましたが翌日少々膝頭に違和感かありましたが、何とかなるだろうと挑戦して見 ました所、山友会のメンバーの方々に私の様なビジターを心良く迎え入れてくださってありがと うございました。  

 さて、当日朝5時バスに乗り、各地でメンバーの方が乗られて総勢20名、いよいよ目的地に向かって出発。着後、小雲取越えに挑戦し、無事踏破出来た。翌日は雨のためリーダーの判断よく観光に切替て成功。翌日(11/27)は雨もあがり大雲取越えに挑戦。バスで途中まで登ってもらっての山登り、それでも厳しく、足の滑る石畳の道を登る登る…頂上870.6mにたどり前く。 やれやれ…ほっと一息。いよいよ下山、長い下りの道を歩く。ところどころ林道と交差しながら小口自然の家にたどり着いた。今思えば雨のお陰でコースが逆になって良かったなあとつくづく思い ました。山友会のメンバーの皆様本当にありがとうございました。ただただ感謝・感謝!!   (山手南 井上正俊)


 
 熊野古道は世界遺産に指定されてはじめて私の耳にもその名が届き「どんな所だろう地元!? (広い意味の・・・・)の者としては一度歩いておかなければ・・・」と思っておりました。何の知識もなく、とびいり参加しましたが、バスの中で倉光さんのお話から、昔、伊勢詣でが流行ったように平安時代天皇や貴族が熊野詣をしたため奥深い山中であるにもかかわらず、各地から本宮に向かって通じるみちには茶屋や旅籠もあったそうです。

 今回、私達が歩いた道の両脇には天に向かって真っすぐに枝打ちされた杉が整然と立ち並び、高い所にある枝の緑が時々休んで見上げる空をおおっていました。道端の目に入るものはすべて 鮮やかな緑の苔で覆われていました。石や切り株、そして生木までもが・・ それは見事に美しく、静かで幻想的な世界であった。私も、ここに一人佇めば、3日もしたら緑のお地蔵さんになるだろう。山の表面はみずみずしく、山全体が池の中に浮く「浮島の森」のよ うだった。ところで、この森はいつの頃から原生林から杉林に変わっていったのだろうか・・・  観光でおもしろかった浮島の森の他は神倉神社でした。不規則に並んだ石の階段がユニークで遊び心をくすぐった。長い階段を登りきると、頂上のご神体は恐竜の卵みたいな丸い大きな岩で、 反対を振り返ると新宮市と熊野灘が一望できる絶景だった。   

 「越の湯」の泊りでは「ジャングル温泉」。ああ懐かしいひびき・・・子供の頃一度入っただけだが印象深い。熱帯植物の温室の中で流水プールに入っているようなデカさだった。夜空も見え て、しっとりとムード満天。 木曾さんに卓球を付き合ってもらい汗を流して又温泉へ・・山の中では人の心は浄化されるの だろう。みんなとってもいい方達ばかりで気持ちの良い旅行でした。今回の旅行では初対面の私に山下さんが父、徳田さんが母、木曾さんが姉のように接して下さり、娘になったような気分で した。新入りの「はんみよう中川」でした。この名付け親は徳田(男性)さんです、いい名前ありがとうございます。これからはペンネームにさせていだだきます。  (JR同志社駅前 中川和子)



 一度、歩きたかった熊野古道。この時とばかり、お話に飛びついたわけです。写真でしか見た ことが無い景色を実際歩いてみて、苔のついた石段・丸い石・今にも落ちそうな大きな岩 など など。霊場といわれる雰囲気がありましたし、又台風で延期されましたが、紅葉が美しい時節とかさなり、この自然のすばらしさの中で、この計画に参加させていただき、良い想い出となりま した。山友会の方々、ビジターの方々、大変お世話になりました。ありがとうございました。   (京都市内、南さんの親戚 野坂邦子)  



 楽しみにしていた熊の古道へ。朝が早く居眠りしている間に現地へ。 熊野に来ているということでうれしく、山歩き中は疲れやしんどさはまったく気なりませんでした。只、湿地なので、苔や木の根などで足を滑らせないように指導され、気を付けました。長い年月、色々な人々がこの道をどの様な気持ちで歩いたのだろうかと、ふと思う。木立を見ながらまん丸い石にきれいな緑の苔、毬藻の大番みたいといいながら・・・紅葉も美しい時節で恵まれた熊野古道の旅を楽しみました。山友会の皆様ありがとうございました。  (大住関屋 南 昌子)  



