―――中央アルプス―――
空木岳 2864m
日 時 | 2005年8月19日(金)〜21日(日) |
天 候 | 曇り 時々小雨 |
コース | 8/19(金) 京田辺市6:00発→JR須原11:10→伊奈川ダムP11:50→ 水場15:30→越百小屋17:10着(泊) 8/20(土) 越百小屋5:40発→越百山6:50→南駒ケ岳11:00→ 赤椰岳11:50→空木岳13:50→駒峰ヒュッテ14:00着(泊) 8/21(日) 駒峰ヒュッテ5:35発→木曽殿越7:00→伊奈川ダムP12:35→ 京田辺市18:50着 |
参加者 | リーダー:徳田 サブリーダー:佐々木 A班:山口 倉光(正) 田中 山田 西上(素) 長野 倉光(展) 澤田 駒井 B班:西上(正) 宮野 秋月 三宅 堀尾 濱北 上杉 玉井 深見 大谷 金本 合計:22名 |
<山行報告>
集合場所に行くと中型の大きなバスが止まっている。こんな大きなバス、林道に入れるか心配だったが今さらどうしょうもない。須原駅で通れるか聞いたが無理だろうと言われ見に行ったが、やはりだめだ。各班のリーダーで協議して、タクシーをチャーターすることにした。予定よりかなり遅れて今朝沢橋を11時50分出発。
林道終点福栃橋から登山道に入る。樹林帯の中、歩きよい道だ。15時30分水場に着く。水量が少なくペットポトル1本がなかなか溜まらない。そのうちに雨が降ってきたので水を入れずに雨具を着て出発。17時10分越百小屋に着く。
二日目
5時40分出発。樹林帯を抜けハイマツ帯になるとまもなく越百山だ。下り左側のガスのスクリーンにブロッケン現象が見られた。やがて花崗岩の岩稜の仙涯嶺に着く。鎖場を越え一旦下り登り返すと花崗岩が、累々と重なり合った南駒ケ岳に着く。天気が良ければさぞ素晴らしいだろう。赤椰岳(アカナギダケ)を下り登り返すと花崗岩の立ち並ぶ空木岳だ。真下に今日泊まる駒峰ヒュッテが見える。時間に余裕があるので頂上でゆっくりする。駒峰ヒュッテはきれいな小屋だ。昨年計画した時は主食ぐらいしか出来ないとのことだったが、今年は夕食もよく、料金も安く皆満足だ。
三日目
朝起きるとやはりガスで何も見えない。空木岳より下りは岩場のきつい下りと、下から登ってくる大きなグループとのすれちがいに時間がかかる。予定より20分ほど遅れて木曽殿越に着く。ここからは樹林帯の急な下りが続く。六合目に着き吊橋を渉り、1652mのピークまで登るがかなりきつい。うさぎ平から林道に入り12時35分駐車場に着く。帰りフオスパ木曽で入浴。18時50分京田辺市に着く。
(報告者:徳田康二)
<感想>
憧れの空木岳よ
(佐々木英夫)
憧憬 | 幾度となく挑戦するも、自然のつれない猛威に阻まれ、断念を余儀なくされた空木岳への憧憬は、募る思いに焦燥していた。 |
ブロッケン現象 | 恐竜の背骨のような端に取り付き、古びた庵に一夜を過ごし越百から登った。 山稜は深く隠れたるも、節々を幾度も登り下りて、険しき山稜を南駒ケ岳に向かいし。 青空は消え、雲は飛び、山影も見えず、折節に一条の朝日がそそぎエーテルの彼方に、わが影を映すブロッケンを見た。 |
大地 | 仙崖嶺の岩塔の凄きに驚愕せり、悠久の世紀を経て、深い海底を持ち上げて貫入せる花崗岩は、氷河、氷河帯の高きに達せり。 風雨に削られ、灼熱の太陽に温められ、厳しき環境にも耐えながら、大地に踏ばり、非対称の山稜は垂直に深き渓谷から屹立していた。 巨大な岩塊は無造作に抛り散らばりおりて、神々の玩具箱のようだ。ここは地球の厖大なエナジーの放出の場、断層崖はその痕跡なり。 |
頂上 | 幾度も幾度も険しき峰に攀じ登り、垂直の岩壁を降り行きては、峪に雲巻く山稜の路をゆかん。 岩塊のみちは猛りし如く行く手を阻みしも、恐るることも知らず、果敢に挑み、胸に抱きし思いは、果てしなき頂きをひたすらに望み行く。 やがて白き岩稜の空木の嶽に立った。 ああ歓喜、ああ感激、そして、感涙、私の胸は震えた。 この素晴らしき山頂で、私は無限の空虚を彷徨った。そして高らかに空木を賛歌した。 |
満月 | 深い興奮は眠りを拒絶し、月照りに誘われて、駒峰の山裾に立ち見つれば、伊奈路と木曽路の街灯りが煌々と輝き、その交差する光線のうえに、黒々と競りあがった山稜は、幾千万年の時空を経て地殻変動で隆起した高みだ。 階段断層崖の山道は、木曽殿越えに垂直に落ち込んでいた。 夜の微風は息を潜め、静寂の天空は無数の星をちりばめ、大地は緑を褥に深い眠りについていた。その空間で、空木の頂は満月を置いて悠然と構えていた。 まさしく空木は氷河期以前の存在を、毅然として固守していた。 |
(写真提供:山口さん)