―――近江――― 
繖山(きぬがさやま)433m安土山189m

日 時 2005年3月19日(土)
天 候 快 晴
コース 新田辺7:56発→京都8:29発→能登川9:08近江バス→
観音寺口9:24→観音正寺10:35→きぬがさ山11:45→
風土記の丘13:15→安土城址15:30→JR安土駅16:57→
京都17:40着
参加者 リーダー:白波瀬  
男性:藤原 稲垣 山口 秋月 村上 峯岡
女性:藤富 内匠
合計:9名

<山行報告>

 繖山(きぬがさやま)の文字を、初めて目にする方も多いことでしょう。お寺には、××山と頭に付き、その後に寺の名が続く。繖山は別名、観音寺山とも呼ばれ、観音正寺は、西国33ヶ所霊場32番の札所で、信仰の山として参詣者が絶えない。お参りの人は、車を利用して山麓から駐車場で下車するのが普通である。今回は車を気にせずに能登川方面からの登山道を経て観音正寺に至るコースをとる。登山口の結神社は風格のある社で、奇しくも下山地にも石部神社があった。

分岐からお寺への道筋に立てられた木札に目をやり、有難い格言の数々に感想を述べ合い乍ら歩く。再建なった本堂に読経の声が響き渡り、寺務所は開店休業のありさま。観音寺城址まで往復した後、繖山へ向かう。そこには絶景が我々を待ち構えてくれていた。まるで信濃路へ来たのかと錯覚するほどの素晴らしい眺めである。紺碧の琵琶湖をバックにした山並みは、白雪を頂き見事なパノラマだった。暖かい日差しの下、45分間の昼食タイム。別ルートで登ってきた人々もすぐ通り過ぎて行く。

折角訪れた事でもあり城址へ行く前に、風土記の丘にある県立安土城考古博物館と信長の館を見学して予備知識を頭に入れ、安土城址の急な石段を登る。完成後火災で焼失し僅か3年と言う幻の城址の往時を偲びながら歩を進める。安土城を作るため建設に携わった人々の労苦は、近代の進歩した土木技術と比べ、さぞかし大変だったに違いない、先ほど見学した模型をふっと思い出す。下山の途中にある1454年、創建当時そのままのハ見寺の三重塔と山門は圧巻だった。木造建築で良くぞここまで残る凄さに感嘆する。

5日に予定していたこの山行も、都合で今日に変更し、正に春本番の素晴らしい天候に恵まれ、歴史ハイクを満喫することが出来た。陽気に誘われて、のんびり構え過ぎ帰着が遅れて済みませんでした。
(報告者:白波瀬 勇)


  
きぬがさ山中腹から雪の伊吹山を眺める                        きぬがさ山山頂

  
わずか3年という幻の名城があった安土山                 JR安土駅のホームから見たきぬがさ山


<感想>
 今年に入って、高見山,生駒山山行に参加して以来の今回、近江繖山・安土山山行に参加しました。
当日はグループリーダーの白波瀬さんの道案内で男性7名、女性2名の計9名参加となりました。快晴に恵まれ、朝7時40分近鉄新田辺駅集合、JR能登川駅下車、近江バスで約10分、観音寺口下車をして約11kmの山行のスタートとなりました。私も山友会の先輩たちの顔と名前がようやくわかってきたので楽しく会話をしながら歩く事が出来ました。

 スタートをして、休憩をはさみ、約1時間西国33ヶ所の32番札所で有名な観音正寺に到着、メンバーそれぞれお参りをして観音寺城跡を散策した後一路標高433mの繖山三角点を目指しました。頂上からは雪をいただいた比良山連峰、伊吹山、鈴鹿連峰の霊仙山等が一望でき、メンバー一同すばらしい景色に見惚れました。各自その景色を写真に収め、昼食をとった後、安土町の近江風土記の丘をめざし、繖山を下山する事としました。琵琶湖と西の湖を眼下に眺めつつ、いっきに下っていきました。

 近江風土記の丘に到着、安土城考古博物館、信長の館をやく1時間見学する事となりました。弥生、古墳時代の近江の国へタイムスリップ、また織田信長の権力の象徴である安土城の勇姿に思いをはせたひと時でありました。一通りの知識をもって、安土城址のある安土山へと行くこととなり、麓から約440段の急な階段を登り189mの天守閣址を散策しました。ここでも当時の信長の権力の絶大さを目の当たりにして帰路につきました。

 安土城址をあとにして安土山を下山途中総見寺址、三重の塔に立ち寄り安土町の町並を散策してJR安土駅に帰ってきました。今回の山行は天候にも恵まれ、景色もすばらしく、またメンバーの皆さんのあたたかい思いやりとで、楽しく、充実をした山行の一日でした。メンバーの皆さん、本当に有難うございました。
(村上格也)