 一度体験したいと思っていた熊野古道<中辺路>小雲取越、大雲取越に参加した。 幾重にもつらなる山々の峠を越え、苔や木々の落ち葉に埋もれた石畳みの古道は昔のたたずまいを残し、昔の茶屋後などが要所に残り往時の通行の多さを忍ばせます。雨で行程の変更などがあり、核心部の大門坂の登りをカットせざるを得ず残念でしたが悪天故致し方なかっ たと思います。熊野三山(本宮大社、那智大社、速玉大社)の参拝はよかった。また神倉神社の538段の急な石段は(高低差100m)は登り応えがあった。担当頂いた山下さん、倉光 さん本当にご苦労様でした。  (片山弘志)  



 霧に包まれた玉置神社には感激しました。大きな立派な杉、古式な社、神様が今にも出てきそ うな感じ。正直なところ、びっくりしました。勝浦の「越の湯」といえば一流の旅館と聞いていましたが、低料金で泊めてくれるとのこと。大きな施設の経営はたいへんだなと同情しました。 急にギツクリ腰のような症状になり、皆さんには大変ご迷惑をおかけしまして、恐縮しています。 このような事にならないように摂生に努めたいと思っています。お気使いに深く感謝しています。  (弓仲達夫)




うれしかったことと、つらかったこと
 三日間、好天に恵まれなかったにもかかわらず、雨の中を苦労して山道を歩くということがな かったのが、一番のうれしかったことです。9月の三郎ヶ岳の例会の時、2回も足がつったといっ て苦しんでいる山下さんに、「熊野古道は大丈夫?」と思わず言ってしまった私に、「大丈夫です。 僕は責任感の強い男ですから」と答えた山下さん。さすがです。気転のきいた予定変更で楽しい 山行となりました。雨の玉置山は紅葉も真っ盛りで美しく、傘をさして落葉の上を歩くのも楽し くて風情がありました。

  二番目にうれしかったのは、自分自身のことになりますが、膝痛で断念した夏山以来、日帰り の軽い山歩き以外はしてなかったのだけれど、きつい山行ではなかったとはいえ、三日間、あま り苦労せずに歩き通せたということです。膝痛は完治しているわけではないけれど、何とか歩け るんだと思えたことが、とてもうれしく感じられたことです。  

 つらかったこと:これも自分自身のことになりますが、耳の聞こえないことを強く実感したこ とです。リーダーの指示など、細かいことまで他人に聞き直すことができず、荷物の扱いのことでもたつき失敗し、迷惑をかけたこともありました。また、早く山をおりていたにもかかわらず、帰りのお風呂に入るのが一番最後になり、ゆっくり湯につかることができなかったこと・・・ささいなこととはいえ、私程度の障害でも辛い思いをするのだから、大きな障害を持った人はさぞかし、と思っているのに、私自身、なかなか他人に優しくできないのが現状ですが・・・。  
 いろいろあったけど、楽しい山行でした。「熊野古道」を歩いてきました、と胸をはって言える三日間でした。   (伊丹立子)  



 お天気のご機嫌が悪く、予定通りとはいかなかったが、それだけに又感激、感心することも多かった納得の山行だった。

1 やはり熊野は、遠い遠い山の中たった。
2 紀伊半島の中深部、山は大きく、谷は本当に本当に深かった。
3 真直ぐに天にまで届きそうな手入れされた森、戦後からの努力が偲ばれる。
4 深山老杉の静かな玉置神社。まだか、まだかと続く石の急坂の果て、巨岩の下に鎮座まします神倉神社。ここにこそ神は宿るのでは。
5 日射しの届きにくい林間の、苔むす石の坂道。これぞ写真の古道だ。緑に覆われた卵型巨岩も珍らしい。
6 断崖の樹間を落ちる高い滝、常滑の静かな谷、白く騒がしい急流、濃青のダム湖と、さすが雨の熊野だ。
7 紅葉は、全山とはいかないが、緑に挟まれてその対比が鮮やか、棚引く朝霧が更に幻想的にしている。これが秋の最後か。
8 行き交う車も、道標もない初めての道を、唯 地図を信じて進む運転手さんの勇気と能力。
9 充分な下調べと準備で、種々の変化に融通無碍に対応し、更に軽妙な語り口での楽しいガイドまでの秀れたリーダー。
10 最後に、短縮されたとはいえ、落伍することなく歩けた自分。   (藤原克己)




