|
1707m・1626m | |
|
西赤石山までの縦走路の岩峰越え
|
山行報告 | 大谷 典子 | |
連休ゆえ出発を6時に早めて新田辺を出た。渋滞と事故で筏津Pには14時10分着。体力気力の消耗が激しい。小屋に入る時間帯の遅い登山開始だった。暗黙の了解ゆえか休憩も少なく急登ではバテル方もあって心配した。樹林帯を抜け急に現れた,八巻山の岩峰に一同圧倒される。赤石小屋5時45分着。小屋の主人に吃驚されたがひとまず14畳の大部屋に全員集合。下界から買って持ち上げた出来合いのおかずや,お酒まで出ての大パーティ。「これが一番楽しいよね。」の声もあがった。 翌日4時50分発の予定が30分に早まり,八巻山でご来光がちょうど拝めた。1707mの東赤石山に登る美しく澄んだ太陽。感激した。一息で東赤石山を往復して小屋に下山,ゆっくり朝食。この後がいけなかった。チョットしたブーイングの末同じルートを登って西赤石山にむかった。ルートとりが難しくあの岩この岩を行ったりきたりしながらも物住頭に着いた。細い巻き道に取り付いたが,本当のルートでないらしく,危険極まりない急坂くだりになった。 いくつもの小ピークを登り返し西赤石山に着いたのが,11時。銅山越でも一回引き返しがあった。日浦P.に11時到着予定が,14時10分着だったが,大幅な遅れでバスの運転手さんを心配させてしまった。全員無事で下山でき本当にほっとした。「きっと良かったと思いますよ。」の赤石小屋の主人安森さんのお声も,耳もとで響いた。八巻山を2回も登って稜線歩きをしたけれどこれが,今日の充実した満足感につながったと思う。 いい山歩きだったとの声に,初めてのリーダーの重荷と責任が消えてすうと気持ちが軽くなった。きらきら光る橄欖岩,ユニークなはん紋岩のコケ模様もまた珍しいものだった。西赤石山付近のつが桜の保護区はいつ満開の花をつけるのでしょうか。銅山の明治期の繁栄を彷彿とさせてくれる石垣の跡も魅力たっぷりで私たちをひきつけた。 |
八巻山付近の岩稜 |
八巻山から見るご来光 右の山は東赤石山 |
|
東赤石山山頂 |
別子銅山の廃墟をみながら下る |
|
四国の山と言えば日本百名山にランクされている徳島県の剣山と愛媛県の石鎚山が有名で、登 った方も結構おられると思われる。今回、計画された山行は四国の愛媛県中央市に位置し、花の
百名山にランクされている男性的な東赤石山から女性的な西赤石山を経て江戸時代、住友家が採 掘を開始した別子銅山に至る結構ハードな山行であった。
ゴールデンウィークの期間での山行で高速道路の渋滞が予想された為、田辺出発の時間を計画 より30分早めての6時となった。案の定、名神へ入ると直に渋滞に巻き込まれ、又山陽道へ入
ると赤穂付近での事故の為、国道2号線に迂回したこともあり目的地の筏津登山口には約2時間 半の遅れとなった。 予定を変更し3日は直接赤石山荘までとして、総勢22名の参加メンバーをA、Bの2班に分か れ、出発した。さすがに高低さ1000メートルは一寸厳しかったが、見渡す限り一面の新緑と、 ミツバつつじの赤色とのコントラストが素晴しく、疲れも忘れ参加者全員感嘆の声をあげた。ま だ明るいうちに何とか山荘に到着、途中コンビニで買った各自おもいおもいの夕食もほどほどに、 持ち込んだアルコールで談笑し、午後9時には全員就寝についた。 翌日4日は4時起床、朝食前に東赤石山山頂でのご来光をめざし 4時40分に山荘を出発、 ヘッドライトの灯りを頼りに、岩場の登山を開始した。八巻山から赤石越を経て標高1707メ ートルの東赤石山に着いたのは東の空から太陽が昇る直前、ご来光に全員バンザイ三唱し、おお いに盛り上がり登山の醍醐味を味わった。記念写真の後、赤石山荘に戻り、朝食をとり、親切な オーナーと別れを惜しみつつ、8時前に西赤石山を目指し山荘を後にした。 晴天の中、涼風を感じつつ尾根沿いに歩くこと約4時間、西赤石山の三角点にタッチ、ひと時の 休憩の後、班を再確認して下山することとなった。 1時間弱で銅山越に到着、道を左にとって、 へいあんバスが持つ日浦登山口に向かった。新緑にミツバつつじと足谷川(銅山川の上流)の清 流沿いに歩いていると、ダイヤモンド水と言って、大量の地下水が自噴していた。その水を口に 含み、又顔を洗いひと時の休憩の後、別子銅山跡の石積に300年余の歴史を思いつつ、2時過ぎ に全員無事でバスに乗り込んだ。 あとは予定通り、マイントピア別子で途中下車、温泉につかり、遅い昼食をとって、一路京田 辺へと向かった。幹事の大谷さん、徳田(康)さん、22名の参加者のリード、本当に有難うござい ました。 (村上 格也) |