熊野古道を歩く
 もう10年以上も昔、伊勢から南紀のあたりを車で走り回った時期があった。だから、熊野三山も一通り知っているつもりだった。かのイーデス・ハンソン女史の山荘を見たくて(私は結構ミーハーなのです。九州で南コウセツ氏の館を探したこともあった。どっちもガードが固く、門を眺 めただけだったが)田舎道を走っていたら、中辺路の山中に迷い込み、熊野古道の一部に出くわしたことがあった。世界遺産騒ぎより遥か昔のことである。  

 しかし、熊野古道を本格的に歩いたことはなかった。機会があれば歩きたいと思っていたとこ ろ、山下さんからのお誘い。ホイホイと乗ったら、サブリーダーを仰せつかった。もっとも、結果的には何もできない名目的役職でしかなかったが。お蔭様でいろいろ興味深いことにぶつかっ たが、印象に残ったことを2つ3つだけ書き留めておきたい。

@ 今回初めて訪れたのは、玉置神社、本宮旧社地、神倉神社など、玉置神社の杉の古木、神倉神社の自然石の不揃いな階段も印象的だったが、見所としてはなにごともない本宮旧社地が私には興味深かった。明治22年の大洪水でいまの山上に移転するまで、本宮が鎮座ましました場所である、つまり、「蟻の熊野詣」といわれた江戸時代までの参拝は、ここを目指したわけだ。その頃は橋もかかっていない川の中州で、どんなにオエライ方も清流をジャブジャブと、しかも袴を掲 げることなく濡れて渡るしきたりだったという。いまも少しは大木が残るが、まだダムもなかったその昔、水量の多い清流の中に森に囲まれて浮かぶ神社の姿は、ありがたいものであったろう と想像できた。中辺路の本宮直前の山上に、伏拝(フシオガミ)王子なるものがあるが(今回は寄っていない)、ここで始めて本宮が見えたのだそうだ。初めて目にする本宮を、遥か眼下に伏し見て拝む場所だったのだろう。

A 熊野古道といえば石畳である。階段もあるが石が斜めに連なる場所も多い。天気がよくなかったこともあって濡れていて、登山靴でもよく滑って怖かった。道の多くは、多数の人が歩いたので窪地になっていて、雨が降ると水路にもなるから、石を敷きつめるメリットはあったろう。でも、あの滑りをどうしていたのかと心配になった。ハッと気がついた。昔はワラジだったのだ。今春の沢登りで、私は地下足袋の上に、滑り止めにわざわざワラジをつけた。スタイルだけでなく、滑り止めにも、石畳にはワラジがよく似合うのだ。ガッテン!次回はワラジで歩いてみよう。

B 台風で、9月の予定が11月末に延期となり、遅い紅葉が真っ盛りの時期となった。玉置神社周辺の雑木の紅葉は見事だった。でも、熊野全体としては、杉、桧の針葉樹が目立ち、紅葉はそれを縁取る程度だった。熊野古道には杉並木がつきものだが、こうまで人間様の手が入っているとは思わなかった。しかし、古道沿いの木は、ごく少数をのぞき若木が多かった。先日の奥駆道の大普賢岳で、自然林の多さに感激したばかりだったので、これはやや意外だ。その昔、蟻の熊野詣の頃の原風景は、果たしてどういうものだったのだろうか?  

 みごとなお天気判断を含めていろいろお世話いただいた山下リーダーをはじめ、同行の皆さん、そして、難路を運転したいただいた中谷運転手さんに、心より感謝します。  (倉光正己)



 太古の杉桧の樹木はもとより、小石にも、小川の流にも空気にさえ、霊が宿ると言う熊野古道。 思わしくなかった天候のお陰で却って聖域の雰囲気を盛り上げてくれた。晩秋の薄暗い峠道、年中雨が多いからこそ各所に多く敷かれた苔むす石畳。俗塵から懸け離れた太古の幽玄の世界行だ った。  (北川欽